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エピローグ②
「その前に、朝食食べましょうか。簡単なものしか作れないですけど……待っててください」
起き上がってベッドから抜け出ようとした矢田のパジャマの裾を、長谷は無意識に掴む。
「え?」
「あっ……」
「あは、一緒に行きましょうか」
「……うん」
長谷は年甲斐もない行動をした自分自身に一番驚いていたが、それを嫌がらず受け入れてくれる矢田の懐の深さに感謝しながらベッドを降りた。
リビングダイニングへ行くと、いつものようにソファーへ座るよう促される。
「ここなら俺が見えるから、譲さんも安心でしょう」
「うう……からかわないでくれるかな……でもありがとう、嬉しいよ」
「いーえ、いいんですよ」
矢田は長谷の額に軽く口づけると、キッチンの方へと歩いていく。
今、目の前で朝食の準備をしている非の打ち所がないような男が、こんなおじさんの恋人になってくれるなんて、人生わからないものだなと長谷はひとり噛み締めていた。
手際よく卵を溶く音、フライパンの上で油がぱちぱちとはぜる音、漂ってくる香ばしい匂い――
そのひとつひとつが、今の長谷には新鮮で、胸の奥をじんわりと温めていく。
「……なんだか、まだ夢を見ているみたいだな」
思わず独りごちると、矢田が顔を上げて笑った。
「夢じゃありませんよ」
程なくしてテーブルの上に、焼きたてのトーストとふわふわのスクランブルエッグ、色鮮やかなサラダが並ぶ。
「本当にあり合わせなんで簡単なものですけど……」
「いや、いいんだ……十分すぎるぐらいだよ」
矢田が作ってくれたという事実だけで、長谷にはどんなご馳走よりも価値があるように思えた。
「はい、どーぞ……座ってください。譲さんのお口に合うといいんですけど」
矢田がうやうやしく椅子を引いてくれる仕草に、長谷は少し照れながら腰を下ろす。
向かい合って座り、食卓を挟んで視線を交わす。
昨日までとは違う、恋人同士として初めて迎える朝――そのささやかな事実が、長谷の胸を満たしていた。
「いただきます」
二人同時に声を揃えて笑い合ってから、ゆっくりと朝食をとり始めた。
「そういえば、どこの水族館に行きますか」
矢田がトーストを飲み込んでから長谷に問いかける。
「うーん……今日は遠くに行くにはちょっと遅いし、いったんは近場でいいんじゃないかな」
「確かにそうですね。じゃ、遠くの水族館はまた今度行きましょう」
「また今度」という言葉を聞いて、長谷は何故だか泣きそうな気持ちになる。こんな幸せがあっていいものなのだろうかと、何度も何度も反芻していた。
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