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第21話 それでも、任せてみた

  着替えを済ませて寝室を出ると、山本はダイニングテーブルでノートパソコンに向かって作業していた。  ほとんど手を付けていない弁当を見て、久米は思わず声をかけた。 「……主任、あまり食べてないみたいですけど?」 「うん……あんまり、食欲ない」  山本は画面に視線を落としたまま、気のない返事をする。手元のコップに口をつけたが、中身が空なのに気づいて、少しだけ眉をひそめた。 「お水、入れてきます」  久米がコップを持ってキッチンへ向かうと、背後から山本の声が飛んできた。 「コーヒーを」  久米は二つのマグカップにコーヒーを入れ、テーブルへ戻ってきた。 「……そういえば主任、今朝倉庫の時も何も食べてなかったですよね?」  山本はコーヒーを一口含み、何も言わない。  片手でカップを持ちながら、もう片方の手は止まることなくキーボードを打ち続けている。  ――ほんと、この人は、こういうとこだけ一貫してるんだから……  仕事モードに入ると、誰が何を言っても耳に入らない。知り合ってからずっと、久米はそれを身をもって学んできた。  ふうっと一息ついて、カップの縁から立ち上る湯気を吹き、喉を潤す。  そして営業用のスマホを手に取ると、小さな工場に電話をかけ始めた。    午後二時前、山本は会社に戻ってきた。  ドアを開けるとすぐにプリンターから書類を出力し、それを一人の社員に手渡す。 「この品質チェックフロー、一通り確認して。今日の午後四時までに返して。」  それだけ言って、足早に自分のオフィスへ向かう。  伊藤がその後を追い、部屋に入ってきた。周囲を見渡しながら、軽く口を開く。 「……で、あのガキは?」  もちろん、久米のことだ。  にやにやしながら続ける。 「もしかして今日も、息ぴったりで一緒に出勤?」  山本は椅子に腰を下ろし、PCを立ち上げながら伊藤を一瞥した。 「もう例の工場に向かった」 「えっ、あいつ一人で?大丈夫なのか?」  伊藤が少し驚いたように眉を上げる。  山本は特に気にする様子もなく、きっぱりと言い切った。 「緊急発注の可否と予算交渉だけだよ。それすらできないようじゃ、話にならないんだろ。」 「山本主任、相変わらず厳しいな。」  伊藤はからかうように言ったが、山本は何も返さない。それがかえって妙に気になる。  ドア脇にもたれながら、伊藤はちらりと山本の顔色を伺った。どこか青白く見える。 「……なあ、最近また、ちゃんと飯食ってないんじゃないか?」  キーボードを叩く手が、一瞬だけ止まりかけた。でもすぐにまた打鍵音が響く。  ――まるで「余計なお世話」とでも言いたげな反応。  伊藤は軽く首筋を掻き、心の中でため息をつく。 せっかく、わざわざ飯持ってきてやったってのに……  スマホの時計をちらりと確認してから、伊藤は諦めたように言った。 「……まあいいや。じゃあ、俺はこれで。」  ドアに手をかけたその瞬間、山本がふと顔を上げる。 「……どこ行くの?」  半分開けかけたドアの向こうで、伊藤は肩越しに振り返り、悪戯っぽく笑った。 「デート、デート。こっちはちゃんとリア充してんの。」  それだけ言い残して、軽くドアを閉めた。  山本は特に気に留めることなく、すぐに視線をモニターに戻す。  ――やることは山ほどある。  部長に提出する報告書、日常の書類確認、久米が持ち帰ってくるはずの予算案と契約関係の資料……  面倒ごとは、すべて一つずつ片付けるしかない。  山本はデスクの引き出しを開け、中から鎮痛剤の小箱を取り出す。そして、深く、長く息を吐いた。  ――気にしてる暇はない。

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