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第十三章 3 幽霊いろいろ

3 幽霊いろいろ  中年の主婦は「ごめんなさい」と頭を下げた。 「まだお二人の名前も伺ってなかったわね。こちらが電話でお話した松橋さんですね。あなたは……常見さんですか」  改めて確認してから、霊媒師はまた礼司を見つめた。 「松橋さんに憑依していた霊はもう大丈夫。向こうに……成仏したから。安心してください」  いきなり断言をされる。礼司もつい、 「成仏って……あいつが?」  疑わしげな声を出してしまう。  これまでに中園龍平にされた散々な仕打ちを(性的な事も含めて)暴露する覚悟でやって来たのだ。何ひとつ言わないうちに断定するなど胡散臭すぎる。  そんな気持ちも知らぬげに霊媒師は黙ってふっと微笑むと、 「名前は知らないけど、小さな可愛い龍が雲の上に昇って行くのが見えるの」 「小さな……龍」  ぽかんとする礼司に霊媒師は頷いて見せた。 「チビドラゴン。ええと……龍平? なかその、じゃなくなかぞの……濁るわね、中園(なかぞの)龍平」  思わず知らず頷く礼司である。 「とても納得して安心した表情で……光り輝く雲の向こうに昇って……完全に消えた」  何やら肩が温かいと思えば、主婦の丸くぽっちゃりとした手が肩に触れているのだった。そこから温かい物が胸いっぱいに広がる。 「そうして今はあなたに憑依しているのはもう一人だけ……」 「もう一人……?」  と思わず身を引く。  礼司が思い浮かべたのは柏家音丸だったが、あの落語家は生きているし生霊(いきりょう)になるとも思えない。  案の定、霊媒師はゆるやかに首を横に振っている。 「これも名前かどうか……本人はツクツクって言ってるけど」 「ツクツク⁉」  オウム返しをしてしまう。 「ずっといたけど、ドラゴンの霊力には敵わなかったようね。マッツンを助けられなくて悪かったって謝ってる」 「助け……⁉」  ふいに身体が静かになったかと思えば主婦の手は礼司の肩を離れていた。ふくよかな主婦は自分の膝で両手を握ってそれを熱心に凝視している。 「松橋さん、最近命の危機を感じたことはなかった? 本当なら死んでもおかしなくないような重い病気とか怪我とか……」  礼司はぽかんと中年女性の姿を見つめてしまう。  救急病院での医師の言葉が耳元に蘇る。 「救急外来にいると時々何故助かったのかわからない患者が現れる。……君のアレルギークラスならアナフィラキシーショックで即死もあり得たんだ」 「私にはお酒しか見えないのよ。〝獺祭〟とか〝八海山〟とか……。ううん、あなたが呑んだのは〝森伊蔵〟だわね。でも何でそれが命の危険とつながるのか?」 「僕はアルコールアレルギーなんです。〝森伊蔵〟で死にかけました」  主婦はぱっと顔色を明るくして礼司を見つめた。 「アルコールアレルギー! そう、そうなんですね! ツクツクという人が少しでも呑んでマッツンを助けたかったと言ってます。力及ばずに苦しい思いをさせてすまなかったと……」 「…………」  目の前が涙に曇っている。半分笑いながら、 「何でツクツク……何だよ幽霊って、坊主のくせに……ツクツクが……?」  などと呟いているのだった。霊媒師は礼司にティッシュボックスを渡して穏やかに言うのだった。 「言ってみればツクツクは松橋さんの守護霊よ。あなたを守ってくれる。悪さはしないから祓う必要もない。いずれ自然に成仏するかも知れないわね。あまり気にしなくても大丈夫よ」 「あの、ツクツクは何で死んだんですか?」  横から口を出したのは可音だった。  主婦は席を立って可音の横にある一人用ソファに腰を下ろした。 「安いメロドラマか出来損ないのBLドラマですって」  またしても礼司は阿呆のような顔で主婦を見つめてしまう。 「それってつまり……?」 「ゲイバレしてパニクって足がよろめいて線路に落ちた?」  と確認するのは可音である。  霊媒師は身を乗り出して、その肩に手を掛けて頷くのだった。 「死ぬ気などなかったと言ってます。松橋さんを追いかけて問い質そうか、やめようか迷っているうちに足がもつれて線路に落ちてしまったそうです」 「ほらね!」と言わんばかりに可音は声を出して笑っている。礼司はむっとした表情で睨み返したものの安堵のため息を洩らしているのだった。 「紫色に髪を染めた小柄なおばあさん。それも見えるけど。あなたのおばあさん……ううん、ひいおばあさんね?」  主婦はシャネルピンクのスーツの肩に手をのせて言っている。 「ひーばーが見えますか?」  間近にその顔を見つめる可音に霊媒師は頷いて見せた。そして礼司の肩を触った時より意図的に可音の背中を撫でている。 「こちらはお年を召してらっしゃるから、なかなか手強いですね」  礼司は思わず身を乗り出してしまう。  主婦は静かに可音の背中を撫でている。 「でも、もう成仏してもらわないとね。曾孫さんはもう大丈夫だから。こうしてお友だちもいる。自分一人で何でも決断して行動できる大人です。  どうぞ、安心して光溢れる眩しい場所に行ってください。たぶんあなたのお連れ合いや親戚の方々も大勢いますよ」  常見可音が霊媒師に背中を撫でられていたのはとても長い時間だったような気もするし短い時間だった気もする。  傍で見ていた礼司にはその時間感覚はわからなかった。ただ強張っていた可音の肩が次第に緩むように下がって行くのは気がついた。  やがてどこかでチーン、チーンと鐘を鳴らすような音がかすかに聞こえた。二階から聞こえる時計の音のようだった。 「あら、いけない。もう四時過ぎたのね。子供が帰って来るわ」  主婦が立ち上がる頃には、可音はほんのり頬を上気させていた。まるで湯上りに安心して眠りに就こうとしている幼子のような表情ではあった。  もっとも礼司も似たような表情でいたのかも知れない。  礼司と可音が玄関先で改めて霊媒師にお礼を言っているところに、 「ただいまー! 腹減った‼」  外からばたばたと足音が迫って来た。振り向けば、土埃にまみれた野球のユニフォームを着た中学生だった。キャッチャーが似合いそうな小柄ながっちり体型である。 「ちょっと待って。お客さんがお帰りになるところでしょう。バス停までお送りするから……」  日曜日なのに部活があったのか、客に構わず玄関先で靴を脱ぎ散らかす男の子を母親がたしなめるのに、 「いえ、大丈夫です。バス停の場所は来る時に見ましたから」 「お邪魔しました。失礼します」  と二人で口々に言って家を後にした。  霊媒師の息子を見た二人は笑いを堪えるのに必死だった。少しく家を離れて車道に出てから、 「音羽亭弦蔵⁉」 「そっくり‼」  互いに大笑いするのだった。  中学球児の顔は、かの凶悪顔の弦蔵師匠にそっくりなのだった。  従姉妹(いとこ)の息子? 遺伝子の勤勉さはこんな遠縁にまで届いているのだった。  可音と別れて礼司は地下鉄の大学駅で降りた。新居に到る道はまだ少々心許ない。  街灯が灯る頃合いに迷う道はまたあの頃、月光荘に越して来た頃を思い出させる。不穏な想像は頭から振り払い、何とかサンシャイン・アベニュー201号室に辿り着く。  階段を上って外廊下を覗き込むと人影が見える。ぎょっとして階段を踏み外しそうになる。 「何やってんのよ、礼司」  と言う声は姉のものだった。そう言えばまた秋のヅカ公演を見に上京するはずだった。 「ついでにあんたの新しい部屋を見て来いって言われたから」  親に命じられて見分にやって来たらしい。   なるほどソワレが終わってから着く頃合いではあった。お土産は仙台駅で買って来ただろうカップずんだもち(持ち運びに軽いから)だった。 「ふうん」とレースのカーテンしか掛けてない片側の窓を眺めたり手狭なワンルームをきょろきょろ見回して帰って行った。  今夜は安いビジネスホテルにヅカヲタが集って本日の公演について感想を語り合うのだろう。  礼司が子供の頃はツインルームに泊まったから、見知らぬヅカヲタの歓声を聞きながら眠れぬ夜を過ごしたものだった。最近はシングルルームになってありがたい限りである。いや、別にもう姉の遠征につきあう気もないが。 「それと礼司。人づきあいはきちんとしなよ。あんたと全然連絡がとれないって私の所までメールが来たよ。あの人……前に日比谷で会った男役みたいな……」 「百合絵さん?」 「そう、何かそんなような名前の人。ちゃんと連絡するんだよ」  そう言いおいて姉は帰って行った。  百合絵に関しては可音にも連絡するよう言われていたのだ。  すっかり忘れていた……というのは自分で自分に嘘をついている。思い出したくなかっただけである。 〝音丸通信〟の主催者などと話せば音丸に対する未練を掻き立てるだけである。  とはいえ、実家の姉にまで連絡をするなど余程のっぴきならない用があるに違いない。 〈しばらく連絡できなくてすみませんでした。何か緊急なご用件でしょうか?〉  渋々送ったメッセージに会いたいとの返信がすぐについた。  翌月曜日の夕方に坂上焙煎珈琲店で会うことになった。あの珈琲店に行ったのはほんの春先のことだった。初音製薬に中園龍平のことを尋ねに行った足で小さな勉強会を聞きに行ったのだ。  カランコロンと扉の上に取り付けられたベルが鳴る。予備校のアルバイト終わりにやって来れば、街もアフターファイブの人々で少しく混雑していた。  大きな焙煎器の横を通って店内を覗き込むと仕事終わりらしい客が何人か寛いでいる。その一番奥の席で菅野百合絵が静かにコーヒーを飲んでいた。 「お久しぶりです、百合絵さん。ご無沙汰して申し訳ありません」  礼司は礼儀正しく頭を下げてから、向かい側の席に腰を下ろした。この言動も中園龍平っぽいと自分でも思う。かつての礼司ならこんな世慣れた挨拶は出来なかった。  けれどもう礼司の身体に龍平は憑りついていない。つまり社会性のある師匠がこの身に躾を施して出て行ったわけである。その点だけは感謝している。

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