30 / 33
Chapter 10 : Scene 4
「……続けていいですか…?」
そっと、また気遣うような声。同時に、秋吉の手が優しく背を撫でた。支えてくれる手に抗わず、仰向けに身を返す。シーツに背を沈ませながら、秋吉を見上げた。まだ息はわずかに弾んでいた。
温もりのある掌が頬に触れる。その熱が心地よくて瞳を細める。自然に手を上げて、その手に自分の掌を重ねた。なぜか嬉しくなって、そのまま笑う。
小さく、息を詰める気配がした。
ぼんやりとした視界の中で、秋吉の顔が近づく。柔らかく唇が触れ、軽くキスを交わした。何度も、何度も。
――キス、きもちいいな。
小さく響く、リップノイズ。誘われるように圭の唇が秋吉のそれを啄み返す。熱い舌が触れ、誘うように薄く唇を開く。滑り込む舌を甘く吸い返しながら、無意識に圭の腕が秋吉の身体に縋る。もっと触れていたくて、ただ抱き着いた。夢中で、無心で。
幾度めかのキスの合間に、ふと、気づいた。
肌に、なにか当たっている。熱いもの。
キスをしながら、自然に視線を向け――見てしまった。
勃起したままの秋吉の性器。猛った先端が、圭の腹に触れていた。
「――……」
直視した瞬間、動きが止まる。
つい先刻、圭が自らの口で咥えたものではあるが、あらためて見直すと、今度はまったく別の実感が胸に広がる。それを、自らの中に受け入れる、という実感。
――はいるのか? あれが?
冷汗が滲むような感覚。さっきまでのふわふわとした余韻が、急速に緊張に塗り潰されていく。
秋吉も、圭の変化に気づいたらしい。何を見ているか悟ったように、ふっと苦笑する。
「やっぱ、怖いですよね」
気まずさを紛らわすように、ちゅ、と軽く圭の頬にキスをする。今度はキスを返すことができず、惑うように秋吉を見上げることしかできなかった。
「…いいんです。無理に挿れなくても」
秋吉が柔らかく笑い、圭の頭をそっと撫でた。今夜は、幾度もこうして頭を撫でられているような気がする。
「元から、先生とはちょっとずつ進んでいけたらって思ってたし」
また、今度は目尻に優しく口付けられた。その動きで圭は、自分が涙目になっていることに気づいた。
ちゅ、と、唇にキスをしてから、秋吉がやや気まずそうに視線を落とす。
「まあ、さすがにこのままはちょい辛いから、今日は手とかでしてくれたら、それで」
「いやだ」
勝手に口が動いていた。
まっすぐに重なった視線の先で、秋吉は戸惑った顔をした。
その表情を見て、なぜか圭はどうしようもなく悲しくなった。
「ほしい。……最後まで、したい」
沈黙。
視線を絡めたまま、秋吉の喉仏が上下する。
その奥にある圭の覚悟を確かめるように、秋吉が静かに問い返す。
「……本当に、いいんですか?」
圭は、ゆっくりと頷いた。
まだ緊張している。怖さはある。しかし、それ以上に。
――恋人なら、進まなければ。
声にはしない圭の思いが届いたのか、秋吉は、一度だけ息を整えるように小さく息を吐いた。
上半身を伸ばしてヘッドボードに置かれたパッケージを取り上げる。先刻、圭自身がそこへ置いた、コンドームの箱。
現実が迫ってくる。鼓動が再び暴れ始める。緊張が、のどを締めつける。
さすがにまともに視線を向けることはできなかった。密やかに高まっていく鼓動音と、秋吉の気配を耳にしながら、圭はじっと、シーツの上の自分の指先を見ていた。
と、音が変化した。粘着質な水音。ローション。思わず視線を向ける。
ゴムを着けた性器に、秋吉がローションを丁寧に塗り付けていた。勃起した性器に当たり前のように無造作に塗り広げられる粘液が、照明を弾いてぬらぬらと光っている。
目眩がするほど卑猥に見えた。あまりに生々しい光景に、圭は急いで顔を背け、真っ赤になった頬をシーツに押しつけた。
「先生、ちょっとだけ……足、開いてもらえますか」
秋吉の声に、身体は従順に従う。膝を立て、左右にゆっくりと開いた下肢を、秋吉の手が優しく、更に大きく開かせる。恥ずかしすぎて、目の奥がじん、と熱を帯びた。
「これ、ちょっとだけ楽になるんで」
秋吉がバスタオルを丸めて、そっと腰の下に差し入れる。
骨盤がわずかに持ち上がり、奥まったそこが空気に触れるのがわかった。限度を超えそうな羞恥と緊張が一気に押し寄せ、小さく身体が震えた。とにかく早く、と、何に対してかわからないまま、圭は強く願った。そのとき。
「!」
ひやりとした感触が後ろに触れ、小さく下肢が竦んだ。ローションで濡れた指が、またそこに触れている。
「やっ…、もう、指はいい……っ!」
頭を打ち振る。しかし秋吉は手を止めない。
「ダメです。大事なことですから」
「――、っ」
その真剣な表情と言葉に、圭の胸の奥が甘く締め付けられる。羞恥とは違う理由で頬に熱が昇る。
しかし、そんなあたたかい感慨は、中に深く突き入れられたぬるつく指のせいで、瞬く間に消し飛んだ。
「ぁ・あっ…!」
声を止めることができない。下肢が勝手に震え、腰が浮き上がる。
飲み込んだ指を浅ましいほどにきつく締め付ける自らの反応が、疾うに限度を超えている羞恥を更に煽ってくる。
圭は堪えきれず顔を背け、シーツを握りしめた。
やがてようやく指が抜かれる。ひやりとした外気がそこへ触れる。そんなところを晒しているのかと思うと、今すぐにうずくまりたくなる。
見上げると、ぼやけた視界に秋吉が映った。眼鏡がない上にうっすらと涙が張った視界では、表情はよくわからない。ただ衝き動かされるように口が開いた。
「はやく……っ」
秋吉の肩が一瞬、ぴくりと強張った気がした。次の瞬間、熱い体温が重なり、ぎゅっと抱き締められる。
「お願いだから、あんまり煽らないで」
低く押し殺したような声。意味がわからなかったが、少しだけ羞恥を癒された気がした。そっと、その背に腕を回す。
やがて秋吉が、少しだけ身体を離した。まっすぐな瞳が見える距離。
「…無理だって思ったら、ちゃんと言ってください」
硬い声で、しかし静かに言われ、圭の胸にじんと熱が滲んだ。こくり、と頷き、圭は深く息を吸い込んだ。
ぬるついた熱が触れた。
指とはまったく違う質量に、意思とは関係なく身体が竦む。腰が逃げを打とうとするのを、シーツを握り込みながら懸命に堪える。
「……!」
ゆっくりと。
慎重すぎるほどの速度で、秋吉が圭の中に入ってくる。
思っていた以上の圧迫感。喉が仰のく。押し広げられる感覚に、うまく息が吸えなくなる。額に汗が滲む。
「ッは、……」
シーツをきつく握る指先が白んだ。肩に力が入り、喉がひくりと震える。
「先生、痛い? 止めましょうか」
揺れる秋吉の声に、は、と瞳を開いた。見上げると、不安そうな秋吉の表情が圭を見下ろしていた。
圧迫感に耐えながら、圭は小さく口端を綻ばせた。
秋吉は、どこまでも優しい。いつだって秋吉は、圭のことを最優先に、圭のために圭が喜ぶことを考えてくれた。
「かまわない」
喉の奥から無理やり絞り出したような声だったが、本心だった。
秋吉の眉尻がかすかに下がった。
「力、抜いてください」
そう言いながら、秋吉はシーツを握る圭の手に触れた。指を一本一本ほどくようにしてシーツを離させる。そうして開かせた手を、自分の手で優しく握った。
あたたかい掌に包まれ、強張っていた力が少しずつ抜けていく。きゅ、と、秋吉の手を握り返す。
「俺のほう、見てて」
低く、けれど優しい囁き。
促されるままに視線を上げ、秋吉を見つめた。自分を見つめ返すその瞳の、あまりにも真剣な愛おしさに、ふと胸の奥が熱くなる。
――ほしい。もっと。
義務感とは違う、もっと深いところからせり上がってくる想い。
再び、秋吉の熱が内部へ進み始める。圧迫感は去らない。身体の内側を侵食されていく、得体の知れない初めての感覚。――快感には程遠い。でも。
ぎゅっと手を握る。じっと見つめる。奥に奥に、秋吉が沈んでいく。圭の中に、秋吉が満ちていく。
「……全部、入りました」
ようやく動きが止まって、秋吉が穏やかに笑った。
深く息を吐く。秋吉の笑みが滲む。
胸の奥いっぱいに、甘やかな充実感が満ち溢れていた。秋吉のすべてを身体の内側に受け入れた幸福感。深い安堵と、眩しいほどの歓び。――何もかもがないまぜになって、圭の瞳から溢れ落ちる。
ただ「恋人」として必要なステップだと認識していた。セックスをすること。性器を挿入させ、射精させること。それは圭にとって、達成するべきタスクのひとつだった。
――でも。
「そうじゃ、ない、のか」
ぽつ、と思考が声として漏れた。
秋吉が止まる。まっすぐに、視線が絡む。滲む視界に、秋吉の目が問うように自分を見下ろしているのが見えた。
片方の手を伸ばし、秋吉の頬に触れる。
「……満たされる、というのは、こういうことなんだな」
声が震えた。目尻から涙が落ちる。
「秋吉と、ひとつになれて、うれしい」
秋吉が無言のまま目を見開いた。つながった箇所の熱が増した気がして、え、と、圭の瞳が揺れる。
目の前に、秋吉の顔が近付いてくる。唇が重なる。
「先生のこと、大切にします。ずっと」
重なる口中に響いた声はかすかに震えていた。うん、と頷いた動きは、秋吉に見えただろうか。
やがて、つないだ手がゆっくりと離れた。圭の視線の先で、秋吉の表情はどこまでも真摯だった。
「――動きますね」
小さく頷きを返し、息を殺す。身体の反応を制御できるだろうか、と過ぎった問いは、秋吉の腰が小さく動いたわずか一往復で吹き飛んだ。
「ぁ、っ」
もう駄目だった。ゆる、と腰が動くたび、びくりと背筋が跳ねる。噛み殺そうとする間もなく声が漏れる。
「ゃ・あ、っ…ッ、ん、っ、――!」
待て、と言おうとして、危うく片手で口を覆う。そんなことを口走ったら、秋吉は本当に待つ。圭も一応男性として、それがどれほどきついかはわかるつもりだった。
しかし。
「っあ…っ、あァっ――っん、や…っ、んン、っ…!」
だんだん早く、深くなる律動に、声を堪えようとする理性すら追い付かない。こんな声を聞かせたくないのに、と惑乱する思考すら、秋吉の熱に揺さぶられてぐちゃぐちゃになる。
「――あ、ッ!」
不意に、脚の裏に秋吉の手が差し込まれる。ぐいと持ち上げられて、身体がさらに深く開かされた。羞恥する間もなく、また深く抉られ、圭の背筋が弓なりに撓る。
「せ、んせ……ッ」
秋吉の声が、耳朶に触れる。
黒い、ひたむきな瞳が、圭をまっすぐ見下ろしている。律動のたび、秋吉の額から落ちた汗が散る。
喘ぎながら、圭の唇が小さく戦慄いた。
「ぁ、…ゅ……っ」
荒い息遣い。零れる喘ぎ。その中に、いつも心の奥で響いていた音が混じる。
「…ゆう、……っ」
快感に溺れながら、圭の意識は朧げに揺らいでいた。いけない、と理性の片隅で思う。でも、もう止められない。
「……ゆうや、っ……」
秋吉の動きが、ぴたりと止まった。
「先生?」
困惑した声音。なぜ止まったのか、圭にはもうわからなかった。つながった部分が疼いて、無意識に腰を揺らしてしまう。
シーツから離れた手が、もがくように秋吉の肩へ縋り付いた。
「ゆうや……っ」
ちいさな、ちいさな一言。しかし、はっきりと、確かな声で。――言ってしまった。いつも心の中でだけ呼んでいた、本当の名前を。
滲んだ視界に、秋吉が大きく瞳を見開くのが見えた。まるで何かに打たれたような表情で、圭を見つめている。
その瞳に、みるみる涙が溢れていく。
「……っ」
秋吉の喉が、音もなく上下した。唇が何度も開きかけては閉じる。
「ごめん」
ようやく絞り出された声は、震えていた。
「ごめん、俺……ずっと、先生って……」
言葉が途切れる。秋吉の手が、圭の頬にそっと触れた。その指先も震えている。
「圭」
自分の名前。
長い間、誰からも呼ばれることのなかった、自分だけの音。
圭の胸が、大きく震えた。目の奥が熱くなって、視界がさらに滲む。
「圭、っ……」
もう一度。今度は愛おしそうに、秋吉が繰り返した。そして圭の手をそっと取り、指先に小さく口付ける。
「動くよ。圭」
その声がひどく近く、甘く響いた気がした。
しかし、その意味を考える余裕などもうどこにもなかった。
再び開始した律動に、また全身が跳ね、呼吸が上擦る。
「圭、…ッ――!」
名を呼ばれるたび、蕩けるような声が唇から溢れ、零れ落ちていく。
「あッ、あ・ああっ……!」
霞む視界の中、自分の性器が震えながら雫を散らしているのが見えたが、それよりも、身体の最奥を突き上げてくる秋吉の熱にすべてが押し流される。
――何も、考えられない。
秋吉の動きがさらに深く、速くなった。
刹那、視界が白く弾け、全身が跳ねた。
「――ッ、……!」
秋吉が呻いたその瞬間、圭も一緒に達していた。
奥で拡がる熱を錯覚する。ゴム越しなのに、まるで、悠也のすべてを受け止めたかのような、満ち足りた感覚。
圭の腹の上にも、熱が迸っていた。
荒い呼吸のまま、圭の腕は夢中で悠也をきつく抱き締める。鼓動の速さも体温の高さも、どちらのものか区別できない。だが、その混じり合う感覚が、今はただひたすらに心地よかった。
やがて、溶け合った熱の中に、じんわりと静けさが降りてくる。
弾んでいた二人の呼吸がゆっくりと凪いでいく。
ふと、悠也が圭の頭を慈しむように撫でた。そして、額に贈られる柔らかなキス。圭は恍惚と瞳を閉じる。
「……俺、ここにいるから。もう離さないから」
穏やかに囁く声が、鼓膜を優しく震わせる。汗で濡れた前髪の隙間から、ひたむきな黒い瞳が、ただ真っ直ぐに圭を見つめている。
「圭も、もう離れないで」
じん、と胸の奥に込み上げる熱。目の奥も熱くなる。
言葉にはならなかった。圭はかすかに、しかしはっきりとうなずいた。
悠也の瞳が潤んだような気がした。圭の視界は疾うに滲んでいるので、はっきりとは見えなかったけれど。
――「わたしは、人を、愛せない」
長年、圭を縛り付けてきた氷の枷が、跡形もなく溶けていく。縋り付いた指に、手に、きつく力を込めて抱き締める。熱い腕が、身体が、同じ力を込めて抱き包んでくれる。
悠也の腕の中で、圭は生まれて初めて、心からの安らぎの中で意識を手放した。
ともだちにシェアしよう!

