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第16話 最初の子

 ◇  そこは自分の手さえ見えないほどの暗闇。塞いだ耳では何も聞こえない。否、聞きたくないから塞いだ。 (いやです、ソラに嫌われたくないです)  アサギはますます両手に力を込めて耳を塞ぐ。  ――人ではない物と交わり子を成した穢らわしいお前を、アティベンティスのお友達は受け入れてくれないだろう。  子を成した。  それは産まれてしまった。 (やだ、いやだ、ソラ……)  嫌わないで。  押し潰されそうになった時、柔らかい水色の光に包まれて身を委ねた。そこはとても安心できたから。 (空の色……)  青い空に浮かぶお日様みたいに温かいソラの笑顔を、ケイの不器用な優しさを、センの包むような慈愛を思い出すのと同時に、そこにリツの気配も感じて安心する。  ここにいれば安全。誰も自分を傷つけない。 (みんなと兄上がいるみたい……)  嫌われるくらいなら、永遠にここにいたい。  ――どんなアサギでも大好きだよ。  ゆらゆらと空の青さに身を委ねて胎児のように丸くなって眠っていたアサギを揺り起こしたのはそんな台詞。 (ソラの声……)  ぼんやりと、どこか懐かしく感じる声を聞く。  ――だから早く帰ってきてね。 (……ソラ。ソラ、本当ですか?僕はソラの側に帰ってもいいですか?)  水色の光は変わらずアサギを優しく包んでて、また身を委ねそうになる。だって都合のいい幻聴かも知れないのだ。ならばこの暖かい夢の中で眠っていたい。  しかし次の瞬間聞こえた声にビクリと身をすくませた。  ――そろそろ俺のヒトハを返してくれるかい? (カツキ……!!)  ――……っ、て、め……ッ!!どう、やって……、アティベンティス、来れたんだよ……っ。 (アティベンティス……?)  ならば今自分はアティベンティスにいるのだろうか。  何故?  ――ソラ……ッ!!  こんなに余裕のないケイの声は聞いたことがない。 (な、に?何が起きてるんですか、ソラ……!!)  ――く、……っ。  ――可哀想に、もう長く無さそうだね。トドメを刺してあげようか。 (……!!ダメ、です!カツキ!やめてください!!)  懸命に腕を伸ばした。暖かな夢はなかなか破れなくて焦りばかりが募る。 (いやです!ソラを失いたくない!)  例え好きだと言う言葉が都合のいい幻聴だったのだとしても、大切なソラを失う方が何十倍も嫌だ。 (嫌われてもいいです!だから死んじゃイヤです!ソラ!!)  ――調教し甲斐はありそうだけどね。煩い犬はいらないな。  言葉と同時に感じた魔力の奔流。一刻の猶予もない。アサギは渾身の力で叫んだ。 「ソラ……ッ!!」  叫んだ声に乗せた魔力がカツキの禍々しい力を受け止めた。 「ソラは死なせません!」  アサギの全身を包むのは琥珀の燐光。黒い魔力の奔流と琥珀の光が正面からぶつかり合って拮抗した2つはそのまま相殺する。 「アサギ!」 「アッ君……!?」  リツとセンの声が重なった。 「目が覚めたのかい、アサギ」  カツキは欠片も動じた雰囲気はなく、にこやかに言う。 「はい」 「ならおいで。センティスに帰ろう」  スッ、と伸ばされた手を暫し注視したアサギは一歩後ずさった。背後にはソラが倒れている。リツとセンの会話で意識がないだけなのを知りホッと息を吐きながらカツキを見た。 「イヤです」 「……嫌?」  まるで言葉を理解できない、と言うかのように首を傾げるカツキからまた一歩距離を取る。 「僕が大人しくしてたらソラ達に手を出さないって言いました」 「ああ、そうだね。でも向こうから来る分にも寛大に対応してやるとは言っていないよ」  それに彼らはヒトハを盗んだ大罪人だ、と続いた言葉の意味はわからなかったけれど。 「僕は……帰りません」 「お前に拒否権があると思うのかい?」 「そんなの知りません。先に約束を破ったのはそっちです」  それに僕はもう貴方の物じゃありません。その言葉にカツキは底知れない感情を滲ませた笑みを浮かべた。 「ヒトハごときが俺に逆らえると思ってるのかな」 「つーかお前もヒトハじゃねえかよ」  懸命にカツキに抗うアサギの足がガクガク震えてる事に気付いたケイが彼の前に立ち塞がる。 「だよな~」  弟子の突っ込みに師匠であるカナトも同意しながら二人の前に出た。 「どうするよ、今度はお前が見下すヒトハ3人含んだ5対1だぞ?」  しかも一人は純血、その兄は純血に近い。例えカツキが純血であろうと流石に分が悪い。彼の顔から初めて笑みが消えた。 「本当に目障りな奴らだ」 「何でも思い通りになると思うなよ」  カツキの手に再び黒い魔力の塊が生まれた、その瞬間。 「え!?」 「何……!?」  突如下から突き上げるように地面が大きく揺れた。  ◇ 「流石にあのまま戦うのは互いに利点もないしな。一時休戦だ」  なるほど、確かに戦ってる間に地盤沈下とか崩落とか起きても嫌だしな。 「つーかアサギ兄曰く、センティスには地震なんかなかったらしい」 「え?マジで?んじゃ今頃センティス軍ガクブルじゃね?トドメさそうよ」 「アホか。戦力は向こうが上だ。このまま戦わずに諦めて帰ってもらう方が早ぇ」  向こうは完全に戦意喪失状態。武器を向けられたら反応するだろうけど、穏やかに交渉すればこっちの思惑通りに動かせる、ってケイは言うけど。でも表情に不安が滲み出てる。 「皇帝がどうかは知んないけど、カツキが怖じ気づくと思う?」 「思わねぇ」 「しかも結局あいつらがどうやってこっち来たのか謎なんだよね」 「……だから、そこはアヤさんの……つーかお前の兄貴次第じゃねぇの?どうやって来たのかはわかんねぇけど、そこも含めて交渉するだろ」  そりゃそういった事に抜かりない兄上様だから……、カツキが邪魔しない限りは大丈夫だと思うけど。 「逆にカツキ監禁しといた方が良かったんじゃね?」 「この恐竜脳が。向こうに付け入る隙与えてどうすんだ」  とにかく今の俺に出来るのは成り行きを見守る事だけ、みたいだ。なんて溜め息をついた時、アサギが戻ってきた。 「大変です、ソラ、ケイ!」  アサギに促されるまま慌てて外に出たら、何かみんな空を見上げて茫然としてた。何々??何が起きてるの?つられて見上げて、俺も固まる。 「……え、何これ……??」  本来なら青空が広がってる場所に逆さまになった街が。 「……まさかセンティス……?」  カナさんに肩を抱かれてるお兄ちゃんが言う。ちなみにお兄ちゃんの手はカナさんの胸元に添えられてる。てゆーか見せつけてんじゃねーよ!俺もやってやる!! 「後にしろ」 「今触ったら燃やす」 「!?」  何で俺の仲間達は俺の恋路を邪魔するのかな!自分達は人目を忍んでイチャついてるくせに!あ、人目を忍べって事か?いや、今そんな事は後にしようぜ俺。  原理はよくわかんないけど、魔学者曰く薄い魔力の壁のおかげでセンティスとアティベンティスはお互いが見えなくなってる筈。まあ、天空国って名前がついたんだから遥か昔は見えてたのかもしんないけどそこはよくわかんない。 「どうなってんの、これ……」  誰にも答えられるわけないけど訊かずにはいられなくて、つい口に出しちゃった。その時、ふとアサギが視線を巡らせて 「!兄上、あれ……っ!」  って何かを指差す。  …何もないんだけど。お兄ちゃんもそっちを見たものの戸惑った顔。 「何が見えるの?」 「……光の柱……」  どんなに目を凝らしても見えません。  どうしよう、普通に動いて喋ってたから二人きりの時にって敢えて触れなかったけど、やっぱりまだ立ち直ってないのかな。でもそうだよね、全部否定して殻に籠っちゃう程のショック受けてたのに、そんなすぐ立ち直れる筈ない。 「アサギ……」  抱き締めようとした腕は空振りした。アサギがお兄ちゃんに縋りついたからだ。あれ、何とか三世みたいなオチ? 「光の柱ですよ、兄上!」  行き場のなくなった手をワキワキさせて――キモイってケイに蹴られたけどめげないもん!――、どういう事か訊く。 「……宝物庫の入り口、という言い伝えなんだ」  答えたのはお兄ちゃん。  神の宝物庫は純血のヒトハにしか見つけられない。鍵ってそういう意味だったんだって。だからアサギが言ってたお兄ちゃんが“たまに連れ出される”の真相は神の宝物庫探しだったみたい。  お兄ちゃんは、ちょっと困った顔をしてアサギの頭を撫でながら言う。 「ごめんよ、アサギ……。私には視えないんだ」 「?……どうしてですか?」 「私は……純血ではないんだよ」 「え……?」 「私達は父親が違うんだ。純血なのはアサギ、お前だけだよ」  初めて知る事実にアサギが動きを止める。  何で、って疑問はわかなかった。お兄ちゃんが純血じゃないって最初の内に知られてたら、きっとカツキはお兄ちゃんを消してアサギだけ囲っただろう。そうなったらアサギを守るものは何もない。  アサギもおんなじ事を思ったか泣きそうな顔をしてお兄ちゃんに抱きついた。 「兄上……っ、僕……」 「嘘をついていて、ごめんね」  抱き返すお兄ちゃんが慈しむようにアサギの背を撫でる。アサギはフルフルと首を振って顔を上げた。 「兄上は……僕の大好きな、自慢の兄上です!ずっと守ってくれてありがとう、兄上」  !?ほっぺチュー、だと……!?な、何て羨ましい……っ! 「お前はホントに煩悩の塊だな」 「頭108回どついてやろうか」  ひぃ!?セン君の目が本気! 「つかその光の柱……?は、どこに見えるんだ?」  今まで成り行きを見守ってたカナさんが言う。ごめんカナさん。あんまりにも空気で存在忘れてたよ。 「てめぇソラ。あとでシバくからな」 「何でみんな俺の心読むの!?サトリなの!?」 「お前は全部顔に出る」  なんと!顔に出てたとは!顔に出たからって正確に当てるあたりよくわかんないんだけど。  気を取り直して。アサギが指をさした方角を見る。 「……うーん……、わからん」  方角的にはウェンリス方面のような気もするけど。俺達には何も見えないからイマイチよくわからない。 「ねえ、でも待って。アッ君に視えるって事はもしかしてカツキにも視えるって事?」 「あ」  そういやそうだ。あいつも純血だって言ってた。自称純血じゃなければカツキも気付いてるだろう。 「……奴らより先にお宝拝見しちゃわね?」  俺の言葉に異を唱える奴はいない。だって出し抜きたいもんな。だけど突然聞こえた謎の鳴き声に全員もう一度上を見て固まった。 『キュォォォン……』  ガタイに似合わないちょっと可愛い声をあげているのは古の魔物、ドラゴンに良く似た生き物だ。 (“最初の子”……!)  アサギの手前口には出せなかったけど思った事は全員同じ筈。お兄ちゃんはその生き物から守るかのように無言でアサギを抱き締める。 『キュィ……ッ、キュィ……ッ』  バッサバッサと翼を振る巨体からちょっと小動物じみた鳴き声がするのは何だかシュールだけどどうやらこいつは“母”に気付いて喜んでるようだ。  若干遠くて目線を確認出来ないけど、顔の向きを見る限り多分アサギを見つめてる。 『キュォォォン……』  また大きく鳴いたかと思えば、勢い良く降下してきた。てゆーかすげえ突風なんですけど!飛ばす気か!! 「伏せろ!」  風に紛れてカナさんの声が聞こえて言われるまま全員伏せる。じゃなきゃホントに飛ばされちゃうよ。  足をバタバタさせて不恰好に着地したドラゴン(仮)はベシャっと顔から地面に突っ込んだ。あれ、顔に似合わずドジっ子?ギャップ萌え狙い!? 『キュィ……キュィィィ……』  転けて泣きべそかく子供みたいにか細く鳴いてるそいつに、ソッと手を伸ばしたのはアサギ。お兄ちゃんは心配そうにそれを見つめてる。 「痛くない、痛くない……」  ヨシヨシ、って硬い鱗に覆われた頭を撫でる。 『キュゥ……キュィ!キュィ!!』  3メートルはありそうなぶっとい尻尾を、ドッスンドッスンと振ってる所為で何か若干地面揺れてるし。 『キュゥ……キュゥ……』  巨体に似合わず小さな前肢をバタバタ揺らし甘えて頭を押し付けるけど、デカイからアサギがよろけた。 「あぶねっ!」  抱き止めてホッと一息。でも何か熱視線を感じて顔を上げたらドラゴン(仮)の金色の瞳と目があっちゃった。 「!?」 『キュィ……?』  疑問系!? 「な、何ですか」  思わず敬語。 『キュィ、キュィ!!キュゥゥ……ッ!フシューッ!』  威嚇!威嚇してくる!やだ怖い!! 「……こら、ダメですよ。メッ!」 「俺の事もそうやって叱って」  手を握って真顔で言ったら横からケイの飛び蹴りを食らった。

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