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第十三話 1 そして追伸

第十三章 1 そして追伸  あわててハサミを探したがまだ段ボール箱の中である。文具類は筆記具しか出していなかった。仕方なく指で丁寧に開封をしてから便箋を広げた。 「ガスはもう通ってるんだろ? 台所借りるよ」  可音は保冷バッグから密封容器を取り出して昼食の支度をしている。  礼司は上の空で「悪い」と呟いて食い入るように手紙を読んでいた。 〈無事に退院されたとのこと安心しました。  いくら謝っても済むことではありませんが、やはり謝らずにはいられません。  龍平はあなたがアルコールアレルギーと知りながら芋焼酎を呑ませたのです。決して許されることではありません。  元はと言えば私が悪いのです。私があの幽霊にうまく対処できなかったために、あなたを肉体的にも精神的にも苦しめてしまった。  しまいには生死の境をさまよう事態になってしまった。さぞ苦しかったことでしょう。申し訳ありません。  身内を庇うようでご不快に思われるかも知れませんが、あなたがご覧になったのは中園龍平ではありません。その形をした幽霊いえ化け物です。  生前の龍平はもっと素直で明るい青年でした。あんな真似をする卑劣な男ではありませんでした。  どうか私に免じてあの幽霊の仕打ちを許してやってください。心からお詫び申し上げます。 今は龍平の幽霊も浮かばれたことと思います。  もう二度とあなたにご迷惑をかけることはないでしょう。  心安らかに健やかな学生生活を送られることを心から祈っております。〉  署名は〝柏家音丸〟とあった。  この期に及んで礼司は嫉妬の炎が再燃するのだった。 〝我々〟という表記が何よりも許せなかった。音丸と龍平がまるでカップルであるかのように記している。いや確かに生前はカップルだったのだろうが、今や単なる幽霊と人間ではないか。むしろ人として肌を合せた音丸と自分こそが〝我々〟と呼ばれるべきである。 〝身内を庇っている〟という表現にもむかついた。つまり音丸にとって龍平は身内なのだ。礼司はただの赤の他人なのか。あんなにこの身体を貪ったくせに。 〝龍平はもっと素直で明るい青年でした〟これに否やはない。出会った当初は礼司もそう思ったのだ。礼儀正しく誠実に会話する知的な美青年だと。やがてその評価は一転したのだけれど。  音丸に到ってはネクタイで殺されかけたのだ。それでも尚、龍平を庇っている。忌々しいことこの上ないのだった。  そして本文とは別にもう一枚、追伸があった。 〈追伸  私は文蔵師匠の手配で霊のお祓いをしました。  もし松橋さんも望むなら、文蔵師匠に頼んでください。  この追伸だけお見せして音丸から聞いたとおっしゃってください。    きっと手配してくださるでしょう。  あなたの魂が清められますように祈っております。〉  何だかいきなり宗教チックな物言いである。  けれど〝お祓い〟は願ったりかなったりだった。  可音にも追伸を見せて同行を頼んだのは、 「もし一人で行って、あれが何するとその……また迷惑かけると悪いし……」  ただ怖気づいていただけだが可音はあっさり頷いた。 「何ならこっちも頼もうかな。ひーばーの幽霊がまだいる気がするし」  バイクで来た可音はアルコールではなく、熱く淹れた緑茶を啜っている。  礼司がスマホで文蔵師匠のスケジュールを調べている間、可音は新宿の画材屋に買い物に行くのだと珍しくやる気に満ちて語るのだった。 「吉祥寺で個展があるんだ。来年だけどさ」 「へえ、すごいね」 「銀座の個展を見た人が声かけてくれて。カフェに併設してる小さな画廊で。また新作を何枚か描こうと思ってる」  礼司は思わずスマホから目を離して可音を見た。  湯呑みを手にしたまま色鮮やかなちらし寿司を見つめているが可音は何やら心中期するものがあるかのようだった。礼司も励ますように言葉を重ねる。 「よかったね。銀座でやった甲斐があったね」  黒縁メガネのない可音は一人笑顔を浮かべて頷いた。こんな表情を見るのは初めてだった。   つられて、 「たっぱさんの絵はもう完成したの?」  言ってしまってから失言だったと気がつく。  いきなり可音の表情が無に戻ったのだ。 「お見舞いにあげたよ」と淡々と言ってから説明する。 「まだリハビリが続くし、寄席に出るにはもっと時間がかかるし。今後はもう恋愛だの甘ったれたことは言ってられないってさ」  ちょっと待てよ。  するとこいつはもう恋愛的な告白をしたわけか?  どこが引きこもりのコミュ障なのだ⁉  いよいよ可音を尊敬する礼司である。結局自分は龍平に嫉妬するばかりで、音丸に自分の真意を伝えたのは別れる間際、盛岡のホテルであの騒ぎの後でしかなかった。  そしてまた柏家たっぱが無事で落語家を続ける意欲をもっていることに安堵する。いずれあの時のことを真摯に謝る時が訪れることを祈るばかりである。 「じゃあ、もう行くわ」  にわかに腰を上げた可音に礼司も立ち上がった。 「待って、新宿だろ? 俺も乗せてってくれない?」 「タンデム大丈夫?」  とヘルメットを渡される。 「先に理由を訊かないの?」 「新宿末廣亭だろ。弦蔵師匠に会いに行くんだろ?」  可音はいつも飲み込みが早い。  礼司は頷いて、弦蔵師匠は昼席のトリだから終わったら面会できるかも知れないと言うのだった。  アパートの駐輪場の隅に置いてあるオートバイにはヘルメットホルダーにもう一つヘルメットがあった。以前可音が被っていたフルフェイスタイプである。 「これ……?」と礼司が指差すそれを被りながら可音は言ったものだった。 「マッツンのは、おーばさんのメット」 「はい?」 「こっちに税理士事務所があるから乗せて来た。相続税とかいろいろ相談あるからって」 「あ、や、それはそうだけど……」  礼司が驚いたのはあの大家のおばさんが可音のオートバイに乗って来たことである。 「おーばさん若い頃はライダーだったんだ。ひーばーに止められてて。やっと自由になって乗りたがってさ」 「ラ、ライダーって……いや、あの年で危なくない?」 「だからタンデムで来た。シャレにならないよ。ひーばーに続いておーばさんまで逝っちゃったら」 「ならベンツがあるじゃん。車のがまだしも……」 「あの車は小回り利かなくて不便なんだよ。都内の細い道は特に」 「はあ……」  何やら呆れて言葉もない礼司だった。  可音が道路に引き出したバイクに促されるままに跨って、世の中には〝あなたの知らない世界〟がまだ沢山あるらしいと考える。 「タンデムとか久しぶりだな」  独り言ちながらハンドルを握る可音の胴に手を回す。革ジャン越しの細いウェストの感触に思わず両掌が強張る。たっぱを締め付けた時の柔らかい女の肌感触が蘇ったのだ。 「いいから。遠慮しないできちんと摑まって。スピード出すから」  ドルンと勢いよくエンジンをかけて二輪車はアパート前の細い道を走り出した。  なるほど可音は渋滞を避けるように裏道を軽々と走り抜けて行く。デザイン学校に通っていた頃はオートバイ通学だったと言うから慣れた道なのかも知れない。  秋口の冷たい風が全身を吹き抜けていく。バイクに乗るには通気性が良すぎるジャケットだった。何せ可音は革のジャンパーを着用しているのだ。新宿に着く頃には礼司は小刻みに身体を震わせているのだった。 「唇真っ青だよ」  指摘されて黙って頷いた。バイクに乗せてくれと頼んだのは自分だし、薄着をして来たのも自分なのだ。  可音のバイクが新宿通りを画材屋に向かうのを見送って礼司は末広通りに入った。  末廣亭の入り口でまだ震えながら係員に弦蔵師匠に会いたいと告げてから改まって、 「音丸さんに関することで弦蔵師匠にお願いがありまして……松橋と申します」  と丁寧につけ加えたのは〝音丸〟の名前を出すことで、あの強面師匠の警戒心を解きたいからだった。  正直、可音を誘ったのは弦蔵師匠にビビっていたせいもある。龍平は盛岡の老舗ホテルでよくも平気で話かけたものである。  係員も礼司が怪しい客ではないと思ったのか、にわかに身を正して、 「ちょうど今高座に上がってらっしゃいます。松橋様ですね。師匠にはお伝えしますので、楽屋口でお待ちください」  と頭を下げるのだった。  楽屋口は建物の裏手にあるようだった。係員に案内された場所で待つこと十分。にわかに扉が開いて音羽亭弦蔵師匠が楽屋口から飛び出して来た。 「ええと……松橋さん?」  高座着らしい黒紋付の羽織袴姿でルイヴィトンのスーツケースを引いている。 「はいっ!」と礼司が直立不動になったのは、師匠の姿が盃事に出席するヤクザそのものだったからである。 「あのっ、これを音丸さんからもらいまして……」  ザックから出したのはあの追伸の便箋一枚である。手が震えているのは師匠に怯えているのかバイクで冷えたせいか判然としない。

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