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第26話

 ご飯を食べた後チェックアウトを済ませ、じゃあまた月曜日に職場で、と言って矢田と別れる。  想定より早く解散したため、たまには街をぶらついてみようと思ったタイミングで後ろから誰かに声をかけられた。 「あれ……もしかして、長谷か?」  遠い記憶の中に閉じ込めた懐かしい声が、とても恐ろしいものに感じられた長谷はゆっくりと振り返る。 「やっぱり。久しぶりだな」  なんでもないように声をかけてきた男が、昔自分を捨てた男だと気づくのにそう時間はかからなかった。冷や汗が背中をつたうが、それを悟られないように笑顔の仮面を貼り付ける。 「ああ……柳瀬か。相変わらずそうで何よりだよ」 「うん。長谷も元気そうでよかった」  何を思ってこいつは声をかけてきたんだ、と考えている間に彼の妻と子供らしい人が声をかけてきて、柳瀬はじゃあまたどこかで、と言い残し去っていった。  長谷は思い出したくない過去を強制的に引きずり出され、しばらくその場に立ち尽くしていた。  柳瀬とは二十代の頃に付き合っており、その頃は二人ともずっと一緒にいるものだと思っていた。それがある時「好きな女性が出来たから別れてほしい」と切り出され、長谷は数日間仕事に行けなくなるほどのショックを受けたがなんとか一人で立ち直った。  それもあって本気の相手を作らないようにしてからは、とても楽な日々を送っていたのに、どうして。矢田のよく分からない甘さに絆されかけていた長谷は、現実を突きつけられて心臓がずきんと痛んだ。 「なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ……」  呟く声は不意に吹いた強風にかき消されて消えていく。  どうしようもなく心臓がいやなふうに音を立てていて、人肌が恋しくなったがアプリを立ち上げても今日に限って好みの子がいない。  震える指でメッセージアプリを立ち上げると、通話機能のボタンを押す。  数コールの後、出た相手に長谷は今にも泣き出しそうな声で語りかけた。 「矢田くん、ごめん。もう一度会えないかな」 『……なんかありました?』 「べ、別にいいだろう、僕のことなんて」 『……ふうん。まあ、いいですけど……なら俺の家来ます?多分部長のいるとこからも近いですよ』  集合場所の指定をされて、いやにあっさりと通話を切られる。今の長谷には何故矢田に電話をかけてしまったのか、これから自分は彼にどうしてもらいたいのか、全くわからないままふらふらと歩き始めた。

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