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番外編 皇太子と世捨て人

 カツキ、カツキ、と呼ぶ母の声。少女のように可憐な母は奴隷という身分から妃にまで登り詰めた稀有な存在だ。でもその裏に犠牲があったことを幼いカツキは知っていた。 「カツキ、私の愛しい子。こっちへおいで」 「……はい、母上」  妃になって数年。彼女は体を壊して臥せることが増えている。皇帝は国中から医者を集めたけれど良くならない。 「カツキ、あの人と同じ綺麗な瞳……」 「……」  彼女は可憐に微笑むが、しかしその裏に潜む闇は濃く深い。恐らく母は病んでいたのだろう。体を、ではなく心を。 「いいこと、カツキ。よく聞きなさい」 「……」 「何故あの男の元へ来たのか、わかるわね」 「……はい、母上」  カツキを抱き締める母の腕は暖かいのに、感じるのは身を震わせる冷たさ。  父はすでにこの世にいない。辺境の村でヒトハ狩りがあった際最後まで抵抗した彼は皇帝の兵に殺されたのだ。母は殺してやる、と呟く。その続きをカツキはすでに一言一句間違わずに思い浮かべられるほど聞かされてきた。  あの人にしたみたいに、切り裂いて踏みつけて刻んだ肉を野に撒いてやる……。 「いい、カツキ。どんな手を使っても私達はあの男を殺さないといけないの。あの人の仇を取るのよ」  決して悟られてはいけない。従順に、強かに、そして賢しくあの男の懐に入り込め。例え母の命が尽きようと、本懐を遂げるまで演じ続けろ。 「……はい、母上」  それはもはやカツキの全てに侵食していく呪いのように、やがて訪れる最後の瞬間までその身を苛むのだ。母は最期までカツキに呪いの言葉を吐き続けた。そして最期まで、皇帝の前では可憐な人であり続けた。  それから数年。皇帝の信頼を得て、さらにはその妄執を裏から操るかのように唆したのは自分以外の純血を捜させること。理由など簡単だ。望んだものを手に入れ喜びにうち震える“父親”を消す為。  神の宝物庫、その鍵となる純血のヒトハ。文献では光の柱を視認出来るのが純血のみだということしかわからない。仮にそこで命まで失うことになってしまえば母の望みは叶わないから、自分以外に純血がいなければ困るのだ。 (……別に恨みなどないのだけどね)  ただ侵食した楔がカツキを動かす。殺せ、殺せ、と言い続ける母の声はいつまでも消える事はない。 (……あぁ、退屈だ)  四角い窓から見える真っ青な空を見上げ、身体中を侵食する声に従う以外やるべき事のないカツキは嘆息した。  そしてさらに数年。皇太子として国民の前に出るようになったカツキは皇帝について辺境のヒトハの村を回っていた。カツキに言われるがまま純血を捜していた皇帝の隣で、もはや脳内の口癖のようにカツキはひっそり考える。 (退屈だな) 「こうも純血が見つからぬとはな。全く難儀な事よ」  皇帝の声に雨が降る荒廃した景色ばかりの窓から目を離す。 「元より純血はそう多くはありません。見つからないのであれば牧場から血の濃いものを集めて交わらせましょう」  奴隷を集めた施設は“牧場”と呼ばれている。無理矢理子を産ませ、魔力を搾取し核を作らせる行程がまるで家畜のようだからだ。 (食えはしないけれどね)  当然の事を浮かべクスリと笑う。口に入るものではないが、産業を支えるのはヒトハの命だ。自分と同じ種族である筈の、母がああならなければ自分が辿っていた筈の運命。  いっそそうなれば良かったのに、と未だ微かに残る良心は言い侵食された心はそれを捩じ伏せた。  そこから暫く荒廃した道を突き進み、やがて1つの小さな村に着く。枯れた大地に僅かばかりの食物が植わり、何事かと出てきたヒトハ達は一様に痩せ細っている。  それなのに彼らは何故か生気に満ちていた。生きてやる、と全身で表しているかのようでカツキは嘲笑う。 (ヒトハが生き抜いて何の得がある)  兵士が雨避けを作り馬車から降りた。兵士長が口上を述べ、これで全員か、と問い彼らは答える。 「全員だ」  その答えに皇帝が左手を振って次の瞬間銃声が響き渡り、次いでドサリと倒れたのは初老の男。雨水にだくだくと流れるのは赤。 「核を入れた銃の試し撃ちだ」  と皇帝は言い、カツキは笑う。何度試し撃ちをすれば気が済むのか。 (それしか言葉を知らない愚かな男)  皇帝は愚か者。そうであるが故にカツキを側に置く。 (さて、いつまでこの茶番を続ければいいのかな)  せめて皇帝がもう少し賢い男であったのなら楽しみようがあるものを。皇帝好みの残虐性を意図して皆間見せるだけで、彼はカツキを息子だと認めた。あっさりしすぎていて罠かと疑った程である。 「本当にもう誰もいないか。兵達に捜させて、もし誰かいたら……」  その者の二の舞だぞ、と言わなくても彼らは理解したようで、誰かがチラリと見た先はボロボロになった小屋が1つ。まるで犬小屋だ、と思ったそこから這うように出てきたのは幼い兄弟だった。  背中に庇われた弟は怯えるかのように兄に縋りついて離れない。彼らもまた痩せ細ってはいたが 「……ほう?サファイアのようだ。美しい」  兄の瞳はサファイア。弟の瞳はアンバー。そして恐らくきちんとした服を着せれば愛らしく美しい人形のようにみえるであろう容姿が人目を引く。皇帝は検分するかのように兄の全身を眺めた。兄は身を竦めながらも弟を庇い続ける。  ふと胸を焦がしたのは苛立ちか、羨望か。兄に庇われる弟を視界に納めた。  まだ本当に幼い。大きなアンバー……琥珀の瞳を不安に揺らし、兄の背に縋り続けていた彼はそれまでの気弱さが嘘かのように突然兵に噛み付いた。ナイフを持ったまま兄の腕を取った兵に躊躇なく噛み付くその行動に、今度は別の感情が生まれる。 (成る程、小さくても戦う意思はあるんだね)  その意思をへし折ってやれたらどんなに楽しいか。いや、それよりもこの意思の強い子供を従わせられたら面白そうだ。昏い感情に火が灯る。  それになにより、彼の瞳はとても美しく愛でる価値がある。  黄金に輝いた地面にカツキは笑った。 「純血だ!連行しろ!!」  兵に突き飛ばされて転がった弟が泣きながら 「!?やだぁ!にいちゃん!にいちゃぁん!!」  そう叫んで兄に手を伸ばし、兄は 「アサギ!!」  と懸命に拘束から逃れようとする。 「父上、この子も連れて行きましょう」  気付けば口がそう動いていた。    城について最初に皇帝が命じたのはまだ弱い彼らの魔力を封じ、身体中を綺麗に洗い流す事だった。目的など1つしかない。 (色狂いが)  いくらなんでも弟の方を穢そうとしているわけではないだろうが、兄も自分とそう年が違うとは思わない。 (まあいい)  別に彼らが穢されようが自分を楽しませ、宝物庫の鍵になってくれさえすればそれでいいのだから。  さて、どうやって遊ぼうかと豪華な扉の前に立つ。中からは 「にいちゃぁんっ!!」  と泣き叫ぶ子供の声。アサギ、と言ったか。彼にはまず言葉遣いから教えていこうと扉の前で笑う。 「喧しい子供だ」  煩わしげに皇帝が呟いて、 「なら弟は他の部屋に……」  リツという名の兄の声。  何をされるのかわかっている彼は恐らくこういった行為は初めてではないのだろう。弟を守る為にきっと彼は自分の身も差し出していたに違いない。 (全く、健気で……ヘドが出そうだ)  まるでかつての両親のよう。互いに互いを思いあっていたが故に歪んだそれはカツキの中で燻り続け、何の関係もない兄弟に矛先を向けたのだ。 「お待ちください」  部屋に入り、今まさに泣き続けるアサギの鎖を外しかけていた貴族を止める。 「父上、彼はこのままに」 「喧しくて敵わん」  涙をボロボロ流ししゃくりあげるアサギがカツキを見上げる。話を理解できていない彼の、助けに来たの?という微かな期待を読み取って嘲笑った。  助けなどあり得ない。そんなものがあるなら最初から自分はこんな場所にいない。そう、自分だけではなく多くのヒトハとて同じ。助けなど、あるわけないのだ。 「泣いている子供の前で、というのも背徳的で良いではありませんか」 「やめてください!弟に穢らわしいものを……っ」  見せるな、と言いかけたリツの頭を、皇帝は枕に押し付ける事で黙らせる。 「ほう、それも愉しそうではあるが。しかしその泣き声に興を削がれていかん」 「これはこの子への躾の1つですよ、父上」  アサギの首に腕を回しながら言った。細い首だ。ほんの少し力を入れたら折れてしまうのではないか、という程に。恐怖を感じたか益々激しく泣き出したアサギの声に苛立ち、頬を平手で殴り床に倒れ込んだ所で鎖を引いて持ち上げる。 「きゃぅ……っ」 「ア、サギ……っ!!」  押さえ付けてくる手の平の下で何とか顔の向きを変えたリツが叫ぶ。カツキが持ち上げた鎖の所為で絞まる首輪に小さな手をかけ懸命にもがく様に、何故か愛しさが込み上げた。  子供の命を左右できる、愉悦の先にある愛しさ。  首に裂傷が刻まれていく。 「やめてください……っ!!」  顔色が赤を通り越して、もがいていた手が落ちる頃その手を離すと重力に引かれ小さな体が床に倒れ伏す。 「アサギ!!」 「ひ……っ、……っ」 「?息が吸えないのか?ほら、吸って……吐いて……」  カツキの声に合わせて懸命に息をしようとする子供。憐れだ、と少しの良心が言うけれど。  目的の為無為に生きる人生の中で唯一見出だしたものが彼だった。生殺与奪の権利はこの手にある。それがたまらなくカツキを悦ばせたのもまた事実。 「弟には……、弟には何もしないでください……っ」 「勘違いしてもらっては困る。躾だ、と言っただろう?」  そう、自分好みに躾て楽しませてもらわなければ。 「穀潰しはいらないからね。意味がわかるかい?」  カツキの言葉に唇を噛む、年に似合わず察しがいい彼を躾るのも楽しそうではあるが、やはり何も知らない無垢なアサギの方がより楽しめるだろう。 「さあ、父上。この子にも自分の未来をわからせてあげてください」  カツキは椅子に腰かけると泣き声を上げることも出来ないくらい怯えているアサギをその膝に抱き上げた。

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