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第十一章 4 鰯の頭クラブ
4 鰯の頭クラブ
形見にもらったUSBメモリの中身を確かめたのはそれから何日もたってからだった。
掛布団を出した翌日には衣類も秋冬物を引っ張り出して、夏物はクリーニングに出していた。またも衣更えの季節である。
日光荘に泊るのは控えるようになったが、管理人として月光荘にやって来る可音の作業を手伝うのは習慣になりつつあった。件の大家さんへの交際宣言の時から続いている。ゴミ置き場の掃除をしながら妖 のことを隠さず話せるのは有難いことだった。
「最近はあんまり出て来ないよ。やっぱりお寺でお経を唱えてもらったのが効いてるのかな」
「こっちは時々部屋が薄ら寒いし。どっかにひーばーがいるのかもな」
などと言い合うのは、可音の心にも救いになっていたのかも知れない。
もちろん大学もアルバイトも休まず通う。中園龍平の取り入る隙や柏家音丸を恋しがる暇を無くすためだった。
予備校でのアルバイトは授業の準備をする下働きだったのに、にわかに講師助手に抜擢(?)される。他で家庭教師のバイトをしていることも勘案されたらしい。講師を手伝いながらいずれは代講も務めて欲しいと随分な期待をされる。バイト代が上がるのはいいが大学や司法試験の勉強がおろそかになりそうでもある。
バイトの抜擢人事に軽く悩みながら帰宅して、音丸が作ってくれた冷凍の三角おむすびを食べる。未練がましく二個だけ冷凍庫に残していたのをとうとう食べ切ることにした。
インスタント味噌汁を啜りながら考える。薬や酒でトリップした龍平が最期に電子レンジに入れたおにぎりの中身は何だったのか?
礼司が用心深くかじった物には高菜と明太子が入っていた。音丸のおにぎりの中身はなかなかバラエティに富んでいて、奈良漬けのクリームチーズ和えなどという物もある。あれを一口食べたがために礼司は泥酔地獄を味わったのだ。そう豪快にかぶりつくわけにはいかない。
どうにも音丸との思い出ばかりが頭に浮かぶので逃げるように有田が残したUSBメモリを見ることにした。
小さな食卓にパソコンを据えてベッドに寄りかかって眺める。三角おにぎりを食べながら見たのは、まず予想通りの秘密のAV大会の無修正ビデオだった。
始まる前にサングラスをかけたツクツクが、
「皆さん大変お待たせしました。アダルト指南ツクツクのマル秘映像のお時間です」
などと嬉しそうな顔を出す(実は仲間達にこれは不評だった。さっさと見せろとヤジが飛ぶのもお約束だった)。
まだ髪の毛が長かった頃だが、それを結ばずに半ば顔を隠すように広げているから怪しさ満載である。
掌で頭を撫でる癖はあの頃からあったはずだが、ショリショリと軽い音がするのに気づいたのは五分刈りになった再会後のことである。
思わず礼司も掌で頭を撫でるが音はしない。盛岡から帰るなり丸刈りにしたのが少し伸びて今はベリーショートになっているのだ。まだパーマはかけられない長さだと思ってから一人で首を横に振る。もう天然パーマを真似る必要はないのだ。
男女の映像は適当に切り上げて〝鰯の頭クラブ〟というファイルを開く。何やらこれもいかがわしい内容かと胡乱な目で見ていると、意外にも真面目なレポートのようだった。
各地の神社仏閣で行っている新しい取り組みの記事などがコピペされている。同性婚を行った神社。小学生の一泊参禅会を催した寺院。寺の本堂でのクラシックコンサート等々。
〈江戸時代、寺は寺子屋であり病院でもありお救い小屋でもあった。老若男女が何かといえば集う場所だった。
葬式のためだけの場所ではなかったのだ。今こそ本来の寺の姿に戻す時ではないか?
昔の檀家制度に捕らわれず、子供や若者も気楽に足を運べる場所にするのだ〉
何とツクツクは実家の寺を継ぐのを前提に、将来寺を繁栄させるにはどうすべきか思案していたのだ。読書家だけあって経営学の本や作家の箴言などの引用もある。
独り言を書きなぐったような中途半端な文章もあった。
〈心に悩みがある者が自由に語れるように場所を提供するのだ。
坊主が上から説教するのではない。互いに語り合うのだ。
匿名の自助グループ方式はどうだろう?
名前はたとえば〝鰯の頭クラブ〟とか?〉
礼司はおにぎりを食べながら自然にくすくす笑っているのだった。
何だかんだ言って、ツクツクは家を継ぎ寺を繫栄させようとしていた。常にまっすぐ前を見つめていたのだ。笑っているうちに涙がにじみそうになる。
あわてて目をこすりながら別のファイルを開いて見る。こちらには特に名前はなかった。
〝0917〟という番号が付いているだけである。
〈今日からまた大学一年生である。同級生より二年遅れての再出発である。実家から新キャンパスに電車で通うのだ。通学時間も無駄にしないで勉強しよう。〉
四月一日の日付の後に決然と書いてある。
大学に復学する時に日記を始めたらしい。
〈ヒストリア・グルニエの部室でマッツンに会った。相変わらずの方向音痴である。〉
と自分のことを記されているのに、またくすくす笑ってしまう。
〈マッツンが髪にパーマをかけて来た。ファッショナブルになってたいそうなイメチェンである。本キャンパスに移ってから以前と随分変わったように見える。〉
礼司は読んでいるうちに次第に笑みが消えて来た。これは日記なのか?
〈マッツンは一年生の頃とはずいぶん印象が変わった。明るく積極的になっている。春の新歓イベントもマッツンの提案で新しい計画が進んでいる。〉
日付を追って読むほどに礼司のことばかり書き連ねてある。気になるのはところどころに出て来る、
〈マッツンには裕奈という彼女がいるのだ〉
〈マッツンの恋人は女性なのだ〉
〈マッツンはまともな男性なのだ〉
といった文章である。
礼司は席を立っておにぎりを食べ終えた皿を流しで洗う。ついでにお茶など淹れながら、今夜はもうあのファイルを読むのは止めようと考える。追い追い読めばいいのだ。
〈おそらく自分は僧侶になって寺を継ぐ。一生独身を貫く。それでいいのだ。〉
なのに礼司は台所を片付けてお茶を啜りながらも読むのをやめることが出来なかった。
〈マッツンは単なる学生時代の親友なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
マッツンが裕奈と(他の女性かも知れないが)結婚式を挙げる時には笑顔で祝福するのだ。〉
そうしてとうとう見つけてしまったのだ。
〈マッツンを愛している〉
唇を噛み締めた。
〈親友ではない。恋人になりたい。セックス込みのつきあいをしたいのだ。〉
何とはなしに辺りを見回した。部屋には誰も妖 もいなかった。
〈結ばれたい。
否! そんな薄汚い性欲でマッツンのような清廉な男を穢してはならない。
一人で勝手に好きになっているだけだ。そしていずれは失恋する。
いいのだ。自分は生涯独身の坊主なのだから。〉
何故だか頭から血の気が引いた。目が潤んでいると思えばキーボードにぱたぱたと涙が落ちて来る。礼司は呆然としたまま泣いているのだった。
記憶の泥沼に沈めた言葉がぼこぼこと猛毒の気泡のように意識の表層に浮かんで来る。
「君、ゲイでしょう?」
そう言ったのだ。いや自分ではない。中園龍平が言ったのだ。
あの地下鉄駅で別れて階段を上りかけたのにホームに取って返した。そして笑顔を浮かべるツクツクに言ったのだ。
「ごめん、ツクツク。さっきのちょっと味見したい」
そうして金色のラベルのドリンク剤を分け合って飲んだのだ。有田はとても嬉しそうだった。
「瓶は僕が捨てとくよ」
手を出して空き瓶を受け取った。手と手が触れて有田が恥ずかしそうな笑顔で線路の奥を覗き込んだのを覚えている。地下鉄が来るのを待ちわびているかのように。
龍平は(礼司は)瓶を斜め掛けバッグの中に入れながらあの台詞を放ったのだ。
「君、ゲイでしょう?」
にっこり笑って有田の目をまっすぐに見つめたのだ。
笑顔の残った口許のまま有田津久志は固まっていた。
「同性愛者なんだ? キモイな。もう僕に近づかないで欲しいな」
言ったのは中園龍平だ。だがその言葉が発されたのは松橋礼司の口なのだ。
そうして龍平は(礼司は)身を翻して地下鉄の階段を駆け上った。背後から迫って来るのは、けたたましい警笛と急ブレーキの音である。断末魔の悲鳴など聞こえなかった。
礼司は(龍平は)明るい街に飛び出して、何ならスキップでもしそうな足取りで帰って行ったのだ。
「キイ、イイイィーーーッ!! キイイィーーッ!!」
ガラスを爪で引っ掻くような音が聞こえる。礼司の喉から発せられている。房事の最中に音丸に首を絞められた龍平が発した喜悦の悲鳴にも似ていた。
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