20 / 38
第20話 ヒトハの末裔
「アサギ……っ!!」
叫んで飛び起きる。部屋にはケイとセンがいて、俺と目が合うと二人共目を逸らした。その意味は1つだ。
「アサギ、いないんだな?」
夢現に聞こえた、さよなら、って声が耳に残ってる。ケイは無言で俺の手に何かを押し付けた。紙切れと、ちっちゃいアオの手の平くらいの塊。アサギの瞳と同じ色した琥珀の塊だった。
「報酬、だって……」
センが押し出すように言う。
そうだ、俺達はアサギに雇われた傭兵だったんだ。ブローチが前金で成功報酬はそれの倍。アティベンティスにきて“琥珀”が貴重なもんだって知ったアサギはすごく驚いてた。アサギはビバルティア全体の中でも特に稀少な、魔力を自らの意思で凝固できる力の持ち主で、だからこそ自分の魔力の塊が高価なものに変わるなどとは思わなかったのだろう。きっとその時から成功報酬はこうしよう、って思ってたんじゃないかな。
だけど。
「……倍以上あるじゃん……」
これだけあったら庭付きのちょっと大きな城が建っちゃうよ。紙切れにはその琥珀の塊が報酬である事と、お兄ちゃんと自分を助けてくれたお礼、それから。
「ごめんなさい、って何だよ……っ!」
「ソラ、さっき学者が戻った」
俺は丸3日眠ってたらしい。お兄ちゃんがアサギの魔力を感じ取ったから大事には至らなかったけど……ってゆーかこの置き手紙が物語ってるし。
カッツが迎えに行って無理矢理遺跡の解析をさせた歴史学者と、カッツの仲間が連れてきた天文学者双方の見解は。
「……星の救い方は、書いてあった」
「え?」
「多分カツキはわざと読まなかった」
「……なん、で」
カツキにこの星を救う義理なんかないだろうけど。
「読めてたんだよ、アッ君には」
「え……?」
どういう事?
「カツキが教えてたんだと思う、って」
リツが皇帝に色々教え込まれたように、アサギがカツキから何かを教え込まれてても不思議じゃない。だからあの時、アサギはルシオンの子守歌に魔力を込めて歌った。それが……純血のヒトハの魔力が鍵だって書いてあったから、じゃないかって。
「……星を救う方法は1つだけ。魔力が尽き霧散するその反動で大規模な爆発が起こる。それに合わせて星同士を引き離すんだ」
呆然としてる俺なんか置いてけぼりでセンの話は続いてる。爆発の瞬間は星と星の間に高次元魔力が集まってるから、そこにさらなる魔力を注げば引力の外へ押し出せるかも知れない。一度押し出せばセンティスはアティベンティスと同じ太陽の恩恵を受ける惑星になる。
っていうのをもっと難しい言葉でかつてのヒトハは残してた。
「……そんなん確証なんてねえだろ!」
「いや、センティスは元々そういう惑星だったんだ」
それをアティベンティスの科学が発展し星を守る膜がなくなり、少しづつ少しづつ太陽を回る軌道がズレて引力が働いてしまった。だから元の軌道に戻せば何とかなる、かもしれないのだそうだ。
「……それには膨大な魔力が必要らしい」
それこそ星を繋げるほどの。つまり、純血のヒトハの。
◇
歌を歌っていた。幼い頃母親が歌ってくれたルシオンの子守唄。石の床は冷たくて、少し寒い。寒さに震えるアオを胸に抱いて歌い続ける。
『ごめんなさい……』
不意に聞こえた声は柔らかな女の人の声。振り返った先に、彼女はいた。背後が透けている。実体はない。
『こんな負の遺産を遺すつもりではありませんでした』
「……ルシオン……」
立体映像で歌っていた彼女の声だ。
『……貴方は、選んだのですね』
「……はい」
『私は、私の選択をあの人に許しては頂けませんでした』
それでも、と彼女は言う。
『もう側にいる事は出来なくても、あの人には幸せになって欲しかった』
「はい」
アサギは笑う。僕も同じです、と。
「僕の世界に光をくれたのはソラだから……。光のない世界なんてもう嫌です」
リツという支えはあった。でもそれは互いに闇の中で手を取り合っているだけで互いの光にはなれなかった。
(兄上……)
光にはなれなかったけれど。
「兄上も、僕の所為でずっと苦しませてしまった。だから兄上にも幸せになって欲しいです」
カナトという光の元で。
「ケイもセンも命懸けで僕の事を助けてくれました」
囮になってくれた二人。契約破棄して見捨てても良かったのに守り続けてくれた。
「みんなみんな、僕を助けて守ってくれました。今度は僕がソラを、みんなを守ります」
『……私の魔力はもうじき尽きます。微力ではありますが、貴方の力になりましょう』
「はい」
ルシオンが景色に溶け込むように消えていくのを見届けて、下から見上げるアオを抱き締める。
「ずっと一緒にいてくれる?」
『キュイ!』
当たり前、と言いたげに元気に鳴くアオに微笑んで、もう一度強く抱き締めた。
(ソラ、本当は最後まで貴方の側にいたかったです)
魔獣の子を産んでしまった自分を、その魔獣の子を受け入れて変わらず接してくれた彼らにはどんなに感謝しても足りない。
(ありがとう、ソラ。大好きです)
さよなら。
小さく呟いて立ち上がった。
◇
「そんな、の……っ」
沈痛な面持ちのケイなんて早々お目にかかれない。だからそれは本当の事なんだろう。
星の衝突までもう殆んど時間はない。普通ならもっと地上に影響が起きてても不思議じゃないけど、ルシオンの壁のおかげというかその所為というか地上には全然影響がない。あったとしたらあの地震くらい。そのあとも小さな地震は続いてるそうだ。でも今更気付いたところで俺達が何かする為の時間なんか残ってない。
「……本当は少し前から兆しはあったんだって」
空の歪みだ。確かにアサギは言っていた。空の異変は地上の異変の兆しだと。
「魔物の凶暴化もそうだ」
野性動物は人間より遥かに異変に聡い。
「だけど……っ!今更そんなこと言ったって……!!」
全て手遅れだ。
俺は布団を跳ね退けて立ち上がった。
「どこ行くの」
「アサギ、捜しに行く」
アサギはアオを連れてる。アオに乗ったなら否応なしに目立つし、仮に徒歩だったとしてもいなくなって3日だ。遠くまで行ってるとは思わない。
「……ソラ、手遅れだ」
「え……?」
「おれ達だって3日間ただソラの寝顔眺めてたわけじゃないよ」
センは言った。俺と同じ事考えてアサギを捜したんだって。でも情報は1つも入らなかった。
「誰もアッ君を見てないんだ」
それは本当に見てないのか、またいつもみたいに目深にフード被っちゃって見えなかったのかは定かじゃない。だけど誰一人アサギを見た人はいなかった。それでもステュクス近くの遺跡とか、思い付く限り捜し回ったけど見つからなくて。
「さっき、……アオが飛んでいくのを見た」
「じゃあそこに……っ」
そこに行けばアサギがいるじゃないか、と言いかけて。
「……まさか……」
玄関に行くのだってもどかしくて窓から外に飛び降りる俺を二人は止めなかった。見上げた空に、渦巻く高次元魔力の塊。豆粒みたいなアオの姿がチラッと見えて、そして消えた。
「――――っ!!アサギ――――ッ!!」
聞こえる筈ない。でも叫ばずにいられなかった。
「何でだよ!何で……っ!!」
何で俺を置いて行くんだ。世界がどうなったって最後まで側にいるって言ったのに。
「止めに行かないと……っ」
「どうやって?」
ケイの冷静な声が訊く。
「仮に側に行けたとしてアサギを止めて、星の衝突を甘んじて受けるのか?ビバルティアにどれだけの人間が住んでると思ってる。一人を助けるために全てを犠牲にするのか」
「お前……ッ!!」
振り返って胸ぐらを掴んで、……手を降ろした。それがケイの本音じゃないってわかったから。それでもケイは言う。誰かが言わなきゃいけない、酷い言葉を。
「一人を犠牲にして済むなら、止める必要なんてない」
「あの子は……、きっと貴方を死なせたくなかったんだよ」
次に聞こえたのはお兄ちゃんの声だった。
「貴方に幸せになって欲しかったんだ」
「そんなの……アサギがいなきゃ意味ない……」
意味がないんだよ、アサギ。
「俺一人じゃ、幸せになんてなれないよ……っ」
カツキの言ったアサギの答えってこれだったのか。世界と共に滅びるか、世界を救う犠牲になるか。
「……っ、何かないのかよ……っ」
世界を救って、アサギも救う方法が。誰かを犠牲にした平和なんて嫌だ。お兄ちゃんはボロボロ泣きながら首を振った。
「あったら私も行っている。……だけど……」
普通の生き物はあの高次元魔力の塊に入ることすら叶わないんだ、って言いながらついに声をあげて泣いてしまったお兄ちゃんをカナさんは無言で抱き締めた。
「嫌だ……、嫌だよ、アサギ……っ」
カナさんに縋るお兄ちゃんの台詞に内心同意。アサギを失うなんて、そんなの嫌だ。
「……、ソラ」
本当に何もないのか、アサギを救う事は出来ないのか。
「俺はまた……っ間に合わないのかよ……っ」
涙が頬を伝う。拭っても拭っても溢れてくる。センが何か言おうと口を開いたその時。
爆発は、起きた。激しく地面が揺れて立ってられなくて地に伏せる。けどそれだけだ。他の影響はない。立つことは出来なくて仰向けに魔力の塊を見上げる。
ぐるぐると円を描くようにそこだけ妙な歪み方をしてて、その向こうにはまだセンティスが見えてる。
「何が……」
「……魔力が足りてないんだ……!」
このままじゃ星は衝突する。
◇
歌を歌っていた。少し前まで遺跡で歌っていた、ルシオンの子守歌。ありったけの魔力を乗せた歌はしかし星同士を引き離す程の力にはならない。
(みんなを守りたいのに……っ)
同じように魔力を放っていて力尽きたアオはアサギの腕の中にいる。小さい方が本当の姿なのだろう。小刻みに震える小さな体はもはや鳴き声さえあげない。
(もう少し、なのに……っ)
あと少し。あと少し足りないのだ。このままでは間に合わない。そう思った瞬間だった。
◇
「え……?」
空に伸びる一条の光。渦を巻く中心へと吸い込まれていく。
「あれは……」
ズル、と濡れた何かを引き摺る音が聞こえ、俺は何とか体の向きを変えた。その音には聞き覚えがある。
「こんな時に…っ!」
あの魔獣だ。揺れは収まってない。立ち上がれないから何とか膝立ちになって銃を構える。しかし。
『クルルルル……』
か細く鳴きながらヨロヨロ近付いて腕の中の何かを俺に押し付け
『クルル……ル、ルルルル……』
ベシャリと崩れて溶けていくそいつに、後を頼む、って言われた気がした。
◇
「……カツキ……?」
足りない魔力を補って溢れるその力に後押しされて、アサギは子守歌を歌い続ける。
ふわり、と体が軽くなった感覚にあぁ、成功したんだ、と安心して微笑んだ。ゆっくりゆっくり周りの魔力が凝縮していくのに合わせてアサギの視界も白んでいく。
(ソラ……、貴方はどうかこの世界で幸せに……)
このまま溶けて自分は消える。でも本当は。
(ソラともっと……)
もっと、ずっと。一緒にいたかった。一緒に生きたかった。全部が終わっても側にいて、沢山愛し合って、たまに喧嘩もして、だけど仲直りしたりして。そんな風にこれからも、ずっとずっと。
(側にいたかった……)
ゆらゆらと揺れ始めた視界は既に周りに溶け込むように先程よりもさらに白んで、誘われるままに緩やかに閉じていく目蓋。もうそれは開くことが億劫な程重たくて本当に最期なのだと知る。
(死にたく、ない……)
でも、時間はなく手遅れなのも明白で。選んだ道を後悔したくはなかったけれど、ただ最期にソラの笑顔が見たい、とそう思ったその時。
「……っ、サ……っア……ギ!アサギ……っアサギッ!!」
(ソラの声……?)
ソラが懸命に呼んでいる。うっすら目を開けて、白む視界の向こう、必死で手を伸ばすその姿にまた微笑んで。
(夢、かな。ううん、夢でもいいです。最後にもう一度、ソラに会えた……)
アサギは愛してやまない彼の幻に抱きついた。
◇
チチチ……、と鳥の鳴く声に目を開ける。何度か瞬きを繰り返してハッと完全に覚醒した。
「アサギ……!!」
アオを抱き締めたままのアサギが俺の横に倒れてる。血の気の失せた顔色。アオを辛うじて抱き締める腕にも力はない。
「アサギ!アサギ!」
何度も呼んだ。
何度も何度も。
「お願い、目開けて。アサギ……!!」
軽くペチペチ叩いた頬は酷く冷たい。
「アサギ!」
折角助けたのに駄目だった?俺はまた間に合わなかった?アサギ、アサギ、って馬鹿みたいに呼び続けても返事はない。
アサギの魔力は声に宿るんだよね。俺の声にも魔力があれば良かったのに。そしたら魔力が尽きて声が枯れるまで呼び続けるのに。
「アサギ……、起きて……。ねえ、起きてよ……っ」
俺に幸せになって、って言うならアサギがいてくれなきゃダメなんだ。
「お願い、アサギ……」
アサギの頬に俺の涙が落ちて流れる。耐えられない嗚咽を誤魔化すようにギュッと目を閉じた。
「……ソ、ラ……?」
微かな声がして、頬に冷たい手が触れる。
「ソラ……」
目を開けたら覚めちゃうんじゃないかと思って、怖くて開けられない。でも頬に触れる手がソッと頭を撫でて俺は恐る恐る目を開けた。
「本物、ですか……?」
「……うん、本物……」
訊かれて呆けた言葉を返して。アサギの頬に手を当てる。猫みたいに擦り寄るアサギに問いかけた。
「本物だよね……?」
「はい、本物です……」
アサギの腕の中でアオがキュイ、と小さく鳴いた。
「……っ!」
堪らずアオごと抱き締める。まだ体力が戻らないのか、アオも思うところがあるのか今度は噛みつかれない。
「アサギ……!!」
「ソラの僕を呼ぶ声が聞こえました……」
何度も何度も聞こえて、だから戻って来られたのだとそう言うアサギは泣いていた。
「ソラ……っ」
本当は死にたくなんかなかったのだと、もっともっとソラといたかったのだと泣くアサギを怒るわけにいかなくて。だから俺はアサギの名前を呼んで抱き締める。
「もっと呼んで下さい……っ」
生きているのだと実感できるから。
「うん、何度でも呼んであげる」
アサギが望むなら何度だって。
ひとしきり互いの存在を確かめて、ようやく体を離したら。
『ピィ!』
って抗議する声が上がった。アサギが俺の背後を覗き込んで、そこでずっとおあずけ状態だったそいつを発見する。
「え?アオ……??」
『キュイ?』
まだ若干声に元気がないながらアサギの腕の中でアオが応える。
「あれ?え??」
アオとアオより一回り小さいそいつを見比べて、やがてアサギはポツンと言った。
「二度目の子……?」
今度は俺が驚く番だった。だってあの時のアサギは心を封じられてたのに。何で、って疑問が顔に出てたみたいでアサギは困ったように笑う。
「何となく、感覚でわかっちゃったんです。あぁ、多分また産んでしまったんだろうな、って」
でも姿は見えないし、アオみたいに隠れてるのか、もしかしたらもう死んでるのかも、と思ってたんだって言われて。
「ごめん……」
って項垂れる。
「その子、死産だった」
でも生きて産まれてたら、と言おうとした唇にアサギが指を押し当てた。それ以上は言わないで、って優しく微笑む。
「だけど、どうして……」
「あの魔獣……」
アサギを助けてくれたのは言ってみればあの魔獣だ。俺の腕の中に託されたのは俺が殺そうとした二度目の子。その子に自分の命を吹き込んで最期の力で託しに来たあいつはきっとアサギを助けたかったんだって、そう思う。
カツキが望んだアティベンティスに害をなす魔獣は害をなすどころかビバルティアとアサギを救ったんだ。
「あいつがこの子を連れて現れて、それで俺はアサギを助けに行けた」
◇
腕の中に託されたその存在に気付いた瞬間にはもう俺は動き出してた。でかくなったドラ(仮)の背に乗って飛び立つ俺を呼んだのが誰だったかはわからない。
『ピィィィッ!!』
渦を巻く中心へと飛び込んで、ドラ(仮)の張る魔力の膜に守られながら目を凝らす。
「アサギ!」
光の中、アオを胸に抱いて丸くなっているアサギの姿。魔力に溶け込みつつあるのかあっちこっちうっすら消えかけてる。
「アサギ!アサギ……っ!」
魔力の奔流に流されて巧く飛べないのか、大きく揺れる所為でなかなかアサギを掴めない。何度も掴みかけては離れてしまい焦りばかりが募る。
だって、アサギの姿がさっきよりもうっすらしてきてるから。
「アサギ……っ!!」
必死で伸ばした手をアサギが掴んで。俺達はそのまま外に弾き飛ばされて。
『どうか幸せに……、私の愛しい裔 の子よ』
最後にそんな声を聞いたような気がした。
ともだちにシェアしよう!

