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第十一章 3 形見分け

3 形見分け  電車が都心を離れて山梨県に入ると車窓の緑が次第にくすんで来る。有田の実家がある駅で下車する頃には田園風景の大半は黄色い稲穂になっているのだった。木々も紅葉を始めている。  駅前でタクシーを待つ間もブレザーだけでは涼しい気がする。この先、上に羽織るコートも必要になるのだろう。うかうかしていると季節が動いて(あやかし)に憑りつかれて一年がたってしまう。  有田の実家には既にヒストリア・グルニエの部員や寮の仲間達が集まっていた。寺の駐車場にすみれ色のコンパクトカーが停まっているのが見えたのは、関裕奈も来ているのだった。  有田の妹とは、四十九日に訪れた際に仙台銘菓萩の月を渡した女性だった。まさか高校生だとは思わなかった。大人びた表情の妹だった。  座敷の大きな座卓には大きな寿司桶が据えられて目にも鮮やかなちらし寿司が盛られている。それを取り巻く料理の数々を有田の母親や妹が皆に振舞っている。 「マッツンさん、こちらにどうぞ」  妹に誘われて座布団に座る。お茶や料理を取り分けてもらう。  ぼんやりと見回せば、座卓を取り囲んだ仲間達は料理を食べながら卒業アルバムや家族アルバムを回し見している。礼司は電話で聞いた妹の嬉しそうな声を思い出した。たぶん有田の生前には何かにつけてこうして友人達が集っていたのだろう。 「よかったらあちらも見てくださいね」  母親に促されて床の間を見やれば衣装盆が置かれている。  中には有田が生前使っていた品々が入っている。シャープペンシルなどの筆記具やペンケース、定期入れ財布など礼司にも見覚えのある品も多い。 「礼司くんは何をもらったの?」  母親と入れ替わるようにやって来たのは裕奈だった。手には文庫本を持っている。 「私は有田くんとあんまり親しくなかったから、身に着けてた物は逆に悪いかと思って」  と見せたのは三島由紀夫の『仮面の告白』だった。 「そういえばツクツクはよく本を読んでたな」  学生寮の部屋に据え付けだった机の上の書棚に、礼司は教科書類しか並べなかったのに、有田は実家から持ち込んだ愛読書を並べていた。住んでいる間にも本は着々と増えて行き、書棚には入りきらなくなって足元に積むようになった頃、退寮して行ったのだ。 「有田くんてわりといろんなこと知ってたよね。あんまりひけらかさないけど」  裕奈に言われてみればそうなのだった。たとえば常見可音の画材が〝ガッシュ〟だとすぐわかったように。  思えば中園龍平に憑りつかれたことを真っ先に相談すべきはツクツクだったのだ。今更思っても遅いのだけれど。 「礼司くんてダイエットしてるの?」  未だにカップルであるかのように隣に座った裕奈は、礼司の前に並んだ手つかずの料理を眺めている。礼司は言い訳するかのように箸を取ると、 「別にそんなこともないけど。最近あんまり食欲なくてさ……」  ちらし寿司をぼそぼそ食べながら言った。  このところとみに痩せているのは事実だった。今日履いているのは龍平の見立てで初めて買った体型に合ったスラックスのはずだった。なのにいつの間にか緩くなってベルト穴を一つきつく締めて来た。それでもまだ少しぶかぶかしているのだ。 「考えたら礼司くん、本キャンパスに移ってからどんどん痩せてる。性格も急に明るくなったかと思えば暗くなったりして……。また急に坊主頭になるし。何か深刻な悩み事でもあったのかと」 「いやいやいや。別にそんな、悩みとか……」  口中の物を飲み下してから言った。  もともと胃弱で少食の質ではあるが、(あやかし)に憑りつかれて以来もっと食に興味がなくなっていた。食べるのは他人と共に居る時ばかりである。一人の時はうっかりすれば一日中何も食べなかったりする。  礼司は静かに箸を置いて、 「そうだね。裕奈にも心配かけて悪かったね。近いうちに大学のカウンセリングにでも行ってみるよ」  まっすぐ裕奈の目を見て言うのだった。これまでこんなにも真剣に裕奈を見るのは初めてだったかも知れない。  そこにまた有田の妹がやって来た。白い洋封筒を手にしている。 「これは松橋さんにもらって欲しいんです。兄のパソコンに入っていたファイルです」  封筒にはUSBメモリが一本入っていた。礼司が指先に摘んでまじまじと見ようとするのを慌てて制する妹である。 「いえ後で……お家で見てください。電話でも言ったように兄のスマホやパソコンの処理は私が任されているんです。両親はそういうのが苦手なので」  気のせいか女子高生の妹は頬を赤らめている。 「兄の、ええと……個人的ファイルというか。もし松橋さんが見てイヤだったら処分してください。ただ私が勝手に削除するのも違うと思って……」  妹が言い淀むにつれ礼司は何となく察した。  多分これはツクツクの秘蔵映像なのだろう。男女の無修正エロビデオ。そんな物を形見にするのもどうかとは思うが、学生寮のビデオ大会で披露されたのはツクツクの前説や編集が加わったある種の作品ではあるのだ。削除するに忍びなかったのだろう。 「わかりました。ありがたくいただきます」  礼司はUSBメモリを封筒に戻して、上着の内ポケットに大切に納めた。 「マッツン、お寺で何やってたんだ?」  都内まで戻る電車には部長や何人かの仲間も同乗していた。皆はそれぞれ有田の形見を入れた手提げ袋を持っていたが、礼司の膝にあるのは寺の手提げ袋だった。尋ねられて礼司は正直に本堂で有田の父親に読経をしてもらったと答えた。 「厄除けというか……このところ良くない事が起きるんでお祓いをしてもらったんだ」  みんなが酒を呑んでいる間に礼司だけ父親に誘われて寺に行ったのだ。静かな本堂で本尊の釈迦牟尼仏が見守る中、厄払いの祈祷をしてもらったのだ。  紙のお札をもらうつもりが案外に立派な木のお札を渡す父親に、礼司は財布を出して支払うと言ったのだが、 「いえ結構です。その代わりと言っては何ですが、またいつでも気軽に遊びに来てください。津久志の月命日には寺で若者たちの集いを始めるつもりなので……」  袈裟をまとった父親は前回会った時より更に身体が自由に動いているようだった。これならばツクツクがまた三年生になる頃には跡取りの事に悩むことなく本キャンパスに進学できただろうにと今更詮ないことを思ったりする。  皆と別れて地下鉄に乗ってスマホを見れば意外なメッセージが届いているのだった。 〈たっぱさんのお見舞いに行った〉 「ええっ?」  思わず車内で一人声を発してしまった。数人の乗客にちらりと見られてうつむいてしまう。  何と可音は一人でたっぱの見舞いに行ってしまったのか?  礼司は月光荘に戻るより先に日光荘に駆け付けて可音に事の次第を質したのだった。 「〝音丸通信〟に問い合わせたんだ。たっぱさんの入院先を」  と言う可音はテーブルの横に立てたイーゼルのキャンバスに絵を描いていた。  雑然としたテーブルにパレットや絵の具のチューブが散らばっているが、それがガッシュなのか他の画材なのか礼司には知る由もない。わかるのはキャンパスに描かれているのが柏家たっぱの笑顔であることだけだった。  無邪気な笑顔の頬にえくぼが浮かんでいる。あの前座にえくぼなどあったのか?  というかこの男はこんなにわかりやすい行動をする奴だったのか?  呆れながら見舞いの顛末を聞く。 「ちょうどLilly(リリー)さんがお見舞いに行くって言うから。あんまり何人もばらばらで行くのも悪いから。一緒に行かせてもらった」 「めちゃ積極的だな」  更に呆れて椅子に腰を下ろすと尋ねるのだった。 「それで……たっぱさんの具合は?」 「脊髄損傷だって」 「……脊髄損傷?」  礼司はオウム返しをしてしまう。それはとても大変な怪我ではないのか? 口に出来ずにいると、可音はその問いを聞いたかのように頷いている。 「最悪、歩けなくなって車椅子生活になるかも知れない。でも、そこまで重症でないかも知れない」 「かも知れない?」 「怪我をした直後はまだはっきり診断できないんだって。身体がショック状態って言うか。手当をしてしばらくすれば怪我の度合いがわかって治療方針も固まるんだって」 「……そうなんだ」  いきなり全身に漬物石でも乗せられたような重みがのしかかる。のっそりと腰を上げて帰ろうとするのに、 「松橋さんパイナップルケーキまだ持って帰ってないだろ。親の土産。忘れないでよ」 「……わかった」  礼司は冷蔵庫の中から台湾土産の手提げ袋を出すと、 「もう帰るの?」  拍子抜けした様子の可音に構わず玄関を出た。  むしろ拍子抜けしたのは礼司の方である。この上のろけなど聞かされたらたまらない。とぼとぼと月光荘に帰るのだった。  帰宅する頃には辺りは暗くなっていたが、外廊下の灯りのせいで203号室の扉がはっきり見えた。やはりドアの下の方がべこんと凹んでいる。一体いつまた傷ついてしまったのか。 首をかしげながら鍵を開けて玄関に入る。  パイナップルケーキの手提げ袋はそのまま冷蔵庫に突っ込んで、着替えるなりベッドにひっくり返った。  何やら肌寒いような気がしてクローゼットから掛布団を引っ張り出して被る。  すると頭や身体がどことなく抹香臭い。寺の本堂で焚かれていた線香の香りである。お経を聞いている間に染みついたのだろう。音丸の着物の香りとはまた違った重厚な芳香なのだった。

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