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第四章 4 想定外の夜

4 想定外の夜  他の客が入って来たのを潮に二人は画廊を出た。その前に可音にこの辺に昼食に適当な店を尋ねていた。教えられた店に向かって歩きながら、 「変な奴だな」  有田はにやにやしながら言うのだった。常見可音が気に入ったらしい。 「わりと暗い男だけどな」  と応じた礼司には、中園龍平の方がよほど陽キャに見える。人間と幽霊を比べるのも変な話だが。  紹介された資生堂パーラーとやらは見上げんばかりの豪華なビルだった。二人は黙って顔を見合わせるとビルの前を素通りした。他に紹介された店も回ってみたが「うそだろ?」「軽いランチって言ったよな?」と言い合うばかりである。少なくとも学生二人の金銭感覚と可音とは明らかに違うのだった。 「いいや、さすが大家の一族だぜ」  唸るツクツクだった。 「あそこは?」と路地裏の立ち食いそば屋を発見したのは礼司である。  度肝を抜かれた後の立ち食いそばはそれなりに美味かった。有田はかき揚げそばを食べていたが、礼司はかけそばだった。〝軽いランチ〟に揚げ物など胃もたれする物はあり得ない。  そばを啜りながら礼司は落語ではこの仕草を〝そばを手繰(たぐ)る〟と表現すると蘊蓄(うんちく)を披露する。 「マッツン、寮にいた頃は落語のことなんか言わなかったじゃないか」 「あの頃はまだ落語とか知らなかったし。考えたらツクツクと暮らしたのは二ヶ月だけだぞ」 「だから。これからもよろしくな」  頭を下げられ、蕎麦を咥えたまま頭を下げる礼司である。 「実は今度また寮で無修正AV大会開くんだ。マッツンも見に来いよ」 「だってツクツクもう寮に住んでないじゃないか」 「ご要望がありまして、山梨から出張興行することに致しました」 「何だそりゃ?」  などと話しながらの昼食だった。  礼司は夕方から有楽町のホールでまた落語を聞く予定だった。山梨の家に帰る有田とは地下鉄の入り口で別れた。階段の奥に消えて行く背中を見送っている時に思い出した。  玄関に置いてある一升瓶の箱をツクツクに渡すつもりだったのに持って来なかった。酒を呑む前の健康ドリンクだけ渡しても仕方ないではないか。次の機会には忘れずに持って来ようと思いながら踵を返す。  落語会が終わって月光荘に帰ったのは夜十時も近かった。階段を上って二階に近づくと、何やら人の気配がする。まさかまた中園龍平の霊が実体化したのか?  用心深く階段から廊下を伺えば302号室の部屋の前には二人の男が立っていた。(あやかし)ではなく現実の人間らしいが見覚えのない中年男達である。 「何か用ですか?」  警戒心を隠しもせずに尋ねれば、 「警察の者ですが……」  二人の男は揃って懐から警察手帳を取り出した。外廊下の明りに照らされるそれが本物なのか偽物なのか礼司に見分ける術はない。 「何かご用ですか?」  いよいよ疑惑の眼差しを向ける。  中年の男二人は礼司に対して、今日はどこに出かけたか誰と一緒だったか等あれこれ尋ねた揚句にこう言うのだった。 「有田津久志(ありたつくし)さんが今日の午後、地下鉄駅で事故に遭われて亡くなりました」 「はあ?」  驚き呆れた礼司はため息のような声しか出なかった。  ツクツクが死ぬわけないじゃないか。さっき別れたばかりなのだ。こいつらやはり偽刑事ではないか。何かの詐欺かも知れない。 「画廊で常見可音(つねみかのん)さんにもお話を伺いました。お二人で個展を見に行かれたんですよね?」 「それはさっき言いましたけど?」 「地下鉄の入り口で有田さんと別れて、松橋さんは落語を聞きに行ったんですね?」 「それも言いましたけど?」  礼司は妙に腹立たしく、問いを重ねる男達に突っかかるように答えている。それはただ告げられた事実を認めたくないからだが自分では気がついていなかった。  有田津久志はホームドアがない地下鉄の駅で線路に転落して、折しも入線して来た電車に轢かれて即死した。不運な事故なのか意図的な自死なのかは不明である。  警察は有田の荷物から学生証やKANON展の案内状を見つけて捜査に回ったという。男達は噛んで含めるように説明すると「何か思い出したらご連絡ください」と礼司に名刺を渡して帰って行った。ただ呆然と外廊下を立ち去る刑事たちを見送る礼司だった。  302号室の下部が凹んだドアの鍵を開け、暗い玄関の明りを点けた途端に目に飛び込んだのは二本の酒だった。  箱入りの芋焼酎〝森伊蔵〟と吟醸酒〝獺祭〟である。  そうだ、これをツクツクにやるんだっけ。  思い出してから記憶と現実がぐるりと回った。  じめじめと湿った薄暗い場所である。  礼司は何故だかあわててすり減った石の階段を上っている。ひたひたと自分の足音が聞こえるが、にわかに背後からとてつもない轟音が響いて来る。地下道の中を電車が走って来る音である。  背中に凄まじい風圧が押し寄せて来る。と同時に胃の腑を抉るような激しい擦過音が響いて来る。電車が急ブレーキをかけたのである。  何故ならば線路に有田津久志が落下したからである。  誰かがホームから突き落とした。  誰が?  いや自ら飛び降りたのだ。  何故?   礼司は振り向きもせずに階段を上っている。地上に向かって走っている。  列車は有田津久志を避け得ない。跳ね飛ばされた有田の身体は動輪に粉砕されて、血まみれの肉片や骨片となって辺りに飛び散っている。  慣性で走り続ける列車の車輪は有田の上を次々に通過して行く。ブレーキが効くまで…… 「わああぁーーーっ‼」  絶叫した自分の声で目が覚めた。  気がついたら礼司はベッドで眠っていた。手にはスマホを持っている。帰るなりベッドに寝転んでスマホの電源を入れたところまでは覚えている。  落語を聞き始めてから、スマホの電源を切ることが多くなっていた。今夜も落語会場で音を出さないために電源を切ってそのまま帰って来てしまった。  電源を入れてスマホチェックをしようと思ったのに、居眠りをしてしまったらしい。 何と嫌な悪夢を見たことか。  ため息交じりに半身を起こすと、手にしたスマホがぶるぶる震えている(普段はバイブ設定である。最悪電源を切り忘れても音が鳴るよりはましである)。  一瞬びくっとしてから電話に出た。大家のおばさんからの電話だった。いつもなら「はい」と答えた途端におばさんが饒舌に喋り出すのだが、 「夜遅くにすみません。常見です……」  妙に遠慮がちな声が聞こえて来る。 「あの、大家さんですか?」  思わず確かめてしまう。 「いえ。常見可音です。おーばさんちの家電からかけてる」 「あ、ああ。どうも……」 「今日はわざわざ個展に来てくださって、ありがとうございました」 「いや、そんな……」 「夕方画廊に警察が来て。有田さんが……」 「ああ。うちにも警察が来た」 「つい警察に言ってしまって。松橋さんが有田さんと一緒に来たって。迷惑かけたらごめんなさい」 「いや、別に迷惑なんて……」  礼司の頭はまだ半分眠っているかのようである。帰って来たら中年男が二人いた。あれは夢ではなく現実だったのかとぼんやり思い返している。  可音は沈んだ声で言っている。 「何であんないい人が亡くなるんだろう?」 「亡くなった?」  いきなりオウム返しをしてしまった。  可音は驚いたような声音で、 「警察から聞かなかった? 有田さんは地下鉄の駅で線路に落ちて……」 「いや、それは聞いたけど。そうだけど……でもそれってマジ?」  半覚半醒で話しているが警察から聞いた事は覚えている。ただ頭は記憶を拒否している。 「あの人とはもっと話してみたかったのに……残念です。気を落さないでください」  悼む言葉を聞いてようやく礼司は本当に有田津久志が死んだのだと納得するしかなかった。  電話を切ってLINEを見れば、ヒストリア・グルニエのグループLINEにも部長や裕奈からも山のような連絡が入っていた。警察から大学に連絡が入り、有田の訃報は学生課を通じてサークルにまで伝達されたらしい。曰く、 〈有田が死んだ〉〈ツクツクが事故死した〉〈有田くんが電車事故で亡くなった〉〈有田が死んだ〉 〈有田が死んだ〉 〈有田が死んだ〉  礼司こそ有田と最後に会った人間なのに、ずっとスマホの電源を切っていたから一番最後にその死を知る羽目になったのだった。

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