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Chapter 7 : Scene 2
翌朝。
圭は、アラームが鳴るよりもずっと早く目を覚ました。あまり眠れなかった。
ベッドに身を起こして小さく息を漏らす。
――秋吉。
無性に会いたかった。その声を聞きたかった。
身支度を整えてスマホを取り上げ、秋吉からLINEが届いていることに気づく。声が自動で再生されるようなメッセージを見、小さく笑う。返信を迷ったが、まだ早朝だった。
今日、研究室で会える。その時にあらためて昨日の礼を伝えよう。
プレゼントのこと。素晴らしい一日を準備してくれたこと。秋吉の顔を見て感謝を伝えれば、胸の中に巣食う得体の知れない不安も少しは和らぐはずだ。
大学に着き、研究室へ向かう。一限目までかなり時間があるため、人気はほとんどない。
ドアを開けた左手奥の、いつもの席。まず、取り出した細長い箱を、そっとデスクの上に置く。
朝の光の下、ネイビーの包装紙を飾るシルバーのリボンがどこか誇らしげに見え、圭は小さく笑った。ちらりと時計に視線を走らせる。学生たちが来るまで、まだだいぶ時間がある。
昨夜何度もそうしたように、丁寧にラッピングを剥がす。ベルベットのケースの中で、深い夜空で染めたようなマーブル模様が朝日を柔らかく弾いている。
表面に彫られたイニシャルを撫でてから、キャップを外し、軸も外す。
昨夜、同梱されていた説明書を暗記するほど何度も読んだから、手順は頭に入っていた。
ピストンを下げ、インク瓶の中へ金色のペン先を傷付けないよう慎重に浸す。丁寧に、ゆっくりと、コンバーターのノブを回していく。
音もなく緩やかに吸い上げられる、軸と同じ色合いの艶やかな夜空の色を見、圭は満足げに瞳を細めた。
適当な紙を取り出し、試し書きをしてみる。最初は直線、それから曲線。ひらがな、カタカナ、アルファベット、数式。ほとんど筆圧をかけなくても、思い通りに滑らかな線が引ける。初めて経験する書き味に、圭の表情が綻ぶ。
『先生も、なんだか雰囲気が柔らかくなったかも』
ふと、脳裏に蘇ったのは、いつか笹原からかけられた言葉だった。そうだった、研究室で笑うことなどほとんどないのに。一人で慌てて表情を引き締める。
思いのままに適当に書き連ね、最後に、「Excellent!」と書き付けた。
そして気づく。万年筆を置く場所がない。
専用のトレイを準備しなければ、と思いながら、元通りベルベットのケースへ丁寧に仕舞う。ラッピングもリボンもすべて丁寧に元に戻したのは、習性のようなものだ。
時計に視線を走らせる。そろそろ、一番早い学生が姿を見せる頃合いだ。圭は、キーボードの奥の邪魔にならない位置に、そっと箱を置いた。
――秋吉は、何時に来るかな。
どうしても浮かんでしまう名前を振り切ろうとするように頭を振る。駄目だ、あくまでも研究室では指導教員と学生だ。
唇を引き結びながらSlackをチェックした圭は、一通のメッセージに目を留めた。
『Takashi Matsubara』
「……松原先生?」
ざらり、と胸の奥をざわつかせる不吉な予感。いつかの朝の忠告が蘇る。
――『一時の感情で特定の学生に過度に肩入れをするのは、指導教員として望ましくない』
浮ついていた気分が一気に冷える。
機械的にマウスをクリックした。
===
藤堂先生
確認したいことがある。
至急、私の部屋へ来るように。
松原
===
嫌な予感しかしない。
しかし、無視するわけにもいかない。
圭は、ため息を吐いて立ち上がった。
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