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第18話 初めて、主任に認められた気がした
空が白み始める頃、伊藤は最後のダンボール箱をトラックに積み終えた。山本はシーブイ工場の人たちと一緒に、まとめた不良品の数を確認している。
久米はというと、倉庫の隅々まで歩き回って集めた空き缶をビニール袋に詰め込み、入口付近にどかっと腰を下ろしていた。
――生まれてから、今が一番ひどいクマじゃないか。
そう思いながら、久米は天井をぼんやりと見上げる。
「主任、どうだったんすか?」
伊藤も疲れきった様子で、ドア外の壁にもたれながらタバコに火をつけた。
山本はスマホの電卓を軽く操作しながら言った。
「全部で120個の不良品。契約上限の2%を、きっかり2ポイントオーバーしてる」
久米は仰向けにひっくり返り、そのまま床に倒れ込んだ。昨日の午後からずっと動きっぱなしで、この結果。
伊藤も頭をかきながら、山間から顔を出し始めた朝日を眺め、ふうっと煙を吐き出した。
一瞬、全員が沈黙する。疲労と落胆が、田んぼに立ち込める朝霧のように漂っていた。
最初にこの重い空気を破ったのは、山上さんだった。彼は山本の前に歩み寄り、深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。うちのミスです」
山本は慌てて手を振った。
「二週間前の設備トラブルは事故ですし、そこは理解してます」
それでも、なおも頭を下げ続ける山上に、山本は言葉を継いだ。
「ただ……電話で伺った時は、影響は出ないって……」
「またあいつが適当なことを言いやがったか!」
山上さんが怒りで顔を真っ赤にした。
異変を感じた久米は、慌てて起き上がる。
目の前で、山上さんがスマホを取り出し、すぐさま通話ボタンを押すと、怒鳴り声が倉庫中に響き渡った。
「お前また無責任にOK出しやがって!!」
久米は飛び跳ねるように立ち上がった。
え、なにこの修羅場?
隣でぽかんとしていると、伊藤が小さく「シー」と指を立てた。
「何度言ったらわかるんだ!!出張中でも、機械が壊れたらちゃんと検品しろって言ってんだろ!!社長!!」
しゃ、社長!?
久米は目を丸くする。
社長にこんな言い方して大丈夫なのか!?
工場って怖っ!
伊藤はそんな久米を引き寄せて、耳元でささやく。
「工場の現場じゃ、腕利きのベテラン技師は社長より強いんだよ」
なるほど、久米は大きく頷く。やっぱり、社会って奥が深い。
山上さんは電話を切ると、改めて山本に向き直った。
「山本主任、どうしますか?」
「二次ロット、今どれくらいできてますか?」
山本は少し考えてから口を開く。
「六千個くらいです」
山上さんは即答した。
山本は頷き、不良品の山に目を移した。
「クライアントへの報告は、私のほうで責任を持って対応します」
「今日中に新しい検品フローをまとめます。それに沿って、そちらで再チェックしてもらえますか。この分は、とりあえずこちらで引き取ります。できれば生産ペースも上げていただいて、再検査に回してください」
「了解!」
山上さんは気持ちよく返事をして、他の二人にも声をかけた。
「じゃあ、俺たちはこれで失礼します!」
シーブイ工場の面々を見送ったあと、三人はまた沈黙した。
伊藤はもう一本タバコに火をつけ、半分ほど吸ったところで口を開く。
「で、これからどうする?」
山本はこめかみを押さえながら答えた。
「正直、あとはこの120個だけなんだ。でもシーブイは二次も三次もフル稼働で、今人を割ける状態じゃない」
「もしも二次ロットの八千個で最低ロットを満たせるなら、二次出荷の時にこっちの不足分と不良品数を合わせて補填できる……」
――となれば、残された道は一つ。
代わりに引き受けてくれる、新しい工場を見つけるしかない。
「――あああああ!!」
突然の叫び声が山間に響き渡る。久米だ。
山本と伊藤が驚いて振り返ると、久米は急いで社用車に駆け込み、何かを掴んでまた勢いよく戻ってきた。
彼の手には、昨日の午前中、伊藤に頼まれてまとめた工場リストがある。
「こ、これなら……いけるかも……」
息を切らしながら久米が指さしたのは、リストの中の一社。
山本はそれを受け取り、指定された名前に目を落とす。
「初耳だけど、大丈夫なのか?」
久米は頷きながら説明した。
「前に伊藤さんと一緒に訪問したことがあって、サンプルももらいました。緊急対応の実績もあって、しかもシーブイさんより単価は安い。ただ、小規模で量産には向かないって理由で見送ってたんです……でも……」
「……でも?」
山本が眉をひそめる。
「最低発注数が、六百個なんだって」
久米に代わって、伊藤がさらっと補足した。彼は久米にウインクする。
「でも、まあ……よく思い出したな、偉いぞ」
――MOQ(最低発注数)か。
山本は下を向いて考え込む。
視界の端で、久米が真剣な顔をしているのが見えた。思わず、強くは却下できなくなる。
考えを変えよう。
どうせ部長は「手段は問わない」と言っていたのだ。
……久米の発想も、悪くない。
顔を上げ、山本は言った。
「もし620個で発注できたとして、不良品の120個分を補填して、残り500個はどうするつもり?」
「新しい客を見つけて、売り切ります!」
久米は即答した。
山本はため息をついた。
伊藤に視線を向けると、彼も黙って頷いていた。
肩の力が抜けていく。
ーーこれで当分、また寝不足日々が続くことだけは間違いない。
「……とにかく、まずは先方に受注可能か確認して、見積もりをまとめて。販路については、数字を見てから考えよう」
「はいっ!!」
久米はまるで生き返ったかのように背筋を伸ばし、耳まで裂けんばかりの笑顔で答えた。
主任が、自分のアイデアを採用してくれた。その事実だけで、体中が震えるほど嬉しかった。
「おめでとう、久米君」
伊藤が彼の肩をぽんと叩くと、久米は「ありがとうございます!」と元気よく返し、すぐに駆け出していこうとする。
が、伊藤がその腕を掴んで引き留めた。
そのまま、山本も隣に引き寄せられる。
「今日はここまでにしよう」
二人の肩に腕を回し、伊藤はどこか力の抜けた声で言った。
「一旦家帰って、風呂入って、しっかり寝ろ。午後からまた集合な」
仕事ばっかの回で疲れた皆さまへ——
次の更新はちょっとご褒美回です。
何のご褒美かって?
……ベッドがひとつしかない朝のことです。
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