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第32話
スマートフォンを触っていると、矢田を見つけたアプリのアイコンがふと目に留まる。
そういえば、彼の目立つホクロをアイコンの中に見つけて興味本位で声をかけたのが最初だったな……とつい最近のことだがしんみりしたものを感じた長谷は、アイコンをタップした。
馴染みの相手からの返信を適当に済ませ、矢田のアカウントを探したところ既に退会済みとなっていた。
「え……?」
思わず漏れた声にはっとして周りを見回したが、まだ矢田は風呂から戻ってきておらず安堵する。
退会済みか存在しないユーザーです、の文字を指でなぞったあとでアプリを閉じるとそれを見計らったかのように矢田が戻ってきた。
彼もまたラフな格好になっており、風呂上がりだがちゃんと服を着た状態の矢田を始めて見た長谷が少しの間固まっていると、矢田がぷっと吹き出した。
「部長、見過ぎですって」
「すまない。なんだか新鮮で」
「それを言うなら俺の服着てる部長の方がずっと新鮮ですよ」
水でも飲みます?と普段と変わらない笑顔で語りかけられ、風呂へ入る前の陰が落ちた表情がなかったかのように振る舞う矢田を見て、もやもやとしたものが胸の中を渦巻いている。
そのもやの正体に行き着く前に、矢田が水の入ったコップを持ってきたため思考が途切れる。
隣に座って水を飲み干した矢田が、壁にかかっている時計を見てから口を開いた。
「部長、体調はもう大丈夫ですか?」
「ああ。君のおかげですっかり良くなったよ、ありがとう」
「いーえ。だったら今から映画見ません?サブスク入ってるんでよかったら好きなの選んでください」
テレビの電源をつけ、慣れた操作で動画サイトの画面に切り替えた矢田にリモコンを渡され、長谷は当惑する。
どうしたんですか、と顔を覗き込まれた長谷は頬を少しだけ赤らめながら声を発した。
「よかったら矢田くんが好きな映画を一緒に観たいな」
「俺のですか?」
「うん……ダメ、かな」
「いいですよ」
リモコンを矢田に返すと、お気に入り登録の画面からある映画を選択した。なかなかに古めの洋画を選択したのを見て彼にしては渋い趣味だな、と思っているとそれを察したらしい矢田がばつが悪そうな顔をした。
「……祖父が、この映画好きで。よく一緒に観てたんですよね」
「すまない。失礼なことを聞くかもしれないけど、お祖父様は……?」
「あ、普通に元気ですよ。最近会えてないですけど」
じゃあ再生しますね、とリモコンを操作した矢田からこれ以上は詮索するなという空気を感じた長谷はテレビの画面に視線を移す。
序盤の水に墨が落ちるような映像を見て、まるで自分の心だなと長谷は感じた。
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