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第十四章 4 行くべき道

4 行くべき道  陳さんと別れてサンシャイン・アベニュー(もちろん道ではなくアパートである)に戻ってから礼司は発熱した。やはり風邪をひいていたのだ。  一晩高熱でうなされた。夜中にベッドサイドの小引き出しの常備薬を出す。水を飲むついでに解熱剤と風邪薬とを適当に口に放り込んで再び深い眠りに落ちる。悪夢は何も見なかった。と言うか夢を見たかどうかも覚えていない。  翌日には熱は下がったが気だるさは抜けずにベッドの中でスマホを眺めて過ごした。  夜中に飲んだ薬の箱を見て初音製薬の商品だったと気づく。だからどうと言うわけでもない。  その後、風邪が抜けるまで何度か夢を見た。  白衣の中園龍平が帽子やマスクをして工場で錠剤を製造しているのだ。検品の係員が黒い服だったのは音丸だったのかも知れない。  礼司が京都に行っている間に〝音丸通信〟主催の〝柏家音丸追悼落語会〟は終わっていた。 〝音丸通信・最終レポート〟と称するLillyつまり百合絵のレポートでは、キャパシティ400席のホールが満員御礼だったという。一般的にはそう大きな会場とは言えないが、主催者Lillyにとっては最初で最後の大舞台ではあった。立派な興行だったとファン一同が賞賛する声も届いていた。  そうして今年限りで〝音丸通信〟は終了すると短い挨拶で結ばれていた。 〈これまでありがとうございました。そしてお疲れ様でした〉  礼司が送ったコメントである。  正直礼司はもう落語は二度と聞かなくてもいいと思っている。好きだったのは落語というより柏家音丸なのだから。  いつまでも抜けない風邪にうんざりして可音にLINEで愚痴ったら、例によって大叔母さんの手作り料理を持ってやって来た。それを食べたり絵のモデルになったりしているうちに年も暮れているのだった。  年末年始、礼司は実家に帰省しなかった。新しい部屋を整えるに忙しい、というのは親への言い訳だった。姉にカミングアウトしてしまったのが気まずかった。いやもっと正確に言うなら、親の知らない弱みを握られたようで忌々しかったのだ。新年に姉ににやにやされながらお節料理を食べるなんぞまっぴら御免だった。  予備校は年末年始の休みもなかったから、風邪が抜けるなりアルバイトに出かけて小遣い稼ぎに精を出した。春からはいよいよ代理講師の仕事が始まる。礼司は大学院も司法試験も志望から外して、予備校の就職志望一本に絞っていた。何か他にもっといい仕事があるような気もしたが、少なくとも子供達に勉強を教えるのは嫌いではなかったし、最も現実的な選択ではあった。  落語の寄席では一月二十日まで正月興行が続く。そして下席も終わると一月三十一日余一会として新宿の末廣亭では、音羽亭弦蔵師匠が主任の〝柏家音丸を偲ぶ会〟が開かれた。  落語はもう聞かなくていいと思っていた礼司だが、思いがけず参加したのは赤毛青髪の婆様方に連絡をもらったからである。 〈チケットを一枚もらってくれませんか?〉  聞くところによればこの興行は前売りが出て発売日の十時一分過ぎにはソールドアウトになったと言う。そんなプラチナチケットの譲り先を探しているのは実は百合絵だった。  見に行くつもりで取ったが悲しいので行くのはやめて仕事を入れてしまったと言う。  逝去に伴う事務処理も終わり、百合絵もやっと悲しみに浸れるようになったのかも知れない。  チケットを譲ると言われた婆様二人は既に自力で入手していた。それで礼司に回ってきたわけである。 〈もし松橋さんがまだお持ちでないならどうか引き取ってください。音丸さんの追悼会に空席があるのは悲し過ぎます〉  仕方なく礼司は、新宿末廣亭の夜席に出かけたのだった。  柏家音丸の師匠仁平から兄弟弟子まで勢揃いし、音丸の同期や縁のある落語家、色物芸人が顔を揃えた。そして膝前(ひざまえ)が仁平師匠でトリは弦蔵師匠だった。  あの強面師匠が高座に出て来て頭を下げるなりマクラなしで、 「あなた、起きてくださいな」  と若い女性になり切るのだった。 〝夢の酒〟だった。音丸の十八番であり、龍平が殊の外好んだ噺だった。  どう見てもヤクザの風貌の弦蔵師匠が初々しい新妻お花に扮して、夫の夢の女に嫉妬している。駄々をこねる様がどうにも愛らしい。音丸が演じたお花とはまた一味違っている。  そしてまた独自のくすぐりで笑いどころもたくさんあった。  礼司は吸い込まれるように高座に見入っていた。  年末の京都行きから、いや音丸の死を知ってからずっと、ぽかんと開いていた心の洞が笑いですっかり満たされていた。笑えば笑う程心も身体も温まり、しまいには涙まで浮かべて笑っているのだった。  はっきり言ってこれまでは寄席に来ても音丸の落語しかまともに聞いていなかった。他の落語家やましてや漫才、太神楽といった色物などは殆ど流していたのだ。こうしてそれぞれの芸人を見ればどれもそれなりに面白く、開口一番からトリの主任まで打ち合わせでもしたかのように笑いの流れが出来ているのだった。  それに気づくと共に何やら奇妙な感慨に捕らわれていた。あの坂上焙煎珈琲店の追悼会で高座から撮った写真を見た時にも感じた不思議な気分。  扇子の結界の向こうとこちら。龍平がいたこちら側はもう体験している。礼司は音丸がいたあちら側も体験したいのだ。世界がくるりと半回転するような感覚を。  そう思った途端にあまりに途方もない思いつきに自分で自分を嘲笑わずにはいられない。妖に憑りつかれた精神が不安定のままに見た、それこそ夢幻(ゆめまぼろし)である。  ともあれ。弦蔵師匠の〝夢の酒〟には胸を打たれるものがあった。 同じストーリーなのに演じる者によって、また細かな演出によってまるで違う噺のように思えるのだ。  元は〝雪の瀬川〟だった噺が〝夢の酒〟と〝橋場の雪〟に枝分かれしたと言う。いつか錦家福丸師匠の〝雪の瀬川〟も聞いてみたいと思ったりする。  もう少しこの世界を見たい。  もう一度きちんと落語に浸ってみたい。  そんな思いは先の途方もない思いつきを心に植え付けそうな気もするが。  ともあれ、それが礼司の新年の抱負になってしまった。  受験予備校は盆暮れ正月も何もない。ベテラン講師は受験生相手に熱血講義を繰り広げ、新人講師や礼司のようなアルバイトは一、二年生の相手をする。  予定より早めに教壇に立たされて国語や歴史の講義をする礼司だが、呆れたことに現役高校生を相手に話すことにまるでためらいがなかった。口下手とまではいかないが、決して雄弁なタイプではなかったのに(だからこそヒストリア・グルニエで龍平に憑りつかれて流暢に話す礼司に皆が驚き呆れたのだ)。  講義となれば少しばかり笑いも入れて十代の子供たちが聞きやすいように話を進める。そんな自分に自分で驚いている。  まったくもっておかしな話だが、何気なく話した日常ネタが受けた時の快感といったらなかった。いや予備校講師としては講義を理解してもらってこそ喜ぶべきなのだが。 「それって落語家のマクラみたいな?」  と指摘したのは可音だった。  あれ以来、可音は新宿の画材屋に行く度に末廣亭に寄って来るらしくにわかに落語通になっているのだった。  吉祥寺の画廊である。というか、カフェの横にある小さな空間に所狭しと絵を飾った場所である。年も改まり既に三月になっていた。 「KANNON個展 Characters(キャラクターズ)」と名付けた個展だった。  何とポスターの木炭画は仰臥した礼司の姿である。髪は乱れてうっすら無精ひげまで生えた情けない姿である。  見様によっては臨終の床にある売れない作家に見えなくもない。 「死にかけの太宰治か芥川?」  と言いながら描いていたのが可音なのである。  風邪ひきの時に見舞いに来て、ついでに「描いていい?」と頼まれたのだ。拒否する力もなく布団の中で弱々しく頷いた礼司である。  それがポスターの絵になるとは思ってもいなかった。  礼司が被っていたのは羽毛布団なのに、安っぽい綿布団に浴衣や半纏を着込んで横たわっている姿になっている。演出が明治か大正である。  そんなに髭は濃くもないのだが、ここぞとばかりに描き込まれている。 「こんな演出していいわけ?」  むっとして言えば、可音はけろっとして言うのだった。 「全然あり。マッツンは今時のイケメンじゃなく、明治大正のハンサムだよ」  何なんだそりゃ? 「あの幽霊は令和のアイドル顔だったのに……彼にはマッツンがそう見えたんだ?」  ぽつりと言ったものだった。 「彼」とは音丸のことだろう。そうなのだ。初音製薬の木村主任や音丸など生前の龍平を知っている者には礼司の顔が龍平に見えたらしい(すると百合絵もやジジババも実はそう思っていたのか?)。  ともあれ、今回の個展は人物画が主流だった。銀座では風景画ばかりだったのに、ずいぶんと印象が違ったものである。画材もガッシュだけではなく油絵、水彩画、パステル画、木炭画などいろいろな物に挑戦している。  木炭だけの単色で描かれているのは礼司の他に高座の柏家音丸もいた。おそらく演芸写真家の写真集を参考にしたのだろう。  顔ははっきり描かれていないが鋭い一重瞼だけ見ればすぐにわかる姿である。その絵の横には〝売約済み〟の札が付いていた。 「Lillyさんが買ってくれた」  とのことだった。 「今回の絵の中では一番の高値にした。だって……」  と言ったきり可音は理由を言わなかった。けれど礼司も頷いていた。  もし可音がまだ無名の画家だとしても、あの期待の二つ目だった柏家音丸の絵が安くていいはずがない。そんな風に思うのだった。

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