11 / 14
第三章 3 東京お江戸歴史散歩
3 東京お江戸歴史散歩
満を持してヒストリア・グルニエの新歓イベント東京お江戸歴史散歩が催された。ゴールデンウィーク初日、昭和の日だった。
だが言い出しっぺの龍平はすっかりやる気を失っているようで、礼司の中に存在も示さない。何しろダサいと嫌っていた斜め掛けバッグで出かけても文句ひとつ言わないのだった。
玄関扉を開ける時ドアポストに何か入っているのに気がつく。どうせチラシだろうと出して見れば、葉書に〝松橋礼司様〟と宛名ばかりが書いてある。裏を返せぱ油絵なのか緑の絵に〝KANON個展〟と印刷されている。常見可音 の個展の案内状だった。それを礼司は斜め掛けバッグに突っ込んで外に出た。
美術などには縁のない家庭に育った礼司である。個展というのも今一歩よくわからない。ただ理解できたのは、可音がこのハガキをドアのポストに入れたのはアルコールで潰れた礼司が裕奈に支えられて帰って来た時なのだろう。あの時ここで可音とすれ違ったのは、この絵葉書を投函したのだろう。
大家さんの親戚ではあるし、可音の個展に行くのも礼儀かと考えたりする。この際、中園龍平は何の知恵も授けてくれないのだった。
部員達との待ち合わせは東京駅の北口ホールだった。二十名の新入生を含めた部員達を引き連れて礼司は都内を案内して回ったのだ。
「すげえな、マッツン。今日は迷子にならないんだな」
部長と共に先頭を歩いている有田が感心する。
「まあな」と少しばかりいい気分になる。龍平はやる気はなくてもそれなりに礼司のサポートをしてくれているようだった。
金竜山浅草寺 で今回は大階段を上がって本堂でお参りをする。抹香臭い中で手を合わせて、この妖に消えて欲しいと願っている。
有田と共に階段下で皆が下りて来るのを待っていると、裕奈が目をきらきら輝かせて近づいて来た。ちりちりと音がするのは手に鈴を持っているようだった。
あの指切りげんまん以来、裕奈はあまり礼司に近づかなくなっていた。大学で顔を合せても、女子の群れの中から礼司に目配せするだけである。けれど自信に満ち溢れた表情はまるで長年連れ添った古女房並みの安定感だった。
〝プロポーズ〟の一言がこんなに効くとは。二十七才だという中園龍平の知恵あらばこそである。頼りになる相手がいてありがたいとついさっき仏前で祈ったことをもう忘れている。
「これお守り。礼司くんとお揃いなの」
ちりちりと鈴の音と共に駆け寄った裕奈は、鈴の根付二つのうち一つを礼司に差し出した。
「ありがとう」
と受け取ると、うふふと笑ってまた女子の群れに戻って行った。
「どれ?」
ツクツクが鈴の根付を摘んで眺めている。そして掌に握り締めて、
「ついでに俺の気も込めてやる」
などと言う。
「鰯の頭も信心からって言うからな」
「何だそれ?」
かろんと鳴って礼司の掌に返された鈴が、さっきよりいい音色に聞こえるのは気のせいか?
「信じるか信じないかは、あなた次第です」
「都市伝説の関暁生 かよ……あ、関裕奈 と関つながり?」
「ちげーよ。俺、親父が倒れたじゃん。そん時、思わず手を合せてちゃってさ。神様でも仏様でもいいから、どうか親父の命を助けてくださいって祈っちまってさ」
「あ……そっか」
にわかに厳粛な面持ちで礼司は鈴の根付を斜め掛けバッグの底に入れた。
「幸い親父は助かって。今は少しずつ朝のお勤めをしたり、檀家 さんの相手もできるようになっている」
「ツクツクが祈ったお陰?」
「どうだかね? だから信じるも信じないもあなた次第……だぜ。その鈴だって裕奈の愛情が籠ってんだぜ。ついでに俺の気も込めてやったんだから。大事にしろよ」
礼司は有田が唯物論者だと思っていたから、意外な目でそのいがぐり頭を見てしまう。
ふと気がついて、
「檀家さんて?」
「うち、寺だから」
「寺って……寺?」
改めて五分刈り頭を掌でじょりじょり撫でる有田津久志である。
「親父が住職。親父は若い頃に父親を亡くして、寺を継ぐために大学進学を諦めて高卒で浅草の寺に修行に入ったんだと」
「こ、この寺に?」
思わず大階段を見上げてしまう礼司である。有田は首を横に振っている。
「浅草寺は修行僧を受け入れてないさ。この辺には小さな寺が沢山あるから、そのうちの一つ。だけど休みの日には寄席で落語を聞いてたんだから、適当な修行だぜ」
部員全員が階段下に集まって、今度はぞろぞろと浅草演芸ホールに向かうのだった。
事前に予約を入れていたが、その必要もない程に寄席は空いていた。
「スマホの電源は切ってね。スマートウォッチとか鈴とか音の鳴る物は鳴らないようにする。寄席の礼儀だからね」
礼司は皆に言って回ると先程もらった鈴の根付を改めてハンカチで包んで斜め掛けバッグの底の隅に押し込む。
バッグの中には出がけに突っ込んで来た常見可音の絵葉書も入っていた。つい隣の席の有田に手渡していた。
「ツクツク、こういうの興味ある?」
「銀座で個展か。ガッシュだな」
「ガッシュ?」
「不透明水彩画だよ。これ……森の中に建ってる家かな? 人がいるな」
有田は熱心に絵葉書を見ていたが、礼司が熱心に見ているのは幕が開いた高座だった。
だが意外にも随分とつまらない高座だった。寄席は出演者次第で爆笑が続くこともあれば、やたらに退屈な時間が過ぎるだけのこともある。
「落語なんて古臭いから仕方ないね」「笑点の落語家が一人も出てないんだもん」などと言い合う部員達に、礼司は「落語と笑点はまるで別の物だよ」と解説する気力も失せていた。
そうして、麦とろで早い夕食を済ませた後に解散となった。
部長ら幹部連中は打ち上げをするとのことだったが、礼司は先日の救急車騒ぎもあるので欠席を伝えて早々に帰ることにした。別れ際、有田に肩を叩かれた。渡した絵葉書を返しながら、
「ヒマな日に見に行こうぜ」
と誘われる。
「へえ?」と意外そうな声を出してしまった。有田が絵に興味があるとは思わなかったのだ。
「それとマッツン、既読がつかないけど。こないだ浅草で撮った写真送ったから。見といてくれよ」
「あ、悪い。ちゃんと見るよ」
打ち上げメンバーと共に立ち去る有田に謝る礼司である。
確かに最近は裕奈や有田など部員との連絡も滞りがちである。妖の中園龍平や落語家の柏家音丸にかまけていると、リアルの友人のことがおろそかになるのは困りものだった。
帰りの地下鉄内でLINEを開いたのは有田からの写真を見るためだったが、珍しく仙台の姉からメッセージが届いていた。家族もまたおろそかに出来ないリアルである。
〈ゴールデンウィークにムラに行くからつきあって〉
「誰が行くか」
一人で口に出して呟いていた。
宝塚歌劇のファンである姉はムラこと兵庫県の大劇場や日比谷の東京劇場にしばしば遠征する。いちいちそれに礼司を誘うのだ。
そもそも高校生で宝塚の魅力に目覚めた姉は一人で地方公演から東京、兵庫とあちこちに通い始めた。若い娘の一人歩きを心配した親が弟にボディガード代わりについて行けと命じたのが最初である。
礼司は姉より五才も年下なのだ。女子高生に小学生男子がついて歩けばむしろ姉が保護者だろう。とはいえ親から小遣いをもらって旅行や観劇が出来るのだからそう悪い話でもない。
お茶会で生徒さんに、
「お姉さんのボディガードなんて頼もしい弟さんね」
などと声をかけてもらえば姉も大喜びである。
宝塚に男性客まして男の子など少ないのだ。推しに印象付けるアクセサリー代わりに連れ回されたわけである。
しかし姉が就職してからは親からの小遣いがなくなった。姉に請求してもケチって望みの金額を出してくれない。そろそろお役御免にして欲しいところだった。もともとヅカに特別な思い入れはないのだ。
今は礼司の方こそ落語の推し活に必死なのだ。
〈バイトや勉強で忙しい。悪いけど行けない〉
と断り、何故か小さなドラゴンが土下座しているスタンプを送るのだった。
〈帰省しないの?〉
ヅカよりこっちの質問が先だろうと思いつつNOのスタンプを送る。
これまたチビドラゴンが首を横に振っている。いつから自分はこんなスタンプを使うようになったかと首をかしげながら。
〈就活はしてるの?〉
追って届いたメッセージに一瞬礼司は頭が空白になった。これまで礼司の脳内に存在しなかった単語である。就活……就職活動?
〈うん。就活も忙しい〉
と嘘八百を送る。
結局ツクツクに送られた写真を見たのは、もっと後になってからだった。
ともだちにシェアしよう!

