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第46話 戦うつもりで、背中を預けて
会議室には数分間の静寂が流れ、誰もが黙り込んで思案にふけっていた。
その空気を破ったのは黒瀬だった。
「……あのさ、不良品の件、どうするつもり?久米くん」
「午前中にエイス製作所と話した際に、大学の創作展示に半額で提供するって案が出まして。昼には教授にも連絡を取って、学内のスペースを使って、うちとのコラボ展示として進められそうです」
「おお、ずいぶんと人脈使ってんじゃないの」
黒瀬が大げさに顔を上げて茶化した。
久米は小声でぼそりとつぶやいた。
「……誰かに使ってもらえるだけで、ありがたいですから」
「うん、確かに」村田が隣で久米に頷いた。
山本は黙ったまま原稿に何かを書き込んでいる。再び会議室に静けさが戻った。
しばらくして山本がペンを置き、「ひとまず、ここまでにして想定問答に移ろう」と言った。久米は小さく息を吐き、村田は隣で背伸びをして、久米にウィンクを送る。
「――一項目目は俺のミスってことで、責任取るよ?誰にも渡さねえぞ?」
黒瀬が冗談めかしながら手を挙げた。
伊藤がその手をそっと下ろしながら言った。
「検品ミスに関しては、シーブイ工場と吉田サイドは長年の取引先だし、俺の気が緩んでた部分もある。ここは俺と折半でいいよ」
「お前たちのせいじゃない。契約書は両方とも俺の目で通したものだし、チェック体制の甘さは俺の責任だ。聞かれたら、そう答える」
山本の声は淡々としていた。
「……でもさ、その話を使って山本主任を壇上で吊るし上げようとしてるんじゃないの?やり口が露骨すぎる」
伊藤が顔を手で拭いながらつぶやく。
久米がちらりと山本を見たが、何も言わなかった。
……いや、何も言えなかった。
山本は紙に何かを書き足しながら言った。
「彼らの目的は責任追及じゃない。俺たちが内輪で責任の押し付け合いを始めるかどうか、それを見てるんだ」
黒瀬が「パチン」と音を立ててペンを机に置き、険しい表情で言った。
「山本主任……まさか、最初から全部自分で背負うつもりだったんじゃないでしょうね?」
一瞬、会議室から音が消えた。天井のエアコンの風の音だけが聞こえる。久米は拳を握りしめ、隣の村田は資料をぱらぱらとめくっていた。
山本は肯定も否定もせず、ページをめくりながら読み上げた。
「……二項目目。財務部は“混合金型は人情で補った”と指摘している」
「ほら来た」
黒瀬が顎を手にのせ、皮肉げに言った。
「……あの人たち、試作品も見てないし、現場の様子も知らないくせに。何様なんですか」
久米が噛みつくように言った。
伊藤が頬を掻きながら、少し間を置いて答えた。
「……まあ、彼らが見てるのは数字だから。でも正直、人情で穴を埋めたってのは……間違いじゃない」
「“信頼で一度だけの許容を得た”ことは認めていい。ただし我々が伝えるべき要点は――『これは量産モデルではなく、単発の緊急転用策』。プロセスじゃなく、戦術だ」
山本はそう言いながら、文案にペンを走らせた。
黒瀬がつい笑って言った。
「……なんか、戦争してるみたいな話っすね」
「戦争だよ」
山本は黒瀬をじっと見返したあと、ページをめくって続けた。
「三項目目。エイス製作所との契約終了を提案する、と」
「それはさすがにひどすぎる!助けてもらったのは俺が頭下げて頼んだから――」
久米が思わず身を乗り出し、大きな動きに村田が少し驚いたように肩を引いた。
山本はペンを置き、少し間を空けて言った。
「そう言ってはいけない」
「うん、それだと“情で無理強いした”って話になる」
大平が冷静に補足した。
「正しくは、“今回エイス製作所が提供したのはコストの補填ではなく、生産の柔軟性とブランドの付加価値である”と表現すべきだ」
山本の視線は、不満げに口を結ぶ久米へと注がれていた。
久米は唇を噛みしめ、少し考え込んだ後、言った。
「……じゃあ追加で言ってもいいですか?不良品の処理について、大学との連携で教育目的の提供も進めていると――」
伊藤が頷き、茶をすすって言った。
「……それは、意外と説得力あるな」
山本は想定稿を机に置き、椅子にもたれながら、正面に座る久米に言った。
「言っていいよ」
久米は言葉を飲み込んだまま黙っていた。すると伊藤がページをめくり、目を見開いた。
「……じゃあ、想定問答はこれで――」
「いや、まだあと一問あるだろ?」
黒瀬が伊藤の言葉を遮ってページを指差した。伊藤が肘で突いて小声で囁く。
「なあ、もう少し黙ってろよ……」
大平もページをめくり、少し黙った後で言った。
「山本主任。この項はうやむやにしたままだと、総会で何が起こるかわかりませんよ」
山本は沈黙したまま、何かを見定めるような目をしていた。久米は空気の異変を察知して資料に手を伸ばそうとしたが――
「わっ」
隣の村田が突然声を上げた。
黒いコーヒーが倒れたカップから机にこぼれ、久米の資料が濡れてしまう。久米も慌てて立ち上がり、後ろに下がった。
村田は後頭部を掻きながら言った。
「ご、ごめん、久米くん大丈夫?シャツにかかっちゃったね。早くトイレで洗っておいで」
そう言いながら、やけにぎこちない動きで椅子を引き、ドアノブを掴む手もなぜか震えていた。
久米が立ち上がろうとした瞬間、彼は思いきり椅子の脚にぶつかり、ガタンと音を立てる。
「……わっ、あ、ごめん……!あーもう、俺ほんとダメだわ」
顔を赤くして耳まで真っ赤に染めながら、村田は久米の腕を引いてドアを開けた。
ドアが閉まったあと、黒瀬がため息混じりに笑って言う。
「……相変わらず、演技ヘタだなぁ……」
大平は席を立ち、後ろの引き出しから紙ナプキンとタオルを取り出しながら机を拭き始めた。
「結局、後始末するのは私なんですよね」
山本は問題のページを取り出し、平坦な声で言った。
「これは、彼に見せるべきじゃない内容だ。全部出して」
「……晴、お前どうする気?」
伊藤はページの文字列を見つめたまま、山本に渡しながら聞いた。
山本はペンのキャップを閉じ、紙を受け取りながら言った。
「このまま進んだら、会議も無駄になるから。この点について、また後日話す。」
伊藤は頭を掻き、ぽつりと漏らした。
「……分かったよ。あんたらの戦い方、見せてもらった。協力する。邪魔はしない」
そして、一度だけ山本の方を見て言った。
「……お前、ちゃんとあの子に理由、教えてやれよ。そういうの、言わないまま動くと――ろくなことにならないんだから」
その声には、わずかに昔を思い出すような棘が混じっていた。
黒瀬は小さく咳払いをし、村田の分の資料を出して机に差し出した。
大平が席に戻ると、山本は別の資料を手に取り、静かに言った。
「――では、次。発言順を整理していこう」
久米と村田が会議室に戻ってきたときには、すでに月曜の全体会議に向けた草案作りが始まっていた。伊藤が口を開こうとした瞬間、黒瀬が先に吹き出した。
「その水玉模様の黒シャツ、けっこう似合ってるじゃん。」
「……会社の予備でサイズが合うのがこれしかなくて。
久米は顔を手で隠しながら、身体にフィットしすぎるシャツに少し落ち着かない様子で席に戻った。
山本はそれを一瞥すると、ふっと顔を背けながら「ぷっ」と笑いを漏らした。
久米はノートパソコンを開いて画面の向こうに顔を隠し、「もう、見ないでくださいよ。仕事、仕事」と言った。
「大平、この間に話してた内容を、俺らにも教えてくれよ。」
村田が久米の背を軽く叩きながら言う。
「……やれやれ、リラックスすると敬語も消えるのか。」
大平は苦笑しながら立ち上がり、ノートを持って久米と村田の前に座った。
「この二人、相性いいんじゃない?」
黒瀬が肩の力を抜きつつ、軽口を叩いた。
伊藤が黒瀬の膝をこっそり小突き、「あんまり言うと、晴が機嫌悪くなるぞ」とささやいた。
山本は伊藤をじろっと見てから、ペンでテーブルを軽く叩きながら言った。
「今日は20時までに終わらせるぞ。」
その言葉に誰かがブーイングしかけた瞬間、山本は表情をゆるめ、目元をほころばせて言った。
「終わったら、一杯行こうか。」
その場の空気が一瞬止まった。黒瀬が驚いた顔で言った。
「……今、俺は何を見た?」
村田も口を開けて、「……今、俺は何を聞いたんだ?」とつぶやいた。
大平はペンを置いて、黒瀬と村田に向かって言った。
「見間違いでも聞き間違いでもないよ。うちの山本主任、ちょっと優しくなったかもね。」
「晴がそう言うなら、俺たちはさっさとエイス製作所のじいさんと連絡取らないとな」
伊藤は笑いながら黒瀬の腕を引っ張った。
「――もうちょい座らせてよ……」
黒瀬はぶつぶつ言いながらも伊藤に引きずられていった。ドアが閉まりかけたとき、伊藤は久米に向かって「また後でな」と言った。
久米は小さく頷いて立ち上がり、山本のそばに寄って、そっと耳元でささやいた。
「今日は、飲みすぎちゃだめですよ……あの日のこと、ちゃんと覚えてますからね。」
山本は少し顔をそむけ、「……俺を制限かける気か?」と低く返した。
「――久米くん、仕事仕事!」
村田が笑いながら叫び、会議室の空気は一気に賑やかになった。
それでも山本は、うるさいとは思わなかった。彼は肩の力を抜き、ふうっと息を吐いた。
――たとえ完璧にはできなくても、やってみせなければ。じゃなければ、誰が俺の代わりを務めるというんだ。
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