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第50話

 初老の男は今よりも大分若いものの、長谷でも顔を見たらすぐに誰だかわかる程の人間だった。  日本でトップシェアを誇る自動車メーカー、矢車モータース。写真の男はその会長職に就いている男だった。確か彼の名字も―― 「……矢車モータースの会長が、君のお祖父様なんだね」 「はい。ちなみに親父が今、社長やってます」  目の前で神妙な面持ちをしている彼はいわゆる御曹司、という訳になる。どうりで年齢の割に高級そうなマンションに住んでいたんだな……と一人納得していると、それを察したらしい矢田が無表情で口を開いた。 「えっと……俺は、普通のアパートとかでよかったんですけど。じいちゃんがうるさくて」 「……君が可愛くて仕方ないんだね、お祖父様は」 「いつまでも子供扱いしてるだけですよ」  少しむくれた矢田を微笑ましく見たあと、長谷は純粋な疑問を口にした。 「君はなんで、車とは関係ない今の会社に来たんだい」 「会社は兄が継ぐし、俺みたいな平凡な奴がコネで入ったら絶対に面倒くさいことになるでしょう。だからですよ」 「君は平凡じゃないよ」 「いや、俺の家のこと知ったからっておべっか使わないでくださいよ」  吐き捨てるように言った矢田を、長谷は悲しそうな表情で見る。何が言いたい、とでも言いたげな目で見てきた矢田を見つめ返しながら、長谷は言葉を発した。 「違うよ。僕は上司として、ずっと君を評価していた」 「そんな嘘」 「嘘じゃないよ」 「……」 「……嘘じゃ、ないからね」  目を逸らした矢田を見続けながら、長谷は言葉を続ける。 「僕は君の家庭の事情も知らなかったし、君自身のこともまだよく知らない。でも、僕が今まで会社で君の仕事ぶりを評価してきたことと、この前僕が言った気持ちは間違いなく君そのものを見て、僕が感じたことを言っただけだよ」 「本当、ですか?」 「もしかして、自分には分不相応だと君が言っていたのも……そこが関係あるのかな」  はっとした様子の矢田は、視線をきょろきょろと動かしたあとにゆっくりと俯く。長谷はその様子を茶化すでも責めるでもなくただただじっと彼が何かを言い始めるのを待っていた。  矢田は何かを決意したかのように口を開けては閉じ、その度に深呼吸をする。とても言いづらいことを言おうとしているのは誰の目にも明らかだった。  数分そうした後、長谷をまっすぐに見つめた矢田はこう言った。 「……俺の昔話、聞いてくれますか」 「勿論。今日はたっぷり、時間があるからね」

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