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第53話 発言できなかった会議室で

 午前十時ちょうど。  会議室のカーテンはぴたりと閉じられ、淡い照明が差し込む中、ホワイトボードの前には四名の部長陣と数名の上層部が並んでいた。  山本のチームは六名。山本を中心に、伊藤と黒瀬がそれぞれ両脇に位置し、村田は伊藤の隣、久米のすぐ後ろに着席。大平は静かに黒瀬に一礼し、その隣に腰を下ろした。  第一営業部と第二営業部の代表者が両側に陣取る形で席に着き、空気は緊張の色を帯びていた。まるで判決が下されるのを待っているような、そんな静けさがあった。  久米はまっすぐに背筋を伸ばし、張り詰めた弦のような姿勢で座っていた。向かいに並ぶ見慣れない顔ぶれを素早く見渡した瞬間、財務部の浅間の姿を見つけて目を見開く。  ——やっぱり、こいつ……裏切ったんだな。  久米は憤りを隠しきれずに浅間をにらみつけたが、浅間はそれに気づいても一瞥すら寄越さなかった。  牛島部長は軽い挨拶ののち、手元の資料をめくりながら、穏やかだが容赦のない口調で口を開いた。 「まず、初回納品分における品質検査の見落としについて、明確なご説明をいただきたいと思います。」  黒瀬が山本に視線を送るより先に、山本は静かに手を挙げ、発言を始めた。 「本件に関して、初回納品された製品の中に明らかな品質不備が含まれておりました。  私が実務責任者として、事前の抜き取り検査および品質管理体制を十分に整備できなかったことが原因です。この点についての責任は、全面的に私にあります。異論はございません。」  山本は会議室の奥にある白い壁をじっと見つめながら、淡々と語る。 「加えて、問題発覚後、正式な財務手続きを経ることなく、弊社名義で直接クライアントへ対応策を提示いたしました。これは明確な職務権限の逸脱であり、その点に関しても、会社としての処分を甘んじて受ける所存です。」  その言葉に、静かだった会議室には微かなページをめくる音が響いた。財務部長は紙の上に指を落とし、軽く叩く。  それを合図とするように、浅間が静かに立ち上がった。 「財務部としての見解を申し上げます。正式な審査を経ていない納品対応について、今後、万が一損失が発生した場合——たとえば、在庫の滞留や損害賠償など——その責任は、プロジェクト担当者個人に説明義務が発生します。  山本主任、ご自身で対応可能とのご認識でよろしいですか?」  山本は落ち着いたまま、浅間に視線を移す。 「ええ、私個人の判断ミスです。財務処理の手続きを完了させなかったのは私の責任。後ほど、正式な文書での報告と、必要に応じた責任の履行を行います。」  浅間は無言で一度うなずき、着席した。  久米は通稿の一ページ目を見つめたまま、手にしたペンを指先で握りしめた。脳裏には、以前読んだ一節がよぎる—— 「決裁会議において、最初の議題こそが結論を左右する。」  今、山本が黒瀬に先んじて発言したのは、明確な意図があった。  この場をまず自身で収めにいく判断だったのだろう。  汗ばむ掌を、久米は無意識のうちに太腿でそっと拭った。  山本は一通りの視線を前方に送ると、話を続けた。 「……今回の不良対応に関しては、私たちのチーム内で検討し、処置案を策定・実行に移しました。  プロジェクト推進の要所においては、伊藤が外部との連携を担い、その調整がなければ、ここまでの進行は維持できなかったと考えております。」  場内には、ごく控えめながらも頷きの気配があった。  久米ははっとして山本と伊藤の間を見る。信じがたい、いや、信じたくない光景だった。  牛島は小さく頷き、何かをメモに取りながら口を噤む。  山本はわずかに伊藤の方を見やったが、伊藤は表情一つ変えず、受け止めていた。——それはまるで、手柄を譲られることを当然とするように。 「……現時点では、処置案は一定の成果を上げており、クライアント側からも特に異論は届いておりません。  第二・第三便の納品が予定通り行われ、残りの五百個と不良品の取り扱いが確定すれば、ブランドイメージへの深刻な影響は避けられると見込まれます。」  久米の喉に何かが詰まったような息苦しさが広がる。  目の前にあるミネラルウォーターのボトルに視線を落とし、ただ心の中で繰り返す。  ——まだだ、もう少しだけ我慢しろ……。  山本は目を伏せ、発言メモを一枚めくる。もう、それ以上の名は出さなかった。  久米の手元から、ペンが滑り落ちた。 「……ぱたん」  そのかすかな音は、会議室のざわめきの中ではほとんど聞き取れなかった。  隣の村田が腰を屈めて拾い上げ、そっと久米の資料の上に置く。  久米の意識はまだ戻っていなかった。何も言えず、礼も伝えられなかった。  牛島は一度、咳払いをして話題を引き取る。 「ご説明ありがとうございました。  では、残る620個の製品について、現在どのような処理をお考えでしょうか?」  山本が息を吸い、答えようとしたその瞬間——  久米が顔を上げた。声は大きくなかったが、明らかに切迫した調子だった。 「それは僕が――」  久米が口を開きかけた瞬間、山本がわずかに顔を横に向けて、低く言った。 「……久米君。」  たったそれだけで、久米の喉は詰まり、開いた唇は何も発せず、結局、飲み込むように閉じられた。

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