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第五章 1 衣更え
第五章
1 衣更え
山梨の有田津久志の葬儀に皆で出かけた。ヒストリア・グルニエの部長の呼びかけだった。
有田の実家の寺かと思えば、市内にある立派なセレモニーホールで行われたのだった。
「いくら僧侶だからって故人の父親が葬儀を仕切るはずがないだろう」
「系列店の寺がやってる葬祭場らしいよ」
「系列店はないだろう。同じ宗派だよ」
「有田の親父さんが病気になった時も、同じ宗派の寺から坊さんが派遣されて代行してたんだとさ」
急行電車に乗り甲府駅からタクシーに分乗して葬祭場に向かう道々あれこれ情報が飛び交う。
礼司が着ているのは黒いリクルートスーツだった。黒いネクタイや喪章に不祝儀袋、袱紗などを買い歩いたのは礼司というより中園龍平である。さすがに妖のサラリーマン経験は役に立つ。買ったばかりのリクルートスーツが喪服に使えるとは思わなかった。ぼんやりと礼司が思っているのはそんなことばかりだった。
祭壇の正面に掲げられた有田津久志の遺影はまだ髪が長い頃のものだった。襟足でひっつめにしていたから前から見るとオールバックの髪型に見える。
にかっと歯を見せて笑った写真である。ひょっとしたら大学に入学した頃の撮影かも知れない。
「あの髪、ヘアドネーションにしたんだって」
と教えてくれたのは裕奈である。
ヘアドネーションとはボランティアの一種である。小児がんの治療などで頭髪を失った子供たちに医療用ウィッグを作るための毛髪を提供するのだ。おおよそ30㎝以上の長さから毛髪を寄付できる。
「別にファッションじゃなかったんだ。ツクツクの髪の毛……」
何だかんだ言いながら、僧侶の跡継ぎにふさわしい行動をしていたのだと思う一方で、男子寮でのアダルトビデオ鑑賞会の開催はどうなるのだろうといらぬ心配もする。
スーツに抹香臭さを染み付かせて有田津久志の葬儀は終わったのだった。
そして部屋に戻れば礼司はまた玄関先の酒を見て、これをツクツクにあげなきゃと思ったりする。いや、ツクツクはもういないのだ。
また天地が逆転する思いでベッドに寝転がるばかりだった。そして眠れば奇妙な悪夢に飛び起きることが続いた。
夢の中でいつも礼司はじめじめした地下鉄の駅にいて、有田が電車に轢かれる音を背中に聞いている。
何なら礼司は電車を待つ有田と談笑していることもある。鼻先に妙にケミカルな香りが漂ったりする。だが現実ではない。あの日、礼司は地下鉄の入り口で有田と別れたのだから。
「有田さんは何か悩み事でもありませんでしたか?」
そう尋ねたのは二人組刑事のやや年若い方である。礼司はただ首をかしげて「さあ?」と呟いただけである。
ツクツクの死は事故か自殺かわからない。
「けどビミョーで……一人で死んだ。事故か自殺かわからない」
と誰かが言っていた。
確かあれは妖 、中園龍平の死についてである。
ツクツクもビミョーな線なのだろう。
悪夢に目覚める度に礼司は何度も同じことを考える。
刑事たちには言わなかったが、有田は実家の寺を継ぐことを迷っていた。今の大学を卒業して普通に就職するか、仏教大学に転学して僧侶の跡継ぎになるか。「うーん」と何度も呻っては五分刈り頭を撫でていた。
けれどそれが電車に飛び込む程の懊悩だったのか。礼司にはとてもそうは思えなかった。父親が病に倒れて休学しても、あんなに元気な顔で復学して来たではないか。跡継ぎ問題もやがてはクリアーして生き抜く男だと思っていた。
たまたまうっかり足を滑らせて線路に落ちて、そこに運悪くも電車が走って来た。それだけではないのか? いや、それだけって……ツクツクに似つかわしくない不運である。
だが真実を教えてくれる者はもういないのだ。
中園龍平が教えてくれたのは、抹香臭いスーツをクリーニングに出すことだった。クリーニング屋はちうりっぷ商店街にあったが、そこに行く前に衣更えもした。
礼司にとって〝衣更え〟とは高校生までの行事だった。学ランを脱いで半袖ワイシャツになるだけである。制服がなくなれば暑くなる毎に一枚ずつ脱げば済むと思ってそうして来た。
だが中園龍平にとっては冬物のコートやスーツをクリーニングに出し、夏物の薄手のコートやジャケットをクロゼットの手前に掛けることらしい。衣装ケースの中の入れ替えもする。
事のついでに龍平にダサいと蔑まれた斜め掛けバッグも中身を出して掃除をする。ちりちりと音がするのは裕奈からもらった根付の鈴が入れっぱなしなのだった。それは机の上のペントレイに安置する。
ちなみに初音製薬の木村主任にもらって来た龍平の私物のうち、柏家音丸直筆の色紙は額に入れて机の前の壁に飾ってある。
「これもクリーニングできるのか?」
独り言ちながら空になったバッグの抜け殻をためつすがめつする。入学以来使っているからストラップは手垢まみれである。
「捨てちゃえば?」
頭の中で龍平が言い捨てる。むっとして礼司は中のゴミや埃を払ってからまた財布やパスケースなど中身を入れ始めた。
呆れたことにこれも初音製薬でもらって来た健康ドリンクの空き瓶まで入っていたのだ。赤ラベルと金ラベル、空き瓶が二本も入っていた。道理で無駄に重かったはずである。
アパート脇のゴミ捨て場に缶や瓶ゴミ用のコンテナがあるので出がけに捨てに行けば、ちょうど管理人である可音がゴミの整理をしているところだった。
「先日は失礼しました」
頭を下げられて礼司は一瞬何のことかわからなかった。
「夜中に電話して」
とつけ加えられて、やっと有田が亡くなった夜の電話を謝っているのだと気がつく。礼司にとってははるか昔に思えるのだが、可音にとっては〝先日〟なのだった。
「後で日光荘に行ってもいい?」
ふいに思いついて言えば、可音も即座に頷いた。
「昼飯に来れば? おーばさんの料理がある。追悼の会をしよう」
可音の部屋は日光荘の104号室とのことだった。時間を約束すると礼司は喪服に使ったスーツや冬物を抱えてちうりっぷ商店街にあるクリーニング屋に出かけた。
空は抜けるように青かった。見上げればちょうど正午のチャイムが鳴り響く。クリーニング屋を出た足で礼司は日光荘を目指していた。
蒸し暑い土曜日である。うっすら汗をかいているから長袖トレーナーを脱ぎたいが、下はボロTシャツである。これも龍平に「捨てちゃえば?」と容赦なく言われた物である。仕方なく腕まくりだけする。
まず、ひやしんす商店街に出ればいい。何とかそこまで辿り着いたが日光荘は見つからない。方向音痴にとってスマホの地図など屁のつっぱりにもならない。
道に迷っているうちに心にも迷いが生じる。可音は〝追悼の会〟と理由をつけてくれたが、自分は何だって可音の所に行くと言い出したのか。日光荘は一向に現れない。いっそ可音に電話してドタキャンしようと思っていたところ、
「また迷ってんの?」
背後から声をかけられた。
常見可音だった。手にレジ袋をぶら下げているのは昼食を仕入れて来たのだろう。例の鶏肉屋で唐揚げでも買ったのか香ばしい匂いが漂っている。
猫背の腰に長袖ジャケットを巻きつけているのはやはり暑くて脱いだらしい。可音の半袖Tシャツ姿を羨ましく見ているうちに礼司は何やら違和感を覚える。内心首をかしげながら、
「日光荘が見つからなくて……」
言った途端にぷいとそっぽを向かれる。心が折れかけたが「そこ」という声を聞く。可音の視線の先には〝日光荘〟の看板が付いた建物があった。
「えっ⁉」と声を上げてしまう。
既に何度も通った場所なのにその存在にまるで気づいていなかった。
一階の奥、104号室のドアには〝管理人室〟という札が貼ってあった。その横には清掃用具が入っているらしい細いロッカーが立っている。
「どうぞ」と開けられたドアの中を覗けば雑然とした室内だった。
ワンルームの中央に大きな木製のテーブルがあり、空いている床には椅子、キャスター付きの棚、イーゼルに段ボール箱に本の山……と様々な物が散らばっている。
「画廊から引き揚げて来た作品をまだ開いてないんだ」
と解説するのは、壁に何枚も立てかけてある平らで大きな段ボール箱である。
「ここ……月光荘より広くない?」
見回しながら訊く礼司である。不思議なことに物が少なく整っている礼司の部屋より物が溢れて混沌としたこの部屋の方が広く見えるのだ。
「広くない。同じ敷地面積に同じ設計で建てたアパートだよ」
可音は台所に立って、買って来た唐揚げを紙皿に空けている。冷蔵庫からいくつも密封容器を取り出すのは大家のおばさん手製の総菜らしい。可音によれば何かというとこういった料理を届けられ、消費に苦労するとのことだった。
「座ってて」
と椅子の上に積み重なっているスケッチブックや画材を床に下ろせば、それがぶつかって本の山が雪崩を起こす。礼司は唖然としながら室内を眺めていたが、ふと辺りを見回した。
「可音さんはどこで寝てるの?」
大きなテーブルのせいで床に布団を敷く隙間はない。可音は当たり前の顔でクローゼットを指差した。観音開きの扉は開け放たれて中には布団が敷いてある。
「なるほど。あそこを寝室にしたのか」
と手を打ったものの、どう見ても人一人が身体を伸ばして寝るには狭すぎる。枕元には延長コードが引き込まれており読書ライトやスマホの充電器なども揃っている。だがクローゼット空間に収まりきらない布団は斜めに外に出ている。足は外に出して寝る仕様らしい。
クローゼットの上の段にはハンガーパイプが付いているから、そこに上着は掛かっている。だがそれだけで全ての衣類が賄えるとは思えない。尋ねれば、
「あっちの家にも部屋があるから」
というのが答えだった。大家宅の二階に自室があり季節ごとに衣類を持って来るのが常見可音の衣更えのようだった。
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