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第49話 恋人未満の朝と、こっそり映画館の告白

 山本は久米の腕の中で目を覚ました。肩にかかっていた久米の手をそっとどけて、上体を起こす。カーテンの隙間から射す朝の光――今日は晴れるらしい。  首を傾け、静かに久米の寝顔を見つめる。穏やかな寝息、わずかに上下する胸。 山本はそっと指を伸ばし、久米の頬をつついた。痛くも痒くもない程度に。久米は眉をひそめ、身じろぎしてまた眠りに落ちる。  山本は思わず笑みをこぼした。だが、その指先はほんの一瞬、頬に留まった。  手を引っ込めて、そっと立ち上がる。物音を立てないよう気を配りながら寝室を出ると、扉を静かに閉め、リビングを見渡した。フローリングの模様、ローテーブルの位置、沈んだままのクッションと毛布。  目尻の乾きを指でこすり、山本はキッチンでコーヒーを淹れた。濃厚な香りが室内を満たしていく。 現在時刻は七時半。久米が目覚めるまで、もう少しかかりそうだ。 ノートパソコンを立ち上げて、メールボックスに目立ちの一通未読が上の方で、静かに寝ている。 「この案件、お前に任せた意味を見せてくれ。 」 牛島だった。 まるで試されているみたいだな、と山本は一瞬だけ目を伏せた。  一口コーヒーを飲みながら、これから取り掛かるべき事柄を思い浮かべていた。  一つ一つ、やっていこう。難しくても。 それでも、やるしかない。 この朝を守るためにも。  久米が寝室からあくび混じりに現れたのは、ちょうど山本がテーブルに向かい、ノートパソコンの画面を見つめていた時だった。 椅子の上には荷物の詰まったリュックが置かれている。  久米は一瞬足を止めたが、何事もなかったように振る舞い、キッチンのシンクで冷たい水をコップに注ぎ、一気に飲み干す。 「……休みの朝までお仕事ですか」  ツッコミというより、呟きに近いその言葉に、山本は久米を一瞥し、 「よし、今日はお互い仕事の話は無しってことで」と言った。  ノートパソコンを閉じてリュックにしまい、スマホの画面をひと撫でする。未読の通知を無視して、山本は静かに言った。 「もう十一時だ。ちゃっちゃと支度して、出かける準備しな」 「はーい」と久米は元気に返事をし、水の入ったコップをシンクに置くと、小走りで洗面所へ。蛇口をひねった瞬間、目を伏せる。  会議の最後、全員が何かを言いかけては飲み込むような雰囲気だった。久米は目を閉じ、冷たい水を顔にあて、息を止める。  ……みんな、何かを隠している。  山本さんも含めて。  大きく息を吐き、体を起こす。前髪の先から水滴が頬へと落ちていく。鏡に映る自分を見つめて、小さく呟いた。 「……ありえないよ」 「何がありえないんだ?」  びくりと肩を震わせて振り返ると、山本がいつの間にかドア枠にもたれていた。 「な、なんでもないです!独り言で……」  久米は慌ててタオルで顔を拭う。山本は口を尖らせ、 「さっき、映画のチケット買っといたから」と言った。 「了解です!!あと五分……三分で準備終わります!」と久米は歯を磨きながらシャツを脱いだ。山本は呆れたようにリビングへと戻る。  口をすすぎながら、久米は心の中で自分を罵った。バカ、今日は山本さんとの初デートだぞ? 信じられるか!? さっさと支度しろって!     週末の映画館は人が多かったが、山本が選んだ映画のシアターだけはやけに空いていた。  久米は大きなポップコーンのバケツを抱えて、山本の後をついて席に向かう。山本が自分の席を見つけて座り、隣の席をポンポンと叩いた。 「……で、これ何の映画なんですか?」  久米が座ると、山本は彼のポップコーンから数粒つまみ、口に放り込む。 「犬が家出する話」 「へぇ……」  久米は意味が分からないという顔でスクリーンの広告映像を眺める。隣からは、何度も山本の手が伸びてきてはポップコーンが減っていく。  数秒沈黙したあと、久米はぼそりと尋ねた。 「こういうの……好きなんですか?」  山本は久米を一瞥し、無言で彼の口にもポップコーンを詰め込んだ。 「余計なこと言わずに、黙って見てろ」  久米はもぐもぐしながら、広告映像を見つめる――いや、まだ本編始まってないですけど、山本さん。  しかし、映画が進むにつれ、久米の目にはどんどん涙が溜まっていく。一方、穏やかなストーリーに飽きたのか、山本は隣で静かに眠りについていた。  エンディング曲が流れるころ、久米はすっかり涙まみれ。震える肩に、山本の頭がもたれかかっている。  館内の照明がゆっくりと灯る。山本は目を半開きにしながら体を起こし、スクリーンをぼうっと見つめていた。 「……こんなに感動する映画、どうして人少ないんだろう……」  久米はストローを噛みながら、涙声で呟いた。  山本は横を向いて吹き出した。久米の感動しきった顔を見まいと、目線を逸らす。 「せっかく連れてきたのに、途中で寝てたじゃないですか!」 「犬がなぜ家出したのか、それだけが気になってたんだよ。」  山本のその返答に、久米はぽかんとし、そして顔が赤く染まっていく。 「……こんなこと、ここで言うのも変だけど……今、めちゃくちゃ山本さんにキスしたい」 「は……?」  山本が首を傾げるより早く、久米の手が彼の首の後ろに回った。 「……ここは外だ」  山本は反射的に体を引いた。 「……じゃあ、誰もいないとこで」  久米の目が逸らされず、真っ直ぐに見てくる。山本が息を呑んだまま動けなかった。  トイレの個室のドアがバタンと閉まる。山本はそのまま押し込まれ、信じられないものを見るような顔で久米が鍵を閉めるのを見ていた。 「おい、ここはちょっと――」  山本が距離を保とうと手を上げたが、手首を久米にそっと握られる。 「……ちょっとだけでいい、ほんとに」 「おまえ、何を……」  久米は赤くなった顔を伏せた。視線を合わせることはできない。それでも、ゆっくりと距離を詰めてくる。 「ゆ、悠人……ん……」  言いかけた言葉は、唇で塞がれた。  狭い個室に二人分の吐息が響く。山本は目を見開いたまま数秒硬直し、やっとのことで久米――いや、久米の唇が離れたとき、目尻がじわりと熱くなっていた。  二人とも黙ったまま、頭上の換気扇だけが無遠慮に音を立てている。  久米は背中をドアにつけ、息をついた。そしてそのまま山本を抱きしめた。 「……山本さん」 「言いたいことがあるなら、さっさと言え」  山本は不機嫌そうに応えたが、その声に怒りの色はなかった。久米は震える指で、山本を強く抱きしめる。 「……俺、本当に……山本さんのこと、ずっと、好きでした。」  山本はしばらく沈黙したのち、彼のシャツの裾をつまみ、胸元で低く答えた。 「……とっくに、知ってたよ」 久米の言い訳(という名のお知らせ) えっと……いつも読んでくださってる皆さん、本当にありがとうございます。 あの、実はここでひとつ、更新についてのお知らせが……。 今まで頑張って毎日更新してたんですけど…… 主任も俺も、ちょっと燃え尽きかけてまして……(いや、俺の責任です) というわけで! これからは二日に一回の更新ペースにさせてください! すみません!でも、話はちゃんと進めてます! 映画館での告白の後も、主任とのアレやコレや、まだまだあります! なので、どうかこれからも気長にお付き合いください! (……って、俺が一番、更新遅くなるのドキドキしてるんですけど……主任、怒らないでください……)

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