18 / 59

第18話 初めて、主任に認められた気がした

 空が白み始める頃、伊藤は最後のダンボール箱をトラックに積み終えた。山本はシーブイ工場の人たちと一緒に、まとめた不良品の数を確認している。  久米はというと、倉庫の隅々まで歩き回って集めた空き缶をビニール袋に詰め込み、入口付近にどかっと腰を下ろしていた。  ――生まれてから、今が一番ひどいクマじゃないか。  そう思いながら、久米は天井をぼんやりと見上げる。 「主任、どうだったんすか?」  伊藤も疲れきった様子で、ドア外の壁にもたれながらタバコに火をつけた。  山本はスマホの電卓を軽く操作しながら言った。 「全部で120個の不良品。契約上限の2%を、きっかり2ポイントオーバーしてる」  久米は仰向けにひっくり返り、そのまま床に倒れ込んだ。昨日の午後からずっと動きっぱなしで、この結果。  伊藤も頭をかきながら、山間から顔を出し始めた朝日を眺め、ふうっと煙を吐き出した。  一瞬、全員が沈黙する。疲労と落胆が、田んぼに立ち込める朝霧のように漂っていた。  最初にこの重い空気を破ったのは、山上さんだった。彼は山本の前に歩み寄り、深々と頭を下げた。 「本当に申し訳ありません。うちのミスです」  山本は慌てて手を振った。 「二週間前の設備トラブルは事故ですし、そこは理解してます」  それでも、なおも頭を下げ続ける山上に、山本は言葉を継いだ。 「ただ……電話で伺った時は、影響は出ないって……」 「またあいつが適当なことを言いやがったか!」  山上さんが怒りで顔を真っ赤にした。  異変を感じた久米は、慌てて起き上がる。  目の前で、山上さんがスマホを取り出し、すぐさま通話ボタンを押すと、怒鳴り声が倉庫中に響き渡った。 「お前また無責任にOK出しやがって!!」  久米は飛び跳ねるように立ち上がった。  え、なにこの修羅場?  隣でぽかんとしていると、伊藤が小さく「シー」と指を立てた。 「何度言ったらわかるんだ!!出張中でも、機械が壊れたらちゃんと検品しろって言ってんだろ!!社長!!」  しゃ、社長!?  久米は目を丸くする。  社長にこんな言い方して大丈夫なのか!?  工場って怖っ!  伊藤はそんな久米を引き寄せて、耳元でささやく。 「工場の現場じゃ、腕利きのベテラン技師は社長より強いんだよ」  なるほど、久米は大きく頷く。やっぱり、社会って奥が深い。  山上さんは電話を切ると、改めて山本に向き直った。 「山本主任、どうしますか?」 「二次ロット、今どれくらいできてますか?」  山本は少し考えてから口を開く。 「六千個くらいです」  山上さんは即答した。  山本は頷き、不良品の山に目を移した。 「クライアントへの報告は、私のほうで責任を持って対応します」 「今日中に新しい検品フローをまとめます。それに沿って、そちらで再チェックしてもらえますか。この分は、とりあえずこちらで引き取ります。できれば生産ペースも上げていただいて、再検査に回してください」 「了解!」  山上さんは気持ちよく返事をして、他の二人にも声をかけた。 「じゃあ、俺たちはこれで失礼します!」  シーブイ工場の面々を見送ったあと、三人はまた沈黙した。  伊藤はもう一本タバコに火をつけ、半分ほど吸ったところで口を開く。 「で、これからどうする?」  山本はこめかみを押さえながら答えた。 「正直、あとはこの120個だけなんだ。でもシーブイは二次も三次もフル稼働で、今人を割ける状態じゃない」 「もしも二次ロットの八千個で最低ロットを満たせるなら、二次出荷の時にこっちの不足分と不良品数を合わせて補填できる……」  ――となれば、残された道は一つ。  代わりに引き受けてくれる、新しい工場を見つけるしかない。 「――あああああ!!」  突然の叫び声が山間に響き渡る。久米だ。  山本と伊藤が驚いて振り返ると、久米は急いで社用車に駆け込み、何かを掴んでまた勢いよく戻ってきた。  彼の手には、昨日の午前中、伊藤に頼まれてまとめた工場リストがある。 「こ、これなら……いけるかも……」  息を切らしながら久米が指さしたのは、リストの中の一社。  山本はそれを受け取り、指定された名前に目を落とす。 「初耳だけど、大丈夫なのか?」  久米は頷きながら説明した。 「前に伊藤さんと一緒に訪問したことがあって、サンプルももらいました。緊急対応の実績もあって、しかもシーブイさんより単価は安い。ただ、小規模で量産には向かないって理由で見送ってたんです……でも……」 「……でも?」  山本が眉をひそめる。 「最低発注数が、六百個なんだって」  久米に代わって、伊藤がさらっと補足した。彼は久米にウインクする。 「でも、まあ……よく思い出したな、偉いぞ」  ――MOQ(最低発注数)か。  山本は下を向いて考え込む。  視界の端で、久米が真剣な顔をしているのが見えた。思わず、強くは却下できなくなる。    考えを変えよう。 どうせ部長は「手段は問わない」と言っていたのだ。 ……久米の発想も、悪くない。  顔を上げ、山本は言った。 「もし620個で発注できたとして、不良品の120個分を補填して、残り500個はどうするつもり?」 「新しい客を見つけて、売り切ります!」  久米は即答した。  山本はため息をついた。  伊藤に視線を向けると、彼も黙って頷いていた。  肩の力が抜けていく。  ーーこれで当分、また寝不足日々が続くことだけは間違いない。 「……とにかく、まずは先方に受注可能か確認して、見積もりをまとめて。販路については、数字を見てから考えよう」 「はいっ!!」  久米はまるで生き返ったかのように背筋を伸ばし、耳まで裂けんばかりの笑顔で答えた。  主任が、自分のアイデアを採用してくれた。その事実だけで、体中が震えるほど嬉しかった。 「おめでとう、久米君」  伊藤が彼の肩をぽんと叩くと、久米は「ありがとうございます!」と元気よく返し、すぐに駆け出していこうとする。  が、伊藤がその腕を掴んで引き留めた。  そのまま、山本も隣に引き寄せられる。 「今日はここまでにしよう」  二人の肩に腕を回し、伊藤はどこか力の抜けた声で言った。 「一旦家帰って、風呂入って、しっかり寝ろ。午後からまた集合な」 仕事ばっかの回で疲れた皆さまへ—— 次の更新はちょっとご褒美回です。 何のご褒美かって? ……ベッドがひとつしかない朝のことです。

ともだちにシェアしよう!