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第十四章 3 ヅカヲタとキーホルダー

3 ヅカヲタとキーホルダー 「あの男ずっとまとわりついて来て。ホテルを突き止められるの嫌だから通り過ぎてこの先の交番まで行こうと思ってたんだ」  と吐き捨てる姉である。  最安値の定宿は一階ロビーに無料ドリンクバーがある。礼司がお茶でコンビニおにぎりを食べる間、姉はコーヒーを飲みながら件のつきまとい男について散々くさすのだった。 「花のみちをみんなで歩いてる時は気づかれないように黙って後をつけて来て。私一人になったら急にすり寄って話しかけるんだから。キモイったらない! 死ねばいいのに!」 「悪いけど、死ねとか言わないでくれない?」  まだ瞼ぷっくりの礼司は〝死〟という言葉に敏感になっていた。  姉は一瞬黙り込んだが、すぐにまた口を開くのだった。 「男って何なの⁉ 通りすがりの見知らぬ女によく平気で声かけるよ! 女なら誰でもいいわけ⁉」 「ノンケの気持ちはわからないよ」 「何、ノンケって?」 「女が好きな奴ら。俺は男のが好きなゲイだし」  梅昆布おにぎりの最後の一口を飲み込むと礼司は言っていた。何の気負いもなく当り前のように。 「礼司ってゲイだったんだ?」  と立ち上がると姉はドリンクバーに行って紙コップに今度はカフェオレを注いで来た。戻って来て席に着く姉を「何それ?」と責めるのは礼司である。 「何でフツーにドリンク取りに行くわけ?」 「コーヒーに飽きたから。カフェオレがいいと思って」 「じゃなく! 俺、生まれて初めてカミングアウトしたんだぞ?」 「知ってたもん」 「はい?」 「小さい頃からずっとそうだと思ってた」 「ウソつけ」 「ウソじゃない。だからヅカに誘ったんだよ。いつ言ってもよかったのに。長かったねえ」 「…………」  礼司は仕返しとばかりに席を立ってコーヒーを持って来た。やけに粉っぽいコーヒーを一口啜ってから、 「何でわかるんだよ?」 「子供の頃からウルトラマンに目をキラキラさせてたじゃない」 「男は誰だってウルトラマンが好きなんだよ」  言いながら自分でも他の男の子とはヒーローに対する見方が違っていたのは認めざるを得ない。 「あんたのは違うね。恋する乙女の瞳だったもん」  ここぞとばかりに言い募る姉である。 「うるせーよ!」 「そういえば、高校生の時、彼氏と気仙沼までツーリングするってお泊りしたよね?」 「彼氏じゃない! ただの先輩」 「ふられたんだ?」 「だから、そういうんじゃないって!」 「京都には彼氏に会いに行ったの?」 「だから!」  とテーブルを叩きかけてから、おとなしく頷いた。  姉に威勢よく言い返しながら実は礼司の目は潤んでいた。そして、とうとう思い余った一粒がぽろりと頬に流れた。 「……ふられたけど」 「顔ぶんむくれてるもんね。完膚なきまでにふられて泣いたんだ?」 「うるせー。ほっとけ」 「ほっとくよ。私はお父さんやお母さんには言わないから。カミングアウトなら自分でしなよ」 「うん」と頷いてしおらしく礼司は、 「サンキュー。律ちゃん」  幼い頃の呼び名で言ってみる。姉、律子は残ったカフェオレを飲み干しながら、 「司法試験の私塾に、佐藤くんていたでしょう?」 「いたっけ?」 「頭七三で堅物そうな……彼もゲイなんだよ。オープンにしてる」 「へえ」 「だから私塾に入れてやったのに。話さなかったの?」 「はあ⁉」  何を言ってるんだこの女は⁉ 弟の恋の世話焼きをするなどおせっかいも過ぎる。  しおらしい気分は一気に吹っ飛んで礼司はいきなり腹を立てている。感情がとめどなく乱れるのはやはりまだ龍平の実家でナーバスになった心が治まっていないのかも知れない。 「でも、ちょっと不細工だしね。彼が弟の恋人になるのはイヤかも」 「るせーなー‼ 人のことは放っとけよ」  言い放つ礼司に構わずに姉は紙コップを持って先に席を立った。既にチェックインはしているらしく、 「じゃあ、先に寝るよ。礼ちゃん。明日はソワレとマチネ続けて見るから過酷だよ」 「……おやすみ。律ちゃん」  礼司は立ち去る姉の背中にもう一度、子供の頃のように言うのだった。  京都の弔問と姉とのヅカ遠征を同日にしたのは我ながらいいアイデアだった。姉とのやりとりがクールダウンになっていた。  これがなければ礼司は一晩中龍平と音丸とのこと、そして中園家のことを考えてベッドで輾転反側したに違いない。  翌日曜日は礼司も宝塚大劇場で華麗なる歌劇を昼夜で見て帰路に就いた。   礼司は東京行の新幹線に乗ったのだが、姉は神戸三宮から高速バスで仙台まで帰るとのことだった。ヅカヲタたちと出発時間まで呑みに繰り出していた。  昼夜劇場の座席に座り深夜もバスのシートに釘付けになる強行軍でしかも月曜日はそのまま出勤すると言うのだからどれだけタフか知れやしない。  礼司はと言えば京都土産に生八つ橋などを買って帰った。それをヒストリア・グルニエの部室やアルバイト先に配って歩いた。もう一つ残ったのは実は可音に届けるつもりだった。なのに部屋を出て地下鉄に乗った礼司は違う方向の電車に乗っていた。  電車内でいきなりくしゃみと鼻水が出た。気がつけば身体が何となくだるい気もする。風邪のひきはなのようだった。寒い西の街をスプリングコートで出歩いたせいかも知れない。  地下鉄を乗り継いで辿り着いたのは、庶民的なごみごみしたあの街だった。午後の乾いた日差しの中をうねうねした隘路を進み、あのボロアパートを目指す。時々くしゃみをしては鼻をかむ。  途中ポストの前で立ち止まりポケットティッシュを出してから気がついた。これは音丸が遺書を投函したポストではないか? しばしポストの前をうろうろしてからまた歩き出した。  実のところ礼司は心のどこかで音丸がまだあそこに住んでいるような気がしていた。いや、もちろん理性ではわかっている。もうこの世にはいないのだ。幽霊にもならず龍平と共に成仏したことだろう。  京都土産は中国人の陳さんに渡すつもりだった。何なら音丸を発見した時のことを詳しく聞きたい気持ちもあった。  だが細い路地の向こうにボロアパートが見えるべき場所に来て呆然と立ち尽くした。  目の前にあるのは黄色と黒の縞柄塀のフェンスに囲まれたただの更地だった。  恐る恐る近くに寄って見れば、かつて玄関があった位置には、縞柄フェンスが出入り口のようになっており「立ち入り禁止‼」の黄色い看板が付いている。両脇には門番のように赤いコーンが二本立っているのだった。  そこから覗き込んでも、かつてここに昭和の木造建築が建っていたなど想像も出来ない。あちこちに雑草が生えているただの空き地である。ここから入れば玄関があり黒い鼻緒の下駄が転がっていた。奥には二階に続く階段があったのだ。けれど生い茂る草の様子では取り壊されて少しく時間がたっているらしい。  礼司はまた仮囲いの回りをうろうろと行ったり来たりするのだった。いつまで歩いても囲いの中に昭和の遺物であるボロアパートが蘇るはずもない。仕方なく肩を落として元来た道を辿るのだった。手には生八つ橋の手提げ袋をぶら下げたままである。 「あんた! あんた、あれだ。ドラゴン? チビドラゴン?」  人の多い駅前に戻るといきなり肩を叩かれた。振り向けば恰幅の良い男が頬をぴかぴかさせて笑っている。 「髪型変わったね。音丸さんとこ来たのか。もうアパートないよ。マンション建つよ」  中国人の陳さんだった。  この辺の中華料理屋に勤めている陳さんは休憩で外に出て来たとのことだった。仕事着の上にジャンパーを羽織っている。  懐かしそうな陳さんと対面しているうちに唐突に気づいた。  この人にとって自分はチビドラゴンつまり〝中園龍平〟なのである。何やら自分の中でスイッチが入ったかのように、 「せっかくの休憩時間に申し訳ありませんが、音丸さんのことをお聞きしたいんです」  などと妙に礼儀正しく頭を下げて、駅前のカフェに誘っているのだった。  安いチェーン店で財布を出そうとする陳さんに「ここは僕が」とコーヒーをご馳走する。短い時間だが、陳さんが隣室の音丸が亡くなっているのを発見したいきさつを聞くのだった。 「でももうアパートない。音丸さんの思い出なくなった。残念ね。私、別のアパート引っ越した。音丸さんアパートなくなるの知らないで、あの世に引っ越した」  音丸の亡骸は福岡の家族が引き取ったが、部屋に残った荷物、桐箪笥や着物、落語に関する資料などは全て仁平師匠が弟子達と共にやって来て引き取ったという。  前にジジババに聞いたところでは、仁平師匠は都心のちょっとした屋敷に住んでいるから、あの部屋にあった道具など充分保管できるのだろう。 「音丸さんホントに残念だった。寂しいね」  何度も繰り返す陳さんと駅前で別れた。  礼司はすっかり渡すのを忘れていた生八つ橋の手提げ袋を差し出した。 「京都の実家に帰ったお土産です。どうぞ召し上がってくだ……」  言いながら礼司はまたくしゃみをしている。暖かいカフェから出て身体が冷えたらしい。全身にゾクゾク悪寒が走る。  陳さんは手提げ袋を受け取りながらジャケットのポケットからティシュを取り出そうとしたが、財布まで落としてしまう。カフェで支払おうと出しかけた財布である。  地面に落ちて小銭をばら撒く財布を二人してあわてて拾って回る。ふと、財布に付いているキーホルダーを見れば、それは小さな龍が火を吹いているものだった。  チビドラゴンのキーホルダー。音丸が月光荘の合鍵に付けたものと対になるような形だった。 「これ、覚えてる? あんたにもらった、チビドラゴン。音丸さんとお揃い」  礼司は改めてポケットティシュを受け取りながら、 「龍……僕があげた? そうか、そうでしたね……大切にしてくださってるんですね」  何とはなしに陳さんの手の中にあるキーホルダーにそっと触れる。 「ありがとう。陳さん、どうぞいつまでもお元気で」  礼司はまるで龍平のように言っていた。  憑りつかれてなどいない。真似をしただけである。そしてこれが今生での最後の中園龍平のふりだと心に留めるのだった。  陳さんは幸せそうに笑って立ち去った。  礼司は龍平として丁寧にお辞儀をすると、その背中が人混みに消えるまで見送っていた。

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