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第8話
冷たい金属と温い指先が交互に皮膚に当たり、火照りと寒気が混ざった。
乾ききらない傷が、ピリピリと病む。
(……やめて、なんて言わない)
それは、ユネにとっての敗北だ。
(この程度のこと……)
ユネは瞼を閉じ、呼吸を整えようとする。
だがヴァスの指は休まず、今度は肩から胸元へとごく浅い圧でなぞった。
布越しでも、その行為がどこか『求める』ような熱を帯びていると分かる。
(体温が、欲しいだけだ)
そう思いながら、いつしか、ユネはヴァスとの体を僅かに離した。
まるで、ヴァスの手が、自分の前面に触れられるよう、自由を与えるように。
止まらない、ヴァスの手の動きに、特別なものが次第に濃くなっていく。
(……情欲、なのか……?)
ユネの頬が熱を持つ。
だが抗おうとする心は動かない。
抗わずにいることが、この場所で生きるための唯一の選択だった。
(熱を奪うために。与える存在であり、怯える姿を見せないために)
ふっと、ユネの中の決意が動き出す。
(このまま、好きになんかさせるものか)
ヴァスに任せていた動きを、自分が握ってやる。
冷たく細く強張った手を、ユネはバスの大きな甲に重ねた。
逆らわないが、明らかな戸惑いが感じられて、ユネは愉悦のさざめきを覚えた。
(そうだ。与えるのは僕。無様に見せてみろ)
ユネに流れる血が、そうすべきと告げている。
ヴァスの手を、そっと、ゆっくりと導く。
重ねた手のひらの下で、その肌が熱を帯びていくのがわかる。
ゆっくりと。
向かう先は、自分ではない。ヴァス自身の腹をたどり、下衣と肌とに間に忍び込ませる。
(おまえに、直接なんて触れない)
ユネは一回り以上も大きなヴァスの手を操った。
指の間に指を添え、じりじりと奥へ。
そうしながら、反対の手では絶え間なく、ヴァスの髪を梳いて頭蓋に沿ってやわやわと撫でる。
そうしながら、ときおりかすめるように、指先で耳を遊ぶ。
(女と同じだ)
体は大きくとも、ユネの手管は側女を抱いた時と変わらずにねっとりと絡んでいく。
無意識だろうか。
ヴァスは首を傾けて、ユネの手に頬を摺り寄せた。
ふっと、小さな笑みがユネの口の端からこぼれた。
(もっと、甘えろ)
言葉にするより、無言のままのほうがよかった。
ヴァスの喉から、断続的な呼吸音が聞こえて来る。それは痛めつけられた傷の間を通って、独特の響きを持っていた。
(イイ声)
相手を翻弄することに、快楽を感じる。
ユネはずっと、そうやって教えられてきた。
主人の──父のあとを継ぎ、この城の主となるための、支配への執着。刻まれた誇りと揺るがない自信。
ヴァスは何も知らず、おそらくは、自分のほうが優位と思ったに違いない。
だが、甘い。
ユネは決して、男に好きにされる身体ではない。心ではない。
ヴァスの手越しに伝わってくる感触が変わった。
脚の間の、柔らかい部分に触れたのがわかる。大きな手のひらが、すっぽりとそれを包む。
ユネは重ねた手に、僅かに力を込めた。それは、ほんの僅かでよかった。
ただそれだけのことで、ヴァスは自ら、指を閉じた。追いかけるように、ユネの指がそれに添う。握り、緩めて、また、力を込める。
(楽しんでやがる)
悪辣とも取れるユネの笑みは、暗闇に隠される。
ヴァスの手を通して感じる、膨らみの弾力。それはヴァスの体格にふさわしく、手にあまるほどに存在していた。
ユネはそっと、ヴァスの耳介を甘く噛んだ。
ただそれだけのことで、中心にあてがった指が縮んだ。
(簡単なやつ)
はじめは、優しくおとなしい、育ちの良い男だと思っていた。
鋭さはあるが、それは武術を修めたからこそのものなのだろうと。
だが、自ら弄り、ユネのささいな刺激に身を震わせるヴァスは、ただの快楽に溺れる愚か者としか思われなかった。
(ほぅら)
ユネはそっと、ヴァスの甲に自分の手のひらを押し当て、さらに下へと誘った。
あっさりとそれへ動き、先ほどまで自分を撫でていたヴァスの指が、欲望の竿へと絡みつく。
(あは……)
心の中で、ユネの笑いが響いた。
ユネの心臓も、高まりを感じて早くなる。
ヴァスの熱は、収まらない。
(……僕が生きるための熱だ。もっと、たぎれ)
ユネは瞼の奥でそう呟き、ほくそ笑む。
ヴァスの指の間から、直接、猛りを持ったものが、ユネの指に触れた。
嫌悪とそして、指先からほぐれてくる熱の心地よさ。
(いいや、熱けりゃ……)
たとえそれが、他人の忌避すべき身体の一部であろうとも、今のユネには貴重な熱だ。
(パンと同じ)
そう、ユネは思った。
ヴァスの息が、さらにかすれ、短く、高く、牢の空気を揺さぶっていく。
ユネに手を重ねられ、自慰にふける浅ましさ。
その手は、ユネの首と一本の鎖でつながり、異様な状況に興奮すら覚える。
満足が、ユネの全身を満たしていく。
(そう、これでいいんだよ)
自らも高ぶりを覚えながら、それでも、慰めはしない。
閉じられたヴァスの目が、涙ぐんでいるのか、まぶたに月光が映って煌めいた。
荒れる呼吸と呼応して、激しさを増す手の動き。
つながった鎖が騒がしく音を立て、その振動がユネの首輪に伝わる。
ユネはすでに、何もしていない。
耽る姿を、ただ、悠然と見下ろす。
暗さと服でわからないが、明らかに容が変わったそこは、窮屈そうにユネの手を圧迫した。
そっと、ユネは下衣を引き下げるように力を込めた。ためらいもなく、ヴァスは腰を浮かせ、足を捻って脱ぎ捨てる。
(容易い。もう、だめじゃないか)
冷たく浮かぶ、ユネの微笑。
あらわにされたそこに目を落とすと、先端にも月の光が宿っていた。
塔の闇の中、金属音と水音。
冷たい石床に敷かれた外套の上、ヴァスは僅かに体を反らせた。
(まだだ)
ユネは、ヴァスから手を外した。
それにすら気づかないように、ヴァスの恍惚は増していく。
二人をつなぐ鎖。
ユネはヴァスの左手から伸びるそれを、彼の背中に回した。
尻の間にあてがい、その肉に食い込ませる。
「!」
声らしきものが、ヴァスの口から飛び出した。
手を動かせば、鎖が尻の間を擦り上げる。その一方はユネが握っていた。
ヴァスの動きに合わせて、鎖は徐々に谷を強く圧し、その羞恥に今までとは違う声が上がる。
ユネは力を見計らった。
ヴァスが耽ることのできる長さ、そして、その度に後ろを刺激する鎖の角度。
(哀れだな)
見下しながら、ユネは笑っていた。
抑えられない欲に溺れながら、同時に鎖で傷つく体を厭うこともできない。
ユネは、ゆっくりと目を細めた。
(いい。なぐさんでやる)
ユネの中に、炎が燃える。
年齢よりも華奢で、線の細いユネだったが、こと、男女の夜となれば容赦がなかった。
彼の情欲は強くはない。代わりに、圧倒的な支配が恍惚をもたらした。
(まさか、こんなところで、男を相手にすることになるとは)
ユネの腹に、ヴァスは気づかない。
(冷てぇ)
心で、ユネは不平を吐いた。
彼がヴァスを受け入れるのは、寒さをしのぐためだけだ。そうでなければ、好みでもない男に触られるなど、虫唾が走る。
自らを煽り立てて忘我に入るヴァスを眺めるのは、格別だった。
だが、体の冷たさだけは、どうなるものでもない。
ユネは焦れた。
馬乗りになった内腿と、頭部に触れる左手以外に、熱を感じられない。
むしろ、鎖を握る右手は余計に冷たい。
「あッ!」
ヴァスから、はっきりとした声が発せられた。
今まで聞いた中で、もっとも大きく、人の声らしく聞こえた。
ユネは脈打つ身体をうかがった。
暖かい肌を探す。
それは、あっさりと見つかった。
ヴァスの首の後ろ、そこから外套の下、薄い木綿の服の、さらにその奥。
背は、どこもあたたかい。じわり、と冷えた指先に熱が広がる。
ヴァスは声を出さない。
冷たいだろうが、何も言わない。
(そうだ、黙ってろ)
ユネはただ、暖かな場所を求めて、手を滑らせた。
思ったよりも、ヴァスの体は逞しかった。
詳しくは知らないが、武術の心得がある肉体だ。
引き締まり、筋肉の凹凸に沿って撫でると、面白いほどに肌が震えた。
(こいつ、感じてやがる)
軽率に、ユネは思った。
(全てが指先に現れている)
その想像通り、ヴァスの手は震え、それでも必死なまでに、自らを擦り上げた。
ユネは瞼を震わせ、喉奥で息を吐く。
(面白い。実に)
背を這い、腰を撫でる頃には、ユネの指は暖かさを取り戻していた。
ちらりと、いたずら心が首をもたげる。
そのまま、指を下腹部へ滑らせ、ヴァスの股関節のくぼみを指先で、つつ、と辿った。
かすかに、ヴァスが脚を狭める動きを見せる。
(ふぅん)
暗い中、わずかな月光を頼りに、ユネはヴァスの顔を見た。
恐怖と羞恥、そしてもう一つの名もない感情が、胸の奥で絡み合う。
硬く目を閉じていても、その震えが耐えがたく高まっていくのがわかった。
夜が深い。
石壁の外を風がなぞり、窓からわずかに差し込む月明かりが鎖の輪郭を鈍く照らす。
ユネはゆっくりと、右手の鎖に、体重をかけた。
鍛えられた尻の肉が、鎖の負荷に耐えて傾き、ヴァスの体が裏返される。それでも、左手の動きは緩めない。いや、緩められないところまで、迫り上がっている。
そうしながらも、ユネの指は、股関節からさらに深みへと、ジリジリと攻めていく。行きつ戻りつする指先の、焦らしに耐えるヴァスの息。それが次第とリズムを壊していくさまを、ユネは何も知らない無垢な顔を装って見守った。
「ヴァス?」
まるで、何でもない、というように、ユネは言った。
戸惑いに、ヴァスは首を左右に振った。
「ここ、暖かいね」
そう囁いたユネの指は、ヴァスの先端をするりと撫でる。指先に絡みつくものを塗りこめるように、円を描く。
「ヴァス?」
逃すことを許さない、ユネの問いかけと眼差し。
半ば息を止めて、ヴァスは唾を飲み込んだ。
その体の震えは、寒さなどではない。それ以上に避けがたく、どこまでも執拗に追い詰めていく衝動だ。
ユネの視線は暗がりとは思えないほどに、しっかりとヴァスを捉えていた。
「どうしたの?」
すっと、ユネは目を細めた。わずかに笑っているようでもある。
ガラス細工のような美しい顔に、毒の色が混じっていた。
「ここ、ずっと熱くなってきた」
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