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第8章 3 さまざまなサプライズ

3 さまざまなサプライズ 〈ありがとう! 僕は音丸さんの〝夢の酒〟完全版を聞いて夢心地だよ♡♡♡ ホントは僕、会ってたくさん感動を伝えたかったのに。 音丸さんは四派の人達と打ち上げでしょう? 僕も百合絵さんたちと打ち上げをしたんだよ。 みんな音丸さんの〝夢の酒〟は完璧だって感動してたよ! 明日から音丸さんはまた旅の仕事だね。 身体に気をつけて行って来てね。 でも寂しいな…… 早く帰って来てね♡♡ 音丸さんが帰るのを首を長くして待ってるよ♡ 愛してる♡♡♡〉  帰りの地下鉄で音丸にメッセージを送った。チビドラゴンが炎のようにハートを口から吐き出しているスタンプも送る。けれど既読はつかなかった。  わかっているのだ。  音丸はしばしばスマホの電源を切る。着信音が高座に響いて演芸の妨げにならないように気を使っているのだが、仕事が終わっても電源を入れ忘れたりする。だから既読がつくのが異常に遅いのだ。  それもまた龍平が交際中に不満に思っていたことらしい。旅仕事が多いのは仕方がないけれど、まめに電話やLINEでやりとりしたい。  そんな願いが叶えられたことはない。思い余って別れを切り出したこともあったらしいが結局は元のさやに納まっている。  若者と異なり老人たちの宴会は程が良かった。早々に切り上げて店の前で解散となった。  ちなみに全員きっちり割り勘だったが、礼司はアルコール抜きだったので多少安くしてもらえた。  ファンサイト管理人の百合絵や四人組の何人かはそれぞれに明日以降、音丸の巡業先に遠征するとのことだった。実は礼司も既に入手している東北公演のチケットをザックの中に持参していた。余一会が終わった後で実家に帰るか、直接遠征に出るか迷っていたからである。  だがこの際、実家より月光荘で一人落ち着いて考えたかった。高速バスではなく地下鉄に乗ったのだ。  夜になっても猛暑は続く。冷房の効いた電車を降りて外に出ると汗が吹き出す。つい首に巻いた珊瑚色の手拭いをむしり取って汗を拭き取る。  酒席で女性陣はこの手拭いを目ざとく見つけて特定するのだった。 「松橋さんたら手拭いをスカーフ代わりにするなんて洒落てるわね」 「そのコーラルピンクは弦蔵師匠の手拭いですわね」 「あの強面に似合わない可愛い手拭いよね」  言われるまで礼司は手拭いにデザインされた文字が読み取れなかったのだ。  酒に酔った女性陣はまるで女子高生のようにきゃっきゃとはしゃいでいた。同調して笑っていた礼司が、にわかに顔色を失った台詞がある。 「音丸さんの耳の下に赤い痕があったでしょう? 上下(かみしも)を切った時に見えたわ」 「見たわよ。私の席からは袖の中も見えたけど、腕にも点々と赤い痕が付いていて……」  最前列に並んでいた婆様方には音丸の身体に着いたキスマークが見えていたのだ。青ざめた礼司を安堵させたのは百合絵の一言だった。 「またダニに刺されたのかしら?」  以前あの古いアパートにダニが発生して害虫駆除の業者が入ったことがあるという。その際に婆様方は虫に刺された音丸に肌に塗る薬や室内の防虫剤などを贈ったそうである。 「またあのお薬をさしあげた方がよろしいかも知れませんわね」  などと言い合っている。  女性の観察眼は侮れない。音丸が肌に痕をつけることに神経質になるのも無理からぬことである。  礼司は駅を出てからにわかに思いついて、実家の姉に今夜は都内のアパートに留まるとLINEをするのだった。  姉は帰省した礼司の姿を珍しそうに上から下まで眺めたものである。(あやかし)の手によるイメージチェンジを女性目線で怪しいと思ったのか? 礼司には到底わからなかった。  夜道はまだ残業帰りの人々が目立つ時間帯だった。常ならば月光荘に近づくにつれ人の姿が少なくなるのに今夜は逆にアパート方面に向かう人影が多くなっていた。  気がつけば、大家の屋敷の玄関や窓々に煌々と明りが灯っていた。いつもはぽつりと玄関灯が灯っているだけなのに。  立ち止まって眺めていると、屋敷の方から幽霊のような白い影が礼司のそばに近づいて来た。 ぎょっとして飛び退るのと、 「こんばんは。松橋さん」  声をかけられた。ちょうど街灯の明りが途切れる所で、人影が誰だかわからなかった。じりじりと後退る礼司である。 「可音です。常見可音」 「あ……」と失礼を顧みず上から下までその姿を眺め回してしまう。  あろうことか常見可音は白いワンピースを着ていた。暗闇ではっきり見えないがレース襟のついた、おそらく小花模様が散っているような夏のワンピースである。  足元にはヒール付きの白いサンダルを履いていた。上流家庭の子女が避暑地の別荘に出かけるような恰好である。  はっきり言って全く似合っていない。まるで男子校の女装大会である。まして立ち居振る舞いが完全に男だから違和感も著しい。さすがに心は男のトランスジェンターである。  可音はそんな礼司の評価が聞こえたかのように「うん」と頷いて、 「部屋に帰って喪服に着替える」  礼司が来た道に向かおうとしている。 「喪服って?」 「ひいばあちゃんが亡くなった。最期だから、ひーばーの見立てた服を着て来いって言われて。似合ってねーの」  ひらりとスカートをなびかせて踵を返す可音である。 「え、亡くなったって……病気?」 「ただの老衰。朝飯食って昼寝してると思ったら死んでたって。今日はお通夜で明日が葬式」 「そ、そうなんだ……ご愁傷様です」  と頭を下げた。 「九十八才、あと一年で白寿だったし。もうおめでたい大往生だよ。みんな言ってる」  猫背のワンピース姿が暗闇にふわりと遠ざかるのを見送った。  その姿が幽霊っぽく見えるのはすぐそばで通夜が営まれているからに過ぎない。そう自分に言い聞かせる。   自室に戻るなり礼司はクローゼットを開けて、有田の葬儀の際に着たスーツを取り出した。クリーニングに出してあるのはワードローブの手入れにもぬかりのない龍平のお陰である。あの時使った黒いネクタイや不祝儀袋、筆ペンなどもどこかにしまってあるはずである。  机の引き出しに不祝儀袋や筆ペンはあったが、黒いネクタイが見つからない。散々に捜し回って見つけたのは、枕元のセックス用グッズが詰まった小引き出しの中だった。  引き出しの中にはネクタイだけではなくカセットテープまで入っていた。その平たく透明なプラケースが何なのか礼司はすぐにはわからなかった。  ケース表のラベルには手書きで〝三代目柏家仁平 東横落語会・八重洲落語会〟と記されている。  たぶん音丸が持って来たのだろう。大切な物だろうから触らずに、そっと黒ネクタイだけを取り出す。  クローゼットにあるスーツにネクタイを掛けて振り向けば、遮光カーテンの隙間から淡い光が漏れていた。大家の庭の庭園灯がいつもより多く灯っているのだ。家屋も雨戸を閉めていないらしく窓の明かりの中で親族らしき人々が動いているのが見える。礼司はカーテンをきっちり閉めて外が見えないようにした。  別にあの老婆の幽霊が見えるのを怖れたわけではない。仮にそういったものが現れたとしても、憑り付くのは順番から考えても自分ではなく可音だと思う。礼司の身体は龍平だけで満員御礼なのだ。  音丸の〝夢の酒〟問題について考えるつもりで勇んで帰って来たのに、思いもよらない事だった。  翌日はもう八月である。六月から延々と続く猛暑の中、礼司は喪服を着込んで大家宅を訪れた。  香典を携えた弔問は明らかに龍平に導かれてのものである。もし礼司一人ならこんな時に何をすべきか思いもよらなかったろう。一度は夕食をご馳走になっているくせに。ほんの一瞬、元サラリーマン中園龍平の憑依をありがたく思ったりする。礼司の世間知らずを補填してくれるのだから。  常見邸は自宅での葬儀に何不自由もない広さだった。玄関から流れるような動線で式場へ入る。  襖を取っ払って何十畳にもした広い座敷にずらりと座椅子を並べてある。設えられた祭壇にはあの老婆、いや可音の曾祖母の遺影がある。幾分若い頃の写真らしく白髪に紫色のメッシュを入れた上品な髪型で、穏やかな微笑みを浮かべている。  その横の親族席で可音はスーツにネクタイの喪服姿で座っていた。猫背に丸眼鏡で座っている姿は男性でしかなかった。大往生の曾祖母を見送るのに女性の恰好をさせられた無念さは、わからないでもない。同性愛を隠すために無理やり女性と交際するに等しい屈辱なのだろう。 屈辱……思ってからまたようやく理解する。  礼司が裕奈と恋人としてつきあう度に何とも言い難い不快感を抱き、時に冷たく対応してしまったのは屈辱に感じていたからだ。真実の自分を隠すために好きでもない相手とつきあい、セックスまでしようとしたのだから。  常見家から帰るなり汗まみれのブラックスーツを脱ぎ捨て、ダークネイビーのサマースーツに着替えた。黒いネクタイはザックに入れて華やかな赤を締め直して家を出る。  東北公演の各地のチケットはまとめて持参している。仙台の実家には寄らずに直接公演初日の盛岡に行くことにした。もはや高速バスなどと悠長なことは言っていられない。新幹線で直行する。遠征が終わって実家に戻る頃には預金残高ゼロになっているかも知れないのだった。  東京駅で新幹線ホームを歩くうちに歩調に合わせて何やら背後で音がするのに気がついた。車内の座席でザックを下ろしてみると音は中からするようだった。着替えを入れた中を探ってみれば底から鈴の根付が出て来た。  浅草寺で裕奈が買ってくれたものである。机の上のペントレイに置いてあったのだが、荷造りで筆記具をザックに突っ込んだ際に紐が絡まってついて来たのかも知れない。  指先に摘んで鳴らしてみる。確か二人お揃いのお守りだと言っていた。今となっては自分がいかに女性の恋人につれなかったか申し訳なく思うばかりである。  ハンカチを出して鈴が鳴らないように丁寧に包み込むと、ズボンのポケットにしまった。

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