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皇太子と世捨て人10

 小鳥の囀ずる声に目を覚ます。どうやらリョウの温もりに包まれ二度寝してしまっていたようだ。微かな動きに気が付いたのか今度はリョウも目を覚ました。  目を向けた外は爽やかな陽気に包まれている。しかし、突然陽光が不自然にかげった。同時に聞こえたのはバサバサと言う羽ばたき。明らかに鳥のものではない重たい響きに二人は顔を見合わせる。 「……何でしょう?」  羽ばたきがやんで、少しの静寂。それから聞こえたのはバタバタと駆け寄ってくる足音。誰、と思う間もなく蹴り壊す勢いでドアが音をたてた。その誰かは、鍵が閉まっていて開かないドアをドンドン乱暴に叩く。 「リョウ!リョウいる!?開けて!」 「……兄さん?」  手紙を読んで来たには早すぎる。しかしその声は間違いなく兄のもの。ドアに歩みより鍵を開けた瞬間飛び込んできた小柄な兄を思わず抱き止めた。 「無事!?何もされてない!?てゆーかあいつどこ!」 「待って、兄さん。何の話……」  ネイビーの瞳がベッドの上のカツキで止まる。 「てめぇ!リョウに何しやがった!」  リョウの腕を振りほどいた彼は武器である杖を掲げた。 「ちょっと兄さん!?待ってよ、一体何?」  ただその光景を眺めるだけのカツキを庇うように両手を広げる。 「そこを退け!」 「兄さんが杖離さなきゃ退けない!」 「……ちょっと落ち着け、セン」  燃えるようなネイビーの瞳でリョウの背後を睨み付ける彼の肩に手を置いたのは。 「ケイさん……」 「……またでかくなったなお前。縮め」 「無茶言わないで下さい」  かつて自分達兄弟を保護してくれた大人の元にいた彼の事が、リョウは少し苦手だ。  ケイに止められたセンが渋々杖を降ろす。しかし視線は厳しいまま。理由に思い至らないリョウが問いかけようとしたところへ賑やかな声が響く。 「リョウー!久しぶりー!ちょっとベッド貸してくんねー?」 「ママが痛い痛いしてるの!」 「痛い痛い、です!」  いつでも賑やかなソラが見慣れぬ少年を腕に抱き、幼子を二人伴って現れた。  背後でカツキが立ち上がる。 「……アサギ」  カチリ、と最後の欠片がはまった。 「わぁ!?ほんとにいた!」 「……カツキ……?」  驚くソラの腕の中、見慣れぬ少年……アサギが目を開ける。 「……随分顔色が悪いな」  降ろしてください、とソラの腕から降りた彼はカツキを見つめる。アサギが何かを言う前に彼の前に出たソラが憎々しげに口を開いた。 「誰の所為だと思ってんだよ」  ただでさえ魔獣の子を宿し負担のかかりすぎていた体。そこへ星を引き離すほどの膨大な魔力を消費したアサギの体力は戻らない。無理をしなければ日常生活に支障はないけれど、少しの長旅でも今の彼には負担が大きすぎるのだ。  ソラの手がさりげなく腰の剣にかけられる。カツキはそれを見ても微笑むだけだ。 「……そうだね」 「センが血相変えて来たときは驚いたけど、本気で生きてやがったとは思わなかった」  スラリ、と抜いた刃を突き付ける。 「ちょっと、ちょっと待って下さい!」  刃とカツキの間に体を捩じ込ませ立ち塞がる。 「リョウ、そこ退いて!そいつは……っ!」 「カツキさんは父さんとは違う!」  再び杖を掲げ叫んだセンにリョウも負けじと怒鳴り返した。セン相手に声を荒げるなど始めてだ。  カツキは罪のない子供を閉じ込めた、と言っていた。周りの反応を見る限りソラの背に庇われる彼がそうなのだろう。カツキの言う通り随分顔色が悪い彼がソラの腕にソッと触れる。幼子達が不安そうにその足にしがみついた。 「ソラ、子供達が怯えます。それにカツキの事は僕が決めるって約束したでしょう?」 「……わかった」  渋々刃を引き、下がる。チラリと目を向けられたセンもまた唇を噛んで杖を下げた。 「……お前になら殺されても文句は言わないよ」  微笑むカツキの前で、リョウは腕を広げ踏み留まる。 「待って下さい!カツキさんはずっと後悔して……っ!」 「リョウ、そこを退け」 「嫌です!カツキさんは俺が守ります!」  これではまるで駄々っ子だ。けれどリョウは必死だった。アサギと呼ばれる彼がどんな人物かわからない。だから自分と同じ、いやそれ以上の目に遭ったらしき彼がカツキをどうするのかがわからない。  ケイに寄り添われる兄は複雑そうな顔をしている。カツキがしたことを知っていたから、リョウが酷い目に遭わされているかも、と飛んできたのだろう。だから必死で庇うリョウが理解できないのだ。 「話を……、させてもらえませんか?」  リョウの心配など他所に、アサギは穏やかに微笑む。 「ママ、痛い痛いは?」 「痛い痛い、治ったですか?」  足にくっついた子供達が心配そうにアサギを見上げる。 (……ママ?)  あれ、女の子だったのかな……??と思わずしげしげ眺めるけれど、骨格的には少年のそれだ。 「大丈夫。ちょっとパパの所行ってて?」  パパ、と視線を向けた先のソラは何だか身悶えてる。 「あの……」 「あれは気にするな。今に爆発する」 「てゆーか今すぐ爆発しろって感じだよね」 「ひどい!」  相変わらずケイもセンもソラには容赦ない。その関係が変わってなくて何だか少し力が抜けてリョウは腕を降ろすと一歩横へと避けた。  ありがとう、とアサギはやはり穏やかに微笑み、リョウからカツキに視線を移した彼は静かに問いかけた。 「……後悔を、してるんですか?」 「さぁ、どうだろうね」 「何故あんなことを?」 「父の事かい?知ってどうする」  アサギはふと悲しげに目を伏せる。 「カツキ、死にたいんですか?」 「俺の役目はもう終わった。本来ならあのまま死んでいた筈なんだ」  何を間違えたのか生き延びてしまったけれど。カツキさん、とリョウの口から微かに咎める声が洩れる。  それを耳にしながらアサギは言う。 「僕が望んでいることを貴方はしてくれなかった。だから僕も貴方が望むようにはしてあげません」 「言うようになったね、アサギ」  1年前までは絶対に有り得なかったのに、と苦笑する。アサギは自分の腕をギュッと握った。 「……本当はカツキの前に立つことも……まだ怖いです。でもソラがいる。ソラがいてくれるから、僕は強くなれます」  ソラがいなければもしかしたらカツキを憎んだかも知れない、とアサギは微笑みそれでも、と言葉は続く。 「貴方がいなければ僕はきっとこの年まで生き延びられなかったでしょう。ソラに会えなかったし……それにこの子達にも会えませんでした」  産むのは嫌だと泣き叫んだ彼はもういない。何故一人多いのかはわからないけれど、アサギが子供達を大切に思っているのはよくわかる。 「……だからと言って、俺がしたことは消えない」  お前達兄弟にしたことも、父親を殺したことも。  その言葉に隠された後悔にアサギは気付く。 「……死んで楽に、なんてさせてあげません」  離せば消えてしまいそうでカツキの腕を掴んだリョウがアサギを見た。琥珀色の瞳は無垢な子供のように澄んでいる。 「……親父がさ、孤児院の手が足りねぇって言ってんだ」  ふと口を挟んだのは両腕に幼子を抱えたソラだ。 「こっちまで逃げられたものの親に先立たれたヒトハの子も多くてな」  自由になって安心した途端気が抜けてしまったのだろう。アティベンティスで息を引き取ってしまったヒトハは多い。 「お前、ちょっと手伝えよ」 「俺が?向こうが嫌がるだろう」 「そうですね。貴方が皇太子だと知っているヒトハは多い。何か言われることもあるでしょう。でも、死んでしまえば後は考えなくてもいい。それじゃ罰になりませんから」  本当に後悔しているのなら償って、と言外に述べるアサギの瞳はどこまでも穏やかだ。 「ステュクスなら俺とカナさんの目があるし、監視できていいだろ」 「……っ、俺も、……俺も行きます!」 「リョウ?」  驚いたのはセンである。今まで何を言っても町になど決して出ようとはしなかったリョウがそんなことを言い出すなど予想外過ぎる。 「……俺は、カツキさんと離れたくないです」 「何故だ」 「言ったでしょう。俺は貴方が好きです。貴方が俺を好きになってくれるまで諦めません」 「意外にしつこいな、お前は」 「それに、監視がいるなら俺が側で見てますから。ソラさん、俺も連れて行って下さい」  ソラは全身嫌な汗をかきつつそろりとセンを見た。下手なことを言ってブラコン全開なセンの最強魔法を食らっては困る。ソラの視線を追ったリョウはセンに縋った。 「兄さん、いいよね?」 「ステュクスはこの辺の町なんか比べ物にならない都市だよ……?」 「……カツキさんがいるなら平気」 「な、んで、そこまで……」 「カツキさんが好きだから、側にいたいんだ」  ケイはもうやめてやれ、と言いそうになる口を押さえた。  今までリョウがこんな風に自分の意思をハッキリ伝えてきたことはない。彼はいつだって何かに怯えて俯いてばかりいる子供だったのだ。だからこれはいい傾向なのである。 (いい傾向、いい傾向……)  と、自分に言い聞かせ、今にもカツキに向けて魔法をぶっ放しそうになっているセンの肩を押さえた。 「リ……、リョウが……っ、そこまで言うのなら……っ」  ケイの手の下でカタカタと肩が震えている。ついでに辛うじて笑顔を作ろうとしてる表情も固い。  しかしリョウは気付かずセンの手を握った。 「ありがとう、兄さん!」 「……俺はまだ行くなどと一言も言っていないが……」  カツキの呟きは無視された。 「カツキ、あの時助けてくれたのはカツキですよね?」  何だか色んな感情でブルブルしてたセンが耐えきれず目眩を起こしふらりと座り込んで、ケイとリョウが慌てているのを見ながらふとアサギが問う。 「……何の事だ」 「あの時、僕の魔力だけでは足りませんでした。僕では皆を助けられない、何もお返しできない、そう思ってホントは少し諦めていたんです」  最後の一押しをくれたのはカツキ。あれがなければビバルティアは滅びていた。 「助けてくれて、ありがとう」 「……お前は本当に愚かだね」  俺が何をしたのか忘れたわけではないだろう、と問えば彼は困ったように笑う。 「言ったでしょう?今だって貴方の事は怖いです。でも、……確かにカツキは僕に酷いことをしたけど、カツキが僕と……そして兄上を生かしてくれた」  兄上が純血ではないと本当は知っていたんでしょう、と訊かれて 「……本当に愚かだ」  自然と苦笑が滲み出、カツキは自らの指に歯をたてる。軽くプチリと噛み千切ったそこから僅かに溢れた血を舐め取りそのままアサギに口付けた。 「あー!!てめぇ、何してんだ!?」 「あー!ママのちゅー!ずるい!」 「ずるいです!」  ソラと子供達が騒ぎだし、リョウが固まる。センは立ち直れてなくて、ケイはその背を撫でながら呆れたようにカツキを見た。 「……っ、カツキ……!?」  ちゅ、と唇が離れ数歩下がったアサギに子供達とソラが飛び付く。 「ママ、アオも!アオもちゅーして!」 「ユウも!」 「だからダメだってー!ママのちゅーは俺のっていつも言ってるでしょ!」 「パパはもうダメなの!」 「パパはメ、です!」 「何ー!?そうゆー可愛くない事言う子はじいちゃんのお髭ジョリジョリの刑だぞ!」 「やー!」 「パパがしてもらって下さい!」 「……口付け1つで大騒ぎだな……」 「すいません……」  呆れて肩を竦めるカツキにアサギが頭を下げる。しかしそこにあるのは幸せそうな笑み。カツキでは決して引き出すことなど出来なかった表情だ。 「……体調はどうだ?」  まだギャアギャア言い合っている父子は放置して問えば、アサギは目をしばたたく。 「……あれ……?何だか凄く体が軽い、です」 「お前は知らないだろうが、純血のヒトハの血は万能薬なんだよ」  自分自身の血では効かないけれどね?と付け足して。ついでにカツキ自身の魔力を込めたのは教えなくていいだろう、と思う。きっと言わなくても気付かれているのだろうが。 「……ありがとう、ございます……」 「礼などいらないよ。償えと言ったのはお前だろう?」 「……はい。あの、……カツキ」 「何だ」 「……これからは、生きる為に生きて下さい」 「……」 「他の誰の為でもない、貴方の為に」  憑き物が落ちたかの様なカツキの様子にアサギが何を察したのかはわからない。世間に疎いこの子供が考え付く事などそう多くはない筈だ。それなのに、母の事を含めた過去すら受け止められたような気がして痛むだけだった胸がジワリと熱くなる。 (何故お前はそこまで強くいられる)  ソラに抱き締められ大人しくその腕に収まるアサギは本当に幸せそうだ。 (そうか、“光”があるからか)  かつての自分にも光があれば過ちなど犯さなかったのだろうか。我に返ったリョウが「今のは何なんですか!?」と詰め寄ってきて、倍になった騒がしさの中カツキは笑う。  自分を好きだと言うこの奇特な男が自分の“光”になるかはまだわからない。それに彼らに与えた苦痛の償いなど一生かかったって返せないかも知れない。  けれど。  ただ自分の為に死ぬのではなく、いつか全てを許し受け入れた彼の為にこの命を差し出そうと愚かな子供の笑顔に誓った。 ■■■ 読んで頂いてありがとうございました。次はリツ編…

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