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第九話「ハクからハクへ」

 翌朝。五人で、ミーティングをすることになった。  ハクの部屋をノックし、ドアの外から「時間だから、一緒に行こう」と声を掛ける。待たされることなくドアが開けられ、ハクが廊下へ出てきた。オレはできるだけ事務的にハクに話しかける。 「ジンの部屋に集まることになった。最上階だから、エレベーターで行こう」  ハクはコクリと頷く。ハクの現在の心持ちが分からず、無難な質問しかできない。 「昨日はあの後、よく眠れた?」  またコクリ。 「身体のダルさや痺れは回復した?」  コクリ。 「そうよかった」 「……心配を、かけて……すまなかった……」  とても小さな声でハクが言う。  今度はオレが首をブンブンと横に振る。その言葉が聞けただけで、いや、ハクの声が聞けただけで、涙が零れそうだった。  ジンの部屋はオレたちのデラックススイートより、もっとずっと広く、寝室とリビングが別々になっていた。リビングのテーブルには既に他の三人が着席し、オレたちが来るのを待っていた。 「お待たせしました」 「いえ、大丈夫ですよ。ハク、私が総支配人のイツキです。もうすぐ朝食が届きます。本日の寄港地はシンガポールですから「ナシレマ」というメニューにしてみました。美味しいですよ」 「ハク、ピアニストのマユミです。昨日より顔色がよくて安心したわ」  ハクは二人の顔を見て、ペコリと頭を下げた。  ジンが軽く咳ばらいをして、話し始める。 「この船のオーナーのジンだ。まず大前提の話をする。オマエは今、このシャングリラ号の中にいる。引き篭もっていた間も、朝、昼、晩と食事を取り、シャワーを浴びていただろう。ベッドメイキングは断っていたそうだが、今ここにいる間に、シーツが代えられ、部屋が掃除されているはずだ。この船に乗っている他の乗客は、このサービスにそれなりの代金を支払っている。つまり今のオマエは無銭乗船しているようなものだ」 「ジン!そんな言い方しなくても」  オレは思わず食って掛かる。イツキが最後まで聞きなさいとでもいうように、オレを手で制した。 「思うことは色々あるのだろう。歌いたくないとか、言いなりになりたくないとか、言い分があるのも分かる。ただ、この船に乗っている以上、働いてもらわなくてはならない。そういうことだ」 「……分かった」  言いたいことがたくさんありそうな顔で、ハクはそう答えた。 「それから、前のハクから渡された手紙を、我々にも開示してもらおう。オマエが何を知っていて、何を知らないのかこちらも把握しておきたい」  朝食が届いて、テーブルの上にサーブされていく。  ナシレマは、ココナッツミルクで炊いたライスに、揚げた小魚、ゆで卵、きゅうり、ピーナツが添えられ、サンバルという赤く辛そうなソースがかかっていた。  食べ始める前に、ハクは上着のポケットから封筒を出す。七通の手紙を肌身離さず持っていたようだ。それをジンではなくオレに渡してきた。 「ルイ、オマエが代表して読んで、あとでイツキに情報共有してくれ」  ジンがそういうので、オレが受け取って、胸ポケットに仕舞った。 「ハク、オレが預からせてもらうね。読み終わったらちゃんと返すから」  コクリとハクは頷いた。朝食の間は、マユミが天気や気温の話、客船内のエンターテイメントショーの話などで、場を繋いでくれた。  食事が終われば、ミーティングはあっさり解散となる。 「ハク、私とステージの打ち合わせをしましょう。サロン室へ案内するわ」  マユミが母親のようにやさしくハクに語りかけ、二人でエレベーターに乗り込んだ。ここはマユミに任せるべきだろう。彼女の判断で、ステージが再開できる日にちが決定するはずだ。  オレは一人で船尾のカフェレストランへ行き、七通の手紙を読み始めた。手紙を書いたときのハクは「ルイは見るな」と言っていた。  だから「ごめん」と心の中で謝りながら封筒を開いた。 「ハクからハクへ」と見慣れた字で書かれた封筒の中には、まず七通の手紙を包むように一枚の紙が入っている。 — 「はじめに」 この手紙を読んでいるキミの名前は「ハク」だ。 これを書いているのは、記憶を失う前のキミ自身。 というわけで、ハク宛てに七通の手紙を書いた。目が覚めたら日から、一日一通ずつ読んでほしい。情報量が多すぎてパニックになると困るから、一日一通を守ってほしい。 もし、続けて読んでしまいたい誘惑にかられたら、隣の部屋にいるルイに封筒ごと預け、一通ずつ渡してもらうといい。 でも、できる限り自分で管理して。ルイにあまり心配を掛けないように。 — 「一日目」 ハクが目を覚ましたのは、シャングリラ号という巨大な豪華客船の中だ。この船は一年中、世界各地を旅している。 まず分かってほしいのは、キミは、船から降りることができない。寄港地の観光にも行けない。 もし降りることを望んだとしても、それはキミが日々の生活に慣れ、置かれている状況を充分に理解し、周りの人たちと綿密な計画を立ててからのことだ。 ただ、船の中はとても快適で、困ることは一つもないから安心して。食事も美味しいから。 それからキミが最初に会った人物、ルイについて。 とても信頼のできる人だし、キミの味方だ。ルイがそばにいてくれれば、記憶を失っていても大丈夫。なんとかやっていけるだろう。 ルイとキミは二十五歳の同い年。誕生日も一日違い。 混乱しているだろうけれど、頑張ってハク。 どうか、ルイを悲しませるようなことは、しないように。 — 「二日目」 なぜ全ての記憶がないのか、それが最も大きな疑問だし、不安の原因だと思う。 まず、不慮の事故などではない。意図的に薬を服用し、起こした現象だ。 今、この手紙を書いている俺は、食欲もなく、倦怠感が酷く、船内の移動も最小限にしかできない。けれど、手紙を読んでいるキミの身体は、かなり健康なはずだ。体力は多少落ちているけれど、数日すればもっと元気になる。きっと髪も黒くてツヤツヤしている。 記憶は失ったけれど、健康は取り戻した。そう思ってくれ。 それから、ハクは歌を歌うことが好きだ。曲を覚えたら、大きな声で歌ってみたいと思う可能性がある。けれど絶対に人前で歌ってはいけない。理由は追々伝える。 歌ってしまったら、ルイに大きな迷惑を掛けることになる。もう一度書くが、人前で歌っては絶対にダメだ。 — 「三日目」 もうルイ以外の人とも会ったか?癖があるけど、皆いい人だ。 [シャングリラ号のオーナー・ジン] この船の中でハクが、美味しいものを食べ、何不自由なく過ごせるのはこの人のお陰だ。キミの顔を「綺麗だ」とか言うかもしれないけれど、気にしないように。キミはジンにとって大切な商品だから。 [総支配人・イツキ] この船を取り仕切っている、とても頼りになる男。常に働いていて、いつ寝ているのか不明。忙しい中、幼馴染のジンと二人になれる時間をとても大切にしているから、そういう場面では邪魔しないように。 [ピアニスト・マユミ] お母さんという存在を覚えていたらこういう人なんじゃないか、と思う。いつも笑顔で接してくれる、やさしい人。美味しい食事に詳しいから、色々と彼女に教えてもらうといい。頼ると喜んでくれる。 [ルイ] ルイとは仲良く話せるようになったか?ジェラートは食べに行ったか?ルイと話せるキミが、羨ましいよ。 — 「四日目」 ハク、歌声の効能については、もう聞いただろうか? キミの歌は「合法ドラック」とか「神様の声」とか呼ばれていて、とても商品価値がある。そんな話、信じられないだろうけれど、本当だ。 俺は今まで、たくさんのVIP客の前で歌った。半信半疑で聴き始めた人の表情がみるみる変わっていく。幸せそうな、幸福を取り戻したような顔になって、サロン室が多幸感あふれる空間になっていく。神でも見るような目で、俺を見る人もいた。 戸惑いはあるだろうけれど、自分の歌声で誰かが幸せになるのは、うれしいものだ。一度経験したらまた味わいたいと思うだろう。 この世には色々な職業があるけれど、これはやりがいのあるいい仕事だ。 ルイは過去に俺の歌を聞いて「地の底から引きずり出してもらった」と言っていた。キミもルイからその話を聞かせてもらうといい。    オレは一旦手紙を置いて、ミルクティーに口をつけた。  ガラス窓から外を見ると、いつの間にか港に入港している。乗客の多くが観光の為に、船を降りるはずだ。どおりで、カフェレストランが空いているわけである。  手紙を読んでいると、ハクの頭の中を覗いているようで不思議な気分になった。オレへの気遣いが随所に滲んでいて、胸がいっぱいになる。  もう一口、ミルクティーを飲み、再び手紙へ目を落とした。 — 「五日目」 昨日の手紙には歌うことの素晴らしさを書いたけれど、リスクについても話さなければならない。 まず、歌い終わると倦怠感に襲われ、手足にしびれを感じる。歌っているときは夢中だから、自分では身体の変化に気がつかない。 なので、許容範囲を超えて歌い続けると意識を失いバタンと倒れる。くれぐれも、ルイやイツキの管理下でのみ歌うように。 この倦怠感は、時間が経てば自然と治るから安心して。 けれど、日々の体調の悪さは少しずつ蓄積して、二年もするといよいよ具合が悪くなる。そしたら、薬を服用して記憶を消す処置が必要となる。 実はハクは既に四回、この薬を服用しているらしい。 ただ、今度こそ薬を飲まずに済むよう、ルイが色々と調べてくれている最中だ。 俺はルイを信じたい。きっと五回目の薬は、飲まなくてよくなるはずだ。 — 「六日目」 話はいよいよ、理解しにくくなる。すぐに信じなくてもいい。でも大切なことなんだ。 まず、なぜハクの歌声が人を幸せにするのか。それはキミの先祖が神と交わり、力を得たから。 山間の村で「ひびきさま」という名の信仰対象として、その能力は受け継がれてきた。神様の声を皆に届ける巫女や男巫が、ひびきさまだ。 その力は代々弱まっていたが、リュウという男が、キミの潜在能力を無理やり呼び覚ました。男巫から神に作り変えた、とリュウは思っている。 キミは遠い先祖と同じように歌うことで人を幸せにする強い力を得た。 ただし代償として、歌を聴いた人が持っていた「穢れ」を吸い取り、キミ自身は倦怠感に見舞われる。これは仕方がないシステムなんだ。休めば治る程度の不調だから耐えるしかない。 そんなキミをリュウの元から拉致し、このシャングリラ号に連れてきたのがジンだ。 村から離れ、船で歌うようになると「穢れ」は日々の倦怠感以外にも、キミの身体に蓄積し悪影響を及ぼすようになった。その結果が、記憶をリセットしなければいけないほどの体調不良だ。 「薬を服用した」と以前書いたが、正確には村にある薬草を煎じて飲んだ。こんな重要な場面で神秘の力というやつに頼るんだから心許ないよ。 ルイの調べによると、村にある「御神木」と物理的に離れてしまったことが、「穢れ」蓄積の原因ではないかとのことだ。この辺りのことがもっと解明すれば、対処できるようになるはずなんだ。 ここまで調べてくれたルイに、俺は感謝している。 — 「七日目」 これが最後の手紙だ。 今ハクは「それなら御神木のある村に帰ればいいのに」と思っているかもしれない。でも帰れない理由がある。 まずリュウについてだが、リュウとジンは兄弟だ。ちなみに、ルイの母親は兄弟の姉だ。 彼らの父親が「ひびきさま」を使って「響音の郷」という宗教団体を作った。現在その教団にとっての神はキミなんだ。 リュウは本気でキミを神だと思っている。自分が作り上げた神だと。危険な思想だよ。神に人権はないからね。何をさせられるか分からない。 だったら、職業として歌わせてくれるジンのほうがマトモだと俺は思っている。 リュウとジンは仲が悪くて対立しているんだ。ジンは「響音の郷」を解体する目的でキミをこの船に拉致してきた。教団はキミを奪還しようと常に狙っている。だから船から降りることはできない、というわけだ。 よく分からない話だっただろ?でもこれが、キミの身が置かれている現状だ。 どうか頑張って、ハク。よい方向に導かれることを祈っている。 追伸: ハク、俺はルイのことが好きなんだ。この船で彼に会えてよかったと思っている。 だからルイに、悲しい顔をしてほしくない。 ルイが悲しそうだったら、こっそり歌を歌ってやってくれないか。マユミに聞けば、ルイが好きな歌を教えてくれるから。 どうか、よろしく頼む。  読み終わった手紙を、丁寧に折りたたみ、封筒へ戻した。  これはまるでオレへのラブレターじゃないか、と思いながら。

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