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番外編 ある日の長男のこと

 わたしは獣人の国の王、獅子王と人の国から嫁いできた王子との間に生まれた獅子族だ。わたしには二人の弟と兄弟みたいに一緒に育った仲のよい双子がいる。小さい頃からいろんなことに興味を持つわたしが生まれて初めて興味を持ったのが兄弟たちだ。気がつけば観察するように見守るようになり、いまも彼らを観察するように見守り続けている。 「兄上、もうすぐヴァニリアたちが到着するって」  そう言いながら部屋にやって来たのは上の弟のメランだ。 「クリュソは?」 「さっきまであっちに……って、あれ? どこ行ったんだろう?」 「さっきまでそこで本を見てたんだけどなぁ」とはメランの言葉で、どうやら壁沿いに並んでいる資料棚を見ていたはずが、いつの間にかいなくなったらしい。その痕跡なのか、近くの机には何冊もの本が置きっぱなしになっていた。すべて人の国について書かれたもので、あれこれ探している途中でもっと興味を引かれるものでも目に入ったのだろう。  下の弟クリュソは昔から好奇心旺盛で少しもじっとしていなかった。大人になれば少しは落ち着くかと思っていたものの、どうもそういう様子は見られない。 (小さい頃は、それで何度も母上に叱られていたな)  気がつけば土まみれになるほど転げ回り、そうかと思えば自力で下りられないほど高い木に登る。あるときは川に飛び込んで溺れかけたこともあった。そのたびに母上から「勝手にどこかに行っらた駄目!」と叱られていたが、大人になってもこうしてフラッといなくなることが多い。  そんなクリュソは双子の片割れであるキトロンと仲がよかった。どちらもやんちゃだから気が合うのだろう。  子どもの頃は、そんな二人の様子が興味深くてよく観察していた。二人は物の見方や考え方に共通する部分が多いらしく、膝をつき合わせて何事か話し合っていることがある。そういえば二人とも人の国が大好きだという点も似ていた。そして二人とも母上のことが大好きだ。 「兄上、ちょっと探してくる」 「たぶん書庫じゃないかな」 「あー、なるほど。クリュソ、随分浮かれてるなぁ」  そんなことを言いながらメランが部屋を出て行った。  メランとは一年と少ししか年が離れていないからか、兄弟というより双子のような感覚になることがある。ところが体はメランのほうがずっと大きく、たまに兄のような懐の深さを感じることもあった。それが母上には不思議なようで、いまも時々「獣人っておもしろいね」と口にする。  そんなメランは体の大きさこそまったく違うものの、どことなく母上に似ていた。いろんなことに動じず物怖じしないところはとくにそっくりで、菓子作りを趣味にしているところも同じだ。人の国の王子という身分の母上だが、王族らしくない趣味を持っているところもよく似ている。 (そういえば菓子に使うからと食用花を育てるようになったのも似ているな)  母上は植物を育てるのが上手だ。いまではメランと二人で食用花や人の国のスパイスなどを育てている。そんな母上を父上は目尻を下げながら見守っていた。 (そういえばメランもああいう父上の表情をすることがあったか)  大抵は双子の片割れヴァニリアを見るときに見せる。小さい頃、わたしはクリュソと一緒にいることが多いキトロンの面倒をよく見ていた。だからメランがヴァニリアの面倒を見ているのだとばかり思っていたが、最近はヴァニリアのほうがメランにかまっているように感じる。ヴァニリアの様子から「メランをつがいだと思っているんだろうな」とはわたしの見解だが、あながち間違いではないだろう。父上やメリ小父上(おじうえ)は気づいているようだけど、人である母上やヴァニリアの母であるシロウさんは気づいていない。 (知ったら二人とも驚くだろう)  とくにシロウさんは「つがいになりたければ俺の屍を超えていけ」などとメランに言いかねない。まぁ、超えるのはヴァニリアのほうだろうが。  双子の両親は父上の従弟であるメリ小父上と、母上と同じ人の国から来たシロウさんだ。シロウさんは少し冷たい感じに見える美人で、そんな姿からは想像できないほど口があまりよくない……というか悪い。しかしそれがとても似合っている。どこかふわっとしているメリ小父上と並ぶとチグハグに見えなくもないが、それがなぜかとてもお似合いなのが不思議だ。 (それに独特のつがいというか……)  小さい頃は、どちらが双子を生んだのかわからなかった。少し大きくなって、そういうつがいもいるということを知った。双子を生んだのはシロウさんだが、メリ小父上が生んでいてもおかしくない関係というのも興味深い。 「あれ? ポイニーしかいないの? ほかは?」  そう言いながら母上が部屋に入ってきた。 「双子は間もなく到着するそうですよ。メランはクリュソを探しに行っています」 「あはは、クリュソは相変わらず落ち着きがないなぁ」 「あれで本当に大丈夫かなぁ」と笑っている母上は、相変わらず少年のような見た目をしていた。  母上は赤ん坊のときに高熱を出して死にかけたことがあるそうだ。その影響で体が大きくならず小さいままなのだと教えてもらった。そんな母上は獣人の国と人の国の和平のために父上に嫁いできた。王の花嫁といえば聞こえはいいものの実際は人質だったのだろう。  父上は何も言わないが、おそらく二人の間に生まれた子どもを人の国の王に据えるつもりだったに違いない。そうせざるを得ないほど獣人たちは人を憎み、恐れてもいる。そのことはわたしもよく理解していた。  ところがやって来たのは母上で、想像していた人質とは随分違ったはずだ。王子という身分とは思えない雰囲気のうえに獣人を恐れることもない。そんな母上だからか、いまでは多くの種族が母上を快く受け入れていた。裏表がない母上に獣人たちも心を許しているのだろう。 (それに、こうして獅子族の子を三人も生んだ)  これは人である母上にしかできないことだ。母上の功績もあるからか、獣人の国と人の国は緩やかながらも前向きに交流を持つまで関係が改善された。以前は軍人ばかりが人の国に行っていて、メリ小父上もそうして派遣された一人だった。しかし今回向こうに行くのはクリュスだ。獣人と人との間に生まれたクリュスが行くというのは、それだけで意義が大きい。 (問題は本人にその意識がないことだが)  何かあったときのためにということでメリ小父上もついていくことになった。それを聞いたキトロンが「クリュスばかりずるい!」と文句を言っていたけど、それを「うちの馬鹿息子が迷惑をかけた」と拳一つで黙らせたのがシロウさんだ。 「だから、おまえばっかりずるいって言ってんの!」 「じゃあキトロンもちゃんと勉強して許可もらえばいいじゃん」  クリュスが親善一行に選ばれたときのことを思い出していると、当時とまったく同じやり取りが聞こえて来て思わず苦笑してしまった。 「うっさい! 毎日やってるっつーの!」 「ちょっとキトロン、大声出さないでよ。またシロウさんに叱られるよ」 「ヴァニリアは黙ってろよ! くっそー、俺だっていつか人の国に行ってやるんだからな!」 「クリュソもキトロンも人の国、大好きだもんな。いつか二人で仲良く行けるといいな」 「メラン、二人のことは放っておいていいよ。それより明日の約束、覚えてる?」 「約束? 何かあったっけ」 「一緒に食用花の種を買いに行くって言ったの、メランだよ?」 「そうだった。ごめんリア、すっかり忘れてた」 「その後、一緒にお菓子の店に行こうって言ったことは?」 「あー……っと、大丈夫、忘れてない」  メランの返事にヴァニリアがムッとしているのが想像できる。どうやらメランは無事にクリュソを見つけ、ついでに双子も到着したらしい。にぎやかな四人の声が段々と近づいて来る。  そんな四人の声に「相変わらず仲良しだねぇ」と言いながら、母上がお菓子とお茶の用意を始めた。 (今日のお菓子はシロウさん直伝の水羊羹だ)  母上が作るお菓子は菓子職人が作るものとは少し違っている。でも、それがわたしたち子どもにとっては最高のお菓子だ。小さい頃から母上のお菓子を食べて育ったわたしたちは母上手作りのお菓子が大好きで、いまでもこうしてたまに集まってはみんなで食べる。 「あ、母上!」  部屋に入ってきたクリュソが真っ先に母上に気づき抱きついた。それを笑顔で受け止めた母上が「はいはい」と言いながら腕を伸ばし頭を撫でる。 「クリュソったら、また勝手にいなくなったんでしょ。そんなんじゃ向こうに行っても迷惑かけることになるよ?」 「大丈夫だって。人の国に行くの夢だったんだから、ちゃんと仕事してくる」 「俺だって夢なのにクリュソばっかずるいよな」 「ちょっと、そういうことばかり言ってるとまたシロウさんに叱られるってば」 「ヴァニリアはいいよな、メランと一緒にいるだけで幸せなんだろうから」 「ちょ、ちょっとキトロン! いまは関係ないでしょっ」  双子が言い合っているのを母上はニコニコと見守り、その隣でメランもニコニコ笑っている。 (……メランはぼんやりしているからな)  ヴァニリアの想いにまったく気づいていないメランを、ヴァニリアがチラチラと見ているのが憐れだ。 「はーい、みんな座って。今日は水羊羹と冷たいほうじ茶だよ」  母上の言葉に全員が大人しく席に着き、さっそくお茶の時間がはじまった。口々に「おいしい」だとか「さすが母上」だとか言いながら、近況報告を含めてあれこれ話を始める。 「クリュソが向こうに行くの、もうすぐだっけ」 「うん。でもたった三カ月なんて短すぎるよな」 「三カ月でも十分だろ」  まだ不満なのかキトロンがそんな憎まれ口を叩いた。 「十分なわけないだろ。だってたった三カ月でつがいを探すなんて無理すぎる」 「は!? おまえ人のつがいを探すつもりなのかよ!?」 「もちろん仕事もする。でもつがい探しも諦めない」  クリュソの返事にキトロンは呆れ、メランとヴァニリアは顔を見合わせている。母上といえばニコニコ笑っているだけで何も言わない。 「……俺だって人のつがいがほしくて勉強がんばってんのに……」 「え? キトロン、まさかそれ本気? シロウさんに聞かれたら『そんな不純な動機で何やってんだ』って説教されるよ?」 「ヴァニリア、絶対言うなよ」 「言わないけど、でも早く話しておいたほうがいいと思うな。シロウさん、きっと心配するから」  双子の話を聞いていた母上が「そっかぁ、みんな人のこと好きになってくれてうれしいなぁ」と言いながら、やっぱりニコニコ笑った。  いまでこそ人を見ても眉をひそめなくなった獣人たちだが、年寄りの中にはいまだに人を煙たがる人たちもいる。とくに戦争中のことを知っている人たちは、いまだに母上のことも嫌っているくらいだ。母上が嫁いできた頃はまだそういう雰囲気があちこちに残っていたらしく、同じ頃この国に来たシロウさんもそういう話をしていたことがある。だからヴァニリアはシロウさんが心配すると口にしたのだろう。 (クリュソもキトロンも母上のことが大好きだからな)  だから人のつがいがほしいと思っているに違いない。わたしも両親を見ているとそう思うこともあったが、いまは獣人の恋人を大事にしたいと思っている。相手が獣人でも人でも父上と母上のようなつがいになるのがわたしの夢だ。 「そっか、クリュソもキトロンも人のつがいがいいのかぁ」 「うん」 「俺だって、いつかクリュソみたいに人の国に行ってつがいを見つけるつもりだから」 「そっかそっか。ぼくはもう長いこと人の国に帰ってないけど、人の中にはまだ獣人を怖がる人もいると思う。でも、人も獣人も少しずつ変わってきてる。きっと人の中にもぼくみたいに獣人を好きな人がいると思うんだ。そういう人の中に二人のつがいがいるといいね」  ふわりと笑った母上にクリュソとキトロンが頬を赤くしながらコクンと頷いた。 「俺、早くつがいと結婚したい。そして俺たちみたいに子どもは最低でも三人はほしいと思ってる」 「なに言ってんだよ、クリュソ。まだ見つかってもないくせに」 「今回の三カ月で見つかるかもしれないだろ? それに俺、母上と同じで大家族が夢だから」  クリュソの言葉にメランが「俺も大家族っていいなって思うよ」と続けると、隣に座っているヴァニリアが目元を赤くしながらちろっとメランに視線を向けた。 「僕も大家族がいいなって思ってる」 「リアもそう思う? 子どもがたくさんいて毎日にぎやかなのっていいよね。でも、そういうのって相手がいないとね」 「ねぇメラン、相手ってさ、その……」  もじもじしているヴァニリアにキトロンが「おまえこそ急がないと誰かに持ってかれるぞ」と横やりを入れる。 「キトロンは黙ってて!」 「ま、最初に結婚するのは俺だけどな」 「これからつがい探しをするクリュソがなに言ってんだよ」 「それはキトロンも同じだろ」 「案外同じときにみんな結婚したりしてね……って、リア、どうしたの?」 「ねぇメラン、さっきの話だけど」  またもやさわがしくなってきた。そんな兄弟たちを観察しながら静かに水羊羹を口に運ぶ。 「やっぱり大家族っていいねぇ」  のんびりした母上に頷き返しながら「わたしの話をするのはいつがいいだろうか」と考えた。父上に話をする前に母上に恋人を紹介したい。きっと母上も気に入ってくれるはずだ。そんなことを考えながら、もう一口と水羊羹を口に運ぼうとしたときだった。 「そうだった」  母上の声に四人が口を閉じた。 「みんなに報告しようと思ってたことがあるんだ。あのね、あと四カ月くらいで赤ちゃんが生まれるんだけど」  口に入れようとしていた水羊羹が皿の上に落ちる。 「ちょうどクリュスが戻って来てから生まれる感じかな」 「母上、それは……」  驚くわたしに母上がニコッと笑った。 「みんなに妹か弟ができるんだよ。カズ先生の話だと女の子かもしれないってことだけど、ぼくはどっちでもいいかなと思ってる」  ニコニコ笑う母上は、水羊羹を一口食べて「うん、上手にできてる」と満足げな顔をした。そんな母上とは違い、わたしたち五人がしばらく時が止まったかのように固まってしまったのは仕方がないことだろう。

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