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第三章 4 会社訪問

4 会社訪問  脳という奴は新しい単語を認識するや合致した物を集める機能があるらしい。 〝就活〟という単語を覚えた礼司の脳は、スマホを見れば〝就活に最適なファッション!〟などという広告に目を留めて、街を歩けば紺色のリクルートスーツを着た学生を視界に入れる。それはキャンパスでも同じことだった。 「エントリーシートはもう書いた?」「サークルの先輩の会社に訪問した」といった会話が耳に飛び込んで来る。  自分も何かすべきだろうか。リクルートスーツを買うとか? と浮足立つ。先々の目標などないのに。いや、だからこそ浮足立つのかも知れないが。  だがリクルートスーツなど買わずとも既に龍平が買い集めたファッションアイテムがあるではないか。ワンルームアパートの狭いクロゼットに何着も掛かっているブレザーやスーツを出しては品定めをしていると、 「君、何を考えてるわけ?」  (あやかし)の中園龍平が口出しする。 「就活ってね、いかに日本社会に埋没できるかプレゼンする場なんだよ。人よりお洒落なスーツなんか着て行ったらアウトだよ。そこらの量販店でダサいスーツを買えばいいの」 「だって、金がもったいない……」 「だから一番安いのを買えばいい。僕だってあんなの就活以外では着なかったよ」 「就活したの⁉ てか、何の仕事してたわけ?」  振り向けば龍平の気配はもうなかった。自分が気に入らない時は出て来ないのだ。礼司の都合は考えずに身体や頭を乗っ取りに来るくせに。 「リクルートスーツを買いに行きたいんだけど……」  部室で裕奈に切り出した途端に心配そうな顔をされた。  裕奈は昨年末に母親と共にデパートに出けてスーツは購入済みだという。どころか既に何社かの会社説明会に行きエントリーシートの提出も済んでいるという。  自分が中園龍平といかがわしい行為に励んでいた頃、裕奈のような真面目な学生は既に就活に入っていたのだ。あわてて礼司はその日のうちに裕奈と共にスーツの量販店に出かけたのだった。  そして龍平のアドバイスに従って量販店で個性ゼロの売れ筋商品を購入する。黒無地のスーツを見て裕奈は「それ?」と眉をひそめたものである。けれど、 「金がないから」  という礼司の言葉に反論はしなかった。  かくして礼司はこの上もなくダサいスーツで会社訪問をすることになった。  自分で手配したわけではない。いつの間にか〝初音製薬(はつねせいやく)〟という会社の先輩とやらを訪問する流れになっていた。またも中園龍平の勝手な采配である。  LINEにともだち登録されているのが、関東営業本部・営業三課主任の木村茜(きむらあかね)という人物である。  平日の午後、大手町の巨大ビル群の中にある初音製薬の本社ビルを訪ねる。  日本人なら誰もが知っているであろう大企業である。市販薬のみならず医療現場向けの医薬品も開発販売している。礼司としては胃薬、風邪薬、痒み止めといったごく狭い範囲の商品を利用しているだけだが。  ガラス張りの正面玄関から入ると、一階エントランスは三階まで吹き抜けになっていた。見上げんばかりの巨大空間である。  すっかり委縮して受付で木村茜主任と面会の約束があると告げると、内線で連絡を取った受付嬢にストラップ付きの入館証を渡される。 「こちらを付けて、おかけになってお待ちください」  とソファを示されたものの落ち着いて座る気にもなれない。赤い紐で胸にぶら下がった入館証を玩びながら、やたらに広い玄関ホールを見回している。  ちなみに一階の受付横には駅の改札口のようなタッチセンサー付きの扉がいくつも並んでいる。そばで守衛が入館証をタッチしては出入りする人々を監視している。  そんな風景を見ているうちに礼司は妙に懐かしいような気がして来る。初めて来た場所なのに胸がほんのり温かくなっている。  そこに守衛が立つセンサー扉が開いて一人の女性が出て来た。 「キムアカ!」  いきなり声をかけている礼司である。  女性はその場で立ちすくんでしまった。首から下げた青いストラップの社員証には〝営業三課主任 木村茜(きむらあかね)〟と記されている。 「あの……?」 「失礼しました。木村茜さんですね?」  言っているのは龍平である。またも礼司は意識が頭の片隅に押しやられている。 「中園龍平の従兄弟(いとこ)の松橋礼司といいます」 「あ……そ、そうでしたね。従兄弟の松橋さん。お待ちしておりました」  ようやく思い出したかのように愛想笑いを浮かべる木村主任である。  案内されて入ったセンサー扉の中には広いエレベーターホールがあった。そこでまた胸の内に得も言われぬ甘い思いが広がる。礼司にその正体はわからないのだが、目が涙で潤んでいるような気がする。 「やっぱり似てらっしゃいますね」  エレベーターの中で木村茜はしみじみと礼司の姿を見て言うのだった。 「中園くんも、そういう天然パーマでしたね。明るくてみんなに好かれて……社内にファンも多かったんですよ」 「そうですか」  相槌を打っているのは礼司なのか龍平なのかわからない。  小ぶりな応接室に通されてソファに向かい合う頃には、さすがに礼司もこれが就活の会社訪問ではないと気づいていた。  けれど改めて木村茜に、 「中園龍平さんの最期についてお知りになりたいそうですが?」  と言われるに及んで言葉を失っていた。  なのに龍平がためらいもなく口を動かしている。 「僕は龍平が亡くなった頃、大学受験でお葬式に出られなかったんです。両親も気を使って龍平が何で亡くなったのか詳しく教えてくれませんでした」  もちろん真っ赤な嘘である。  ただ礼司の年齢に合わせた虚偽ならば、大学受験の年つまり二年前に龍平は亡くなったことになる。  改めて柏家音丸の〝亡くなった友人〟という言葉が礼司の耳元に蘇る。  兄弟のように仲良く育った従兄弟なのに臨終の様子を知れなくては納得が出来ない。だが逆縁の悲しみも癒えぬ伯父伯母に直接尋ねるのも憚られる。  だから龍平がよく口にしていた会社の親しい先輩に尋ねることにした……というのは嘘として如何なものかと思ったが、その辺は不審に思われなかったようである。木村茜はむしろ亡くなった後輩の思い出を話せるのが嬉しいようだった。 「本当に似てらっしゃる。毎年、社内の同期やファンで追悼の飲み会を開いてるんですよ。松橋さんもいらしたら、みんな喜ぶと思いますよ」  紙コップのコーヒーを出しながら、木村茜は礼司の顔を見つめるのだった。 「い、いただきます」気まずく紙コップで顔を隠すようにしてコーヒーを飲む。 「確か木村茜さんが亡くなってる龍平を発見してくださったとか?」 「発見て……まさかそんなことになるなんて」  笑顔が消えてため息をつく。  木村主任が語るにはある秋の朝、龍平が出社しなかったのだと言う。  欠勤の際にはきちんと連絡をする社員だった。ましてその日は午後から会議があり、そのための資料を龍平がまとめて木村主任に送るはずだった。なのに送信はなく連絡もない。 「資料が間に合わないなら、ちゃんと報告する人なのに。欠勤の連絡もないし、電話にも出ない。心配になって昼休みに中園くんのアパートに行ってみたんです」 「アパートの場所を知ってたんですか?」 「前に合宿の打ち上げでみんなで行ったことがあるんです。横に公園のある古い名前のアパートでしたね」 「月光荘」 「そうです。そこに行ってドアチャイムを鳴らして……」 「ドアの下を蹴った?」 「はい?」  木村茜はぽかんとしている。 「いえ何でも」と、あわてて手を横に振る。  アパートの前の屋敷が大家だと聞いていたから、そこに駆け込んでおばさんに部屋の鍵を開けてもらったのだと言う。 「……普通にベッドに寝ていたから、揺り起こそうとして……とっくに、死んで……冷たくなってるとわかって」  膝の上で両手を握りしめる木村茜である。  ベッドの枕元には錠剤のタブレットやグラス、ビールの空き缶などが散らばっていたという。薬を飲みながら酒を呑んだりしたらしい。何故通常より多くの睡眠薬を摂取して酒まで呑んだのか、木村茜にも思い当る節はないと言う。 「ご存知のように中園くんはアメリカからの帰国子女でしょう。日本の暮らしに馴染めない部分はあったのかも知れないけど……」  いや礼司はまるでご存知ではなかった。だからあんなに英語が流暢だったのかと納得する。 「でも睡眠薬で自殺を図るほど悩んでいたとは思えないんです。やはり、うっかり多めに飲んだんじゃないかと……」 「かも知れないですね」  と答えているのは龍平本人である。礼司は黙って紙コップのコーヒーを飲むしかない。 「いけない。忘れ物がありました。ちょっとお待ちください」  にわかに立ち上がって主任は部屋を出て行った。  つい腰を上げてその姿を見送ると、 「何で俺ここにいるんだ?」  呟いたのは、頭の中の龍平に聞かせるためである。 「だから、何しに来たんだよ?」  なのに妖は知らんふりである。礼司は一人じわじわと恐怖が増して来る。  中園龍平の孤独死を発見した女主任。それと面会させて一体何をさせるつもりなのか?  主任が部屋に戻って来る頃には礼司はにわかに寒気が増して小刻みに震えているのだった。   手提げ袋とお代わりのコーヒーをのせたトレイを持って来た主任は、礼司の前に紙コップを置いてからリモコンの温度調節をするのだった。 「ごめんなさい、寒いですよね。使ってない部屋だったから……温度を上げますね」 「ありがとう。キムアカ」  笑顔で答えたのは、礼司の中のどこに隠れていたのか知れない龍平なのだった。  木村茜はくすくす笑いながら、 「中園くんに聞いたんですか? 私のキムアカってあだ名」  テーブル越しに手提げ袋を差し出した。受け取って中を見ればノートやクリアホルダーなどが入っている。 「中園くんの私物はみんなご両親にお返ししたはずなんだけど。あれから部署移動や引っ越しがある度にいろいろ出て来て……いつかお返ししようと思っていたんです」  B5サイズのノートには表紙に手書きで〝初音落語会〟とある。クリアホルダーには落語会のチラシが何枚も入っているのだった。

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