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第16話 ヒビの入ったグラス

 三人の工場スタッフが加わったことで、作業の進行は一気に加速した。倉庫内の雰囲気も、どこか賑やかになってきた。  伊藤は水を買いに行ったり弁当を手配したりと、右に左に駆け回っている。  手に持ったお弁当を山本に渡し、「車で休んでおいで」と促す。  山本の背中が倉庫の扉の隙間に消えたのを見届けると、伊藤は久米の隣に腰を下ろした。 「仲直り、できたの?」  不意打ちの問いかけに、久米は危うく手に持ったガラスコップを床に落とすところだった。  ――まあ、そもそも『仲直り』って話でもないけれど。  それでも、顔を赤くしながらコクンとうなずく。  伊藤はほっとしたように息をつき、ぐしゃぐしゃと久米の頭を撫で回した。  久米は、伊藤が横の箱からコップを取り出す様子を見ながら、口を開こうとして、結局閉じた。  伊藤はざらついた紙をはがし、コップの表面を指でなぞりつつ、ぽつりと口を開いた 「……何でこんなことしてんのか、聞きたい?」  久米はコップを丁寧にしまいながら、こくりとうなずいた。 「こんな大事な時期に、チームの空気がギスギスしてたらさ……詰むだろう」  相変わらず軽い調子で言いながらも、伊藤は久米の真剣なまなざしに目を細めた。  指先でなぞっていたグラスの一筋の傷――特に目立つその部分を指差す。 「見てみな、これ。いわゆる不良品ってやつ。」  久米は、分かったような分からないような顔で、またうなずく。  伊藤はコップを箱に戻し、少し顔を寄せて、じっとその傷を見つめた。 「どんなものでも、一度ヒビが入ったら、元通りにはならないんだよ。」  淡々とした口調でそう言うと、久米もコップに視線を落としたまま、ぽつりと尋ねる。 「つまり……伊藤さんと、主任って……昔、そういう関係だったり……します?」  伊藤は目を閉じ、軽く肘で久米の胸を突く。 「……そういうストレートな言い方、やめてくんない?」  天井に近い倉庫の小窓に目を向ける。夜の闇が、そこからじわりと滲んでくる。 「ずっと立ち止まってても、俺にも、あいつにも……良いことなんかないんだよ。」伊藤は久米に向き直り、珍しく優しい声で続けた。   「……だろ?」 「……はい。」  久米はまたコップを見下ろす。  胸の奥に引っかかっていた感情が、まるでこのコップの傷みたいに、見えているくせに認めたくないものだと、ようやく気づく。 「お前はバカだけど、あいつもお前が思ってるほど賢くないからな。」  伊藤はコップを片付け、箱ごと脇に押しやると、大きく伸びをしながら奥の段ボールの山を見やった。  「バカ二人がくっついてるのも、案外悪くないもんだろ?」 「……ふざけないでください。」  久米はぷいと顔を背ける。 「お前も少し休め。一時間後に交代だ。」  伊藤は腕時計をちらりと見て、作業中のスタッフたちに視線を向けた。 「プロはやっぱ違うな。俺たちの倍は速い――朝までには片付くだろ。」  久米を送り出したあと、伊藤は再び、不良品の箱に目をやった。  過去のこと――自分のも、山本のも――できることなら、この箱みたいに、さっさと回収して、処理してしまいたい。  営業用携帯の着信音が、上着のポケットから鳴り出す。 液晶に映る「吉田課長」の文字を見つめながら、伊藤は口元に薄い笑みを浮かべた。  ――やっぱり我慢できなかったか。    ※書き下ろし番外編・糖分補給話はnoteで公開することになりました✨ 本日も伊藤×山本の過去話でした✨ 私勝手な妄想ですが...良かったら覗いてみてくださいw ▷▶https://note.com/mochimono339/n/n80a1a4f45387

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