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第五章 2 追悼の会
2 追悼の会
可音の食事の支度はテーブルの上に散らばった雑誌や画材やその他いろいろをワイルドに向こうに押しやることから始まった。台所から持って来たのは紙皿や紙コップである。もちろん割り箸もある。
「これの方が洗わなくて済むから楽だよ」
言われてみれば合理的だと感心する礼司は、ほとんど自炊をしないのだった。
冷蔵庫から缶ビールを出してから可音は、
「アルコール駄目なんだよね?」
と烏龍茶や緑茶のペットボトルも並べた。
「実は前に可音さんが見た……彼女と帰って来た時も、アルコール飲んで救急病院に担ぎ込まれた後だったんだ」
とその時の顛末を話して聞かせる。可音は柔らかく微笑んで聞いている。礼司は新鮮な気分で丸メガネの笑顔を見ては、下戸ゆえの失敗談あれこれを面白おかしく話して聞かせる。常見可音は笑わない男だとばかり思っていたのだ。
可音が温めて紙皿に並べた料理は、海苔巻き、芋の煮っころがし、切り干し大根、漬物など礼司が食べやすい物ばかりだった。
雑然としたテーブルの角を囲んで席に着く。可音は音をたてて缶ビールを開けると「献杯」と捧げてから呑むのだった。つられて礼司も紙コップの烏龍茶を軽く掲げて口をつける。
「有田さん、本当に残念だったな。せっかく会えたのに」
可音は一気にごくごくとビールを呑んでから、ため息と共に言うのだった。
海苔巻きを食べながら礼司は、有田津久志 と出会った頃のことや今年になって再会したことなどを話すのだった。
「学生寮で秘密のAV鑑賞会……またやるって言ってたけど、どうなのかな。誰か引き継ぐ人いるのかな?」
「有田さんてそういうの好きだったんだ?」
「AVそのものじゃなく、みんなで集まって何か見るみたいな……イベントを仕掛けるのが楽しかったんじゃないかな?」
しみじみ話しているうちに懐かしさが込み上げて来る。
「有田は一年生の四月に寮に入って六月頃には休学したから、結局一緒に暮らしたのは二ヶ月ぐらいなんだよな。今年の春に再会してまた……二ヶ月ぐらいしか……」
言っているうちに、やっとツクツクが死んだのだと思い知る。〝懐かしい〟とはつまり〝もう会えない〟と認めることである。そう気づく以前に礼司は滂沱と涙を流しているのだった。
可音にティシュボックスを差し出されてから、自分が泣いていると思い知る。自己認識は常に遅れてやって来る。「ごめん」とすすり泣いていると、
「凝縮された二ヶ月いや四カ月だったんだ」
言われて途端に嗚咽が止まらなくなる。ティッシュを何枚も引き出して顔を覆って泣き暮れる。
からんと乾いた音がするのは可音がまたビールの缶を空けたらしい。テーブルの上には既に二本の空き缶が転がっており三本目も加わった。そして台所に立って冷蔵庫から、
「松橋さん、ワインは?」
と赤ワインのボトルを出して見せる。
「ワインだってアルコールだ」と声は出なかったが、ぐずぐず泣きながら首を横に振る。
「じゃあ、これをどうぞ」
可音がワインボトルやオープナーと共にテーブルに持って来たのは千疋屋のゼリーだった。礼司の前にころんころんと丸いゼリー容器を何個も転がす。添えられているのはもちろん使い捨てのスプーンである。
すぽんと景気のいい音をたててワインのコルクが抜かれた。礼司の鼻先には渋くも甘いワインの香りが漂って来る。涙と鼻水を垂れ流していなければ、下戸の嗅覚にはもっと明確に高級ワインの香りが届いたはずである。
赤ワインも紙コップに注いで呑む可音である。その動きにも言葉にも全く酔いは見られない。
ようやく涙が止まった礼司は目の前に山になったティッシュを両手でつくねながら、
「ずっと夢……変な、悪夢みたいなの見るんだ」
と打ち明けていた。
有田が死んだと知った夜から幾度となく悪夢を見ては飛び起きている。それらを可音に話しているうちに自分で結論づけていた。
「俺……実は有田の背中を押して線路に突き落としたんじゃないかって……だから地下鉄の階段を走って逃げてるんじゃないかと……」
「それ松橋さんの悪夢だろ? 事実じゃなく」
「でも自分で忘れてるのかも知れない。ほら、ショックな出来事があると一時的な記憶喪失になるみたいな……本当は俺がころ、殺して……」
「だって動機がない」
短く言われて黙り込んでしまう。それは確かにそうなのだ。だが、あの悪夢は何なのだ?
「悪夢ぐらい見るだろう。突然親友が亡くなったんだから」
「親友って別に……二ヶ月と二ヶ月、四カ月しか……」
自分の言葉でまた止まったはずの涙が流れ出す。一体人間の身体にはどれほどの水分が溜まっているのだ?
「時間じゃない。魂は一瞬で通じる」
あっさり言われて呆然と黒縁メガネの奥の瞳を見つめてしまう。
「じゃあ、俺とツクツクは親友だったわけ?」
「こっちに訊かれても。仲良しには見えたけど」
思わず吹き出してしまう。〝仲良し〟という小学生のような言葉と〝親友〟という大人びた言葉のアンバランスさに。
礼司はバスルームで顔を洗って鏡を見た。目は真っ赤で瞼がぽってりと腫れ上がっている。対照的に黒髪は艶々とした見事な巻き毛である。実は葬儀に必要な黒いネクタイや不祝儀袋などの買い物ついでにカリスマ美容師の元に駆け込んだのである。
「至急お願いします」
との無理が通る程度には常連客になっていた。礼司ではなく龍平が、である。
鏡の中にある泣き腫らした顔に向かって、
「動機がない……」
と呟いてみる。
テーブルに戻ると、改めて転がっているフルーツゼリーに手をつける。プラスチックスプーンでぷるんとゼリーを掬っていると可音に尋ねられた。
「松橋さん何でパーマかけたの?」
礼司は無意識に自分の巻き毛を指先に巻きつける。
「中園龍平にそっくりだよ」
可音が追い討ちをかける。
「…………」
礼司は熱心にゼリーを食べている。白桃が贅沢に入っているのを口に含んで咀嚼する。
「わざと似せてる?」
しどけなく肘をついて紙コップにワインを注ぎ足しながら尋ねる可音はさすがに酔ったらしい。それでも言葉が乱れることはない。
とうとうゼリーを食べ終えて、ごくりと唾を飲み込むと、
「幽霊に憑 りつかれている」
礼司は厳かに言っていた。
「だと思った」
と返されて一気呵成に話してしまう。幽霊に憑りつかれて別人格になったかのようにサークルで活躍したり、落語家の追っかけになったり、会社訪問して中園龍平の最期を確かめたり、おかしな行動ばかりしていると。
これまで誰にも話せなかったことである。明かさなかったのは自分が妖 と性行為をしている事実だけだった(もっとも憑依された時点でゲイと明かしたも同然だが、特に言及されなかった)。それでも他人に聞いてもらえるのは身体中に溜まった毒素を吐き出すような爽快さではあった。
可音は特に異を唱えるでなく責めるでなくワインを傾け唐揚げをつまみながら聞いている。礼司はまるで酒席の戯れ言であるかのように無責任に話せるのだった。だが勢い余って礼司が、
「だから有田のことも幽霊に唆 されて、もしかして俺が……?」
と推測に走ると、
「その話は置いといて」
可音はボトルを手に取りながら制するのだった。ワインをまた紙コップに注いでいるが、ボトルはほとんど水平になっている。残りがかなり少ない証拠である。
「ちょっ、可音さん。どんだけ吞んでるの?」
空恐ろしくなって腰を浮かせてしまう。
「まだ一本空けてない。松橋さん、一度お祓いか何かに行ったら?」
「いや、それはそうなんだけど……」
亡くなる直前にツクツクが僧侶の父親に頼んでみると言っていた。
けれど葬儀で見かけた父親は車椅子に座って列席していたのだ。まだ左半身が不自由そうなのに弔問客の一人一人に丁寧なお辞儀を繰り返していた。まさか今更あの父親に念仏など頼めない。とはいえ他に僧侶だの霊能者だの知り合いはいないのだった。
ダメ元で、
「可音さんは霊能者とかの知り合いはいないの?」
聞いた途端に、
「いるわけない」
にべもない答えが返って来た。ひやしんす商店街を歩いている時である。
追悼の会をお開きにして礼司が帰るのを送ってくれたのだった。というか、可音は呑み足りないから酒屋に何か買い足しに行くようだった。
「前に大家さんにもらった吟醸酒とかあるから、今度可音さんに持って来るよ」
礼司は可音から少しばかり離れて歩いている。あれだけ呑んだのに顔色も変えない可音だが、下戸からすれば身体中から発するアルコール臭がたまらないのだった。正直あまり近寄りたくない。
「日本酒はあまり得意じゃないから……」
ふらりと可音が向かったのは商店街の主 であるかのような古びた酒屋である。
「そこの細い道を道なりに行けば、ちうりっぷ商店街に出るから」
と指差して勝手に酒屋に入って行く。
「あ、ありがとう。じゃあ、またね」
礼司が言うのに、背中でひらひら手を振っている。緩慢なその動きだけが酔いを表しているかのようだった。
可音と別れて小道を辿って、チューリップの花を模した街灯の看板を見てようやくほっとする。迷わずちうりっぷ商店街に戻れたのだ。
そしてようやく可音の姿に感じた違和感を思い出すのだった。可音は半袖Tシャツの下に下着を着ているらしかった。中途半端な長さのランニングシャツ的な物が背中に透けて見えていた。
いや端的に言えばそれはブラジャーだった。裕奈が夏場にブラウスの下に着けているようなユニクロの着るタイプのブラジャーに似ていた。
初めて共にベッドに入った時、下着をどう脱がすべきか礼司が悩むより先に裕奈はするりとそのブラジャーを脱いでくれた。おそらく可音が付けているのもそれと同じタイプだろう。
あの猫背の男は密かにブラジャーを着用する趣味があったのかと眉をしかめそうになる。けれど同性愛者で妖 と性交渉している自分がその程度の性癖に驚くのも失礼な気もする。何を着ようと他人に迷惑をかけているわけじゃなし。
なのでとりあえず見なかったことにする。
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