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第45話 晴れ男たちの作戦会議
13時55分。会議室のドアを開けた久米は、ちょうど出てくる財務部の浅間とすれ違った。
あれ、あいつ……もう帰るの?
と首をかしげていると、会議室の入口に座っていた村田が紙を一枚手渡してきた。
「伊藤責任者と同じ部屋にいたくないんだろ、あの人は」
手に取った紙には、月曜の全体会議で予想される質疑リストが記されていた。
「まあ、うっとうしい奴だけど、これを持ってきてくれたってことは、俺たちのためでもあるんじゃない?」
伊藤が肩をすくめる。
「同じ会社だしな。財務としての責任を果たしてるだけだ」
山本は紙を丁寧にファイルに挟み、久米に向かって言った。
「座って。時間だ」
「……はい」
久米は椅子を引き、指定された席に腰を下ろした。
伊藤が腕時計を確認し、軽く咳払いして場を見渡す。
「それでは定刻になりましたので、ミーティングを始めます。本日の議題は三点――不良補填の進捗、追加ロットの金型、そして来週月曜の全体会議対策です」
一拍置き、進行役としての視線で山本にパスを送る。
「では、出席メンバーのご紹介を山本主任から」
山本はうなずき、右隣の男性へ視線を向けた。
「こちらは顧問弁護士の大平先生。村田さんのことは、今朝すでに会ってるよね。そして黒瀬主任、シーブイ工場の古株です」
そう簡潔に紹介を終えると、補足するように続けた。
「今回の不良率対応は、久米くんの提案が出発点です。皆さん、ご協力よろしくお願いします」
久米は立ち上がって一礼し、再び席に戻った。
会議室のカーテンは半分だけ閉じられ、外にはくぐもった灰青の空が広がっている。山本は左手の親指を眉間に当てながら資料をめくり、静かに話し始めた。
「財務がLINEで投げてきた四つの質問、可行性評価、予算と特許、進行スケジュール、人員体制――久米くん、説明お願い」
「はい」
久米は資料を開き、深く頷く。
「まず、現状のクライアントとの交渉について説明します。
初回ロットの不良率に関して、クライアントは『このロットは受け取らなくてもいい』と主張し、支払いを五割に減額しようとしました。
ですが、社内の検査によれば、不良率は5%を超えておらず、実際には2%台です」
一度言葉を切り、久米は続けた。
「木曜の面談では、この数値を明言せず、『確認中』という曖昧な表現でやり過ごしましたが、相手も実情は察していると思われます。
ひとまずは沈静化していますが、次回の交渉では、確実に攻撃材料として持ち出されるはずです」
久米は伊藤をちらりと見た。
「この点については、伊藤責任者に事前の反論案を用意していただくのが適切だと思います」
「……急に押し付けるなよ」
伊藤はお茶でむせ、ゴホゴホと咳きこんだ。
「続けて」
山本が淡々と促す。
「……まず一点目、不良率の補填対応ですが、シーブイ工場では供給が不可能なため、現在はエイス製作所で小ロットの混合成形を行っています。これにより、追加で620個を再製造しました。
そのうち420個は元の不良品の差し替え用、残る200個は村田さんの第三案――非対称型の金型サンプルとして試作中です。
高単価戦略に向けた価格設定も、現在シミュレーションを進めています」
「非対称金型って……たった200個でも、難易度高いんだぞ」
黒瀬がため息まじりに呟いた。
久米はそこで口をつぐみ、首を横に振った。
「すみません……この部分は、まだまとめきれていなくて……」
「……アシンメトリーな試作型については、いわゆる“リメイク・コンセプト”として、廃材再利用を切り口にデザインクラウドファンディングやコラボ案件で展開できるのでは、と思っています」
村田が顎に手を当て、数秒考え込んだ後、そう口を開いた。
「ちょうど今、クリエイティブ事業部の同僚から声がかかっていて、限定ビジュアルモデルを試してみたいという案件があってね。久米くんとも事前に話をして、可能性はあると見ています」
久米は思わず目を見開いた。まさか――ついさきほど口にしたばかりの案が、もう対策として整えられているなんて……。
驚きと戸惑いのまま、思わず隣の山本を見やる。
だが本人はというと、表情ひとつ変えず資料に目を落としたまま、まるでそれすら想定済みだったかのような落ち着きぶりだった。
――さすが山本さん。
……やっぱり、かっこいい。
「……つまり、それを記念モデルにするってこと?」と黒尾がぽつりと漏らす。
「そう、高額な記念モデルとして、顧客にリターンとして提供する形なら、需要はあると見ています。
さっき村田と試算したところ、コンバージョン率はだいたい12%~18%程度」と、伊藤が引き継いだ。
「……高額で?」黒尾が眉をひそめる。
「廃棄や安値処分に回すより、よほど効率的な処理方法ですよ」
山本が低く、しかしはっきりとした声で言った。
久米も頷きながら、続きを口にした。
「第二に、予算については確かに追加がありますが、全体のプロジェクト予算枠を超えてはいません。
本部の標準金型投入分を削ってバランスを取っています。
また、今回のグラフィック案は独自発明ではなく、特許取得の要件も満たしていないため、権利帰属についても申請の予定はありません」
伊藤が片眉を上げた。
「じゃあ、あっちがその点で文句を言ってくるってことは、予算の流れが問題だったって突きたいのか?」
山本はページを一枚めくりながら、落ち着いた口調で答えた。
「……予算問題だとは明言しないでしょうね。第五項あたりに絡めて、あくまで“解釈の相違”という形で揺さぶってくると思います」
「特許申請を見送ったのは、最善の判断だったな」大平が口を挟んだ。
「先方の要求は飲んだ形になっているし、正面からぶつかるリスクも回避できた」
「おっしゃる通りです」と山本は応じた。その視線が、ふと久米に向けられる。
言葉にはせずとも、その目は確かに彼の成長を見ていた。
伊藤が自分の前に開いていたノートPCのプレゼンをめくりながら口を開いた。
「エイス製作所の金型は臨時対応で、相手先持ち込みの工程です。ただ、こちら側では図面と処理プロセスを文書化して残している。
将来的に量産へ移行するなら、スピード転換が可能です」
山本が大平の方を見ると、大平は軽く頷いて同意を示した。
「進捗については、俺から話すよ」
黒瀬が、ちょうど話し出そうとしていた久米を手で制しながら言った。
「最近は表に出てなかったけど、動きはちゃんと追ってたからな」
そう言って、皆の訝しげな視線を手振りで払いのける。
「今、シーブイの第三ロットはすでに生産完了していて、今日真吾……じゃなかった、伊藤と一緒に不良率と新しい検品手順の確認も済ませた。
現在、第二、三ロッドはもう1回品質チェックに入ってるところ。来月が納品期限だから、エイス製作所は来週中に着工しないと間に合わない」
「月曜に全体会議で財務部に通して、木曜にはクライアント側との交渉……ってところか」伊藤がつぶやく。
彼の頭の中には、まだ拭いきれない懸念があった。
清水をしばらく牽制できてはいるが、最終的にこの案を認めるかどうか――考え出すと、またこめかみが痛んでくる。
「そんなに先のことばっか気にしてどうするのよ。まずは目の前の仕事、ちゃんと片付けよう」
山本が言った。その言葉には苛立ちと冷静が同居している。
――彼にはわかっている。伊藤が何を恐れているかなんて、この付き合いで読めないはずがない。
問題は、最初の一歩でいつも勢いよく飛び出すくせに、土壇場になると怯え出すその癖だ。
「第三に、人員配置についてです」久米が続ける。
「現時点では、昼間は私と伊藤責任者で生産側を回り、夜間は報告書の整理……という体制です」
「それ、配置っていうより、ただの徹夜自損じゃん……」黒瀬がぼそりと突っ込む。
伊藤も頭をかきながら苦笑した。
「俺、ハムスターじゃねえんだから、一日中ぐるぐる回ってらんねえよ」
「でも、今のところは何とか回せてます」久米はそう言って、そっと山本の方へ顔を向けた。目の奥が少し熱い。
「主任としては、応援要員の増員、申請すべきだと思われますか?」
山本の視線が、会議室のガラス扉の向こう、ひとつの人影に止まる。その人影は、ノックしようか迷っているように立ち尽くしていた。
山本の眉が微かに動く――まるでもっと大きな構図の天秤を測っているかのように。
「まずは全体会議を通して、状況を整理した上で判断しよう。今の段階ではまだ早い」
静かに、そう告げた。
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