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第十話「船の中の潜伏者」

 ハクがステージに立つルーティンが、始まった。休んでいた分の皺寄せで、一日三回のペースだが、致し方ないだろう。  マネージャーであるオレの一日のスケジュールも、必然的に決まってくる。しかしそれは、リセット前とは大きく異なっていた。  まず朝。隣の部屋に声を掛け、バイキング形式のレストランで一緒に朝食をとる。ハクはかなり眠そうだが、自力で起きてくる。合鍵は返してもらい、オレの手元にあるが、あれ以来使ってはいない。  朝食が終われば、ハクをマユミが待つサロン室へ送り届ける。三人でステージの時間を確認し、あとはマユミに託して、オレは自室へと戻る。VIP客の乗船リストを元にスケジュールを組んだり、客のところに出向いてリクエスト曲を決めたり、「響音の郷」について調べを進めたり。  以前はハクと一緒に食べていた昼食は、ルームサービスで一人で済ませている。ハクは一人だったり、マユミに誘われたりしながら、色々なレストランを試しているようだ。食べることが好きなのは変わらないようで、安心する。  一回目のステージが始まる一時間前に、ジムにいるハクを迎えに行き、サロン室へ同行。服装や髪型をチェックして、オレは客を迎えに行く。ステージが終わればマユミとオレで客を見送る。  ステージ後、控室で横になるハクを見舞うことはしない。本当は手を繋いでいてやりたいが、リセット後のハクに触れてはいない。だって、もうこれ以上ハクに嫌われたくはないから。  夕食はサロン室からの帰り道に、ハクと一緒にテイクアウトの食事を購入する。 「おやすみ、ハク」「おやすみ、ルイ」  挨拶を交わしたあと、それぞれの部屋で食べている。  実はまだ、ジェラートは一度も一緒に食べていない……。  ただ、オレといる時間が減ったハクには、以前よりも船内での知り合いが増えていた。  ステーキハウスのウエイターや、ロック歌手のジョウ、ジムのインストラクター、サロン室に花を配達してくる花屋など。  皆と会話を楽しむハクを見ると、以前のハクのこういう時間を自分が奪っていたのではないか、と胸がチクチク痛んだりもした。  こんなリズムの生活が一カ月ほど続いた。  四月になった今は、日本一周・韓国クルーズの真っ最中だ。日本はちょうど桜が咲く季節で、船内のロビーもそれに合わせた春らしい装飾になっている。  その日のシャングリラ号は、オレたちが朝食を食べ終わった頃に、東京のクルーズターミナルへ入港した。  オレは普段通り、ハクをマユミのいるサロン室へと送り届ける。 「今日のステージは十七時、十八時半、二十時の三回です。最初のお客様は、四年ぶり三回目だそうで、とても楽しみにされていました」 「そう。リピートできるってことはジンとかなり親しい方なのね」 「初めてハクの歌声を聴いたあと、色々考え方が変わって、今は福祉事業に力を入れているそうです。それが成功していて、ジンも一目置いている方だとか」 「こういうことも、あなたの功績なのよ、ハク」  マユミがハクに寄り添うように話しかけるが、ハクはなんとなく、うわの空だった。  その後、オレはイツキとの打ち合わせに向かった。来週分のVIP客のリストを受け取り、案内が車椅子となる人などの確認をした。  乗客の多くは桜咲く東京を見物するため、港から大型バスで観光へ出掛けていく。桜は、ちょうど見頃だそうだ。人の減った客船には、ゆったりとした空気が流れている。  いつの日か、ハクと一緒に船を降り、満開の桜を見たい。  そんなことを考えていたオレは、異変に気づくことはできなかった。  十六時にハクをジムへ迎えに行く。  ぐるりとトレーニングルームを見渡したがいつもの場所にハクの姿はなく、受付の女性に尋ねる。 「ハク?今日は見てないわね」 「このところ、この時間は毎日ジムだったのにな」 「あぁ、彼のトレーナーだったタロウが辞めたからかしら?昨日で終わりだったのよ。教え方が上手だったのに思ったり長く続かなくて残念だわ」 「そっか。ありがとう」 「次も良いトレーナー紹介するから、ってハクに伝えてちょうだい」 「OK」   ジムに居ないとなると部屋だろうか?ノックをするが返事はない。  ハクが仲良くしているらしいウエイターがいるステーキハウスも覗いたが、ハクの姿もウエイターの姿もなかった。  ウェイトレスに、ウエイターの所在を尋ねる。 「ケンのことね。彼、東京が故郷だから長期休暇をとって、昼過ぎに下船したのよ」  ウェイトレスは暇だったようで「ねぇ、ちょっといい?」と話しかけてくる。 「昨日から店内のテーブルクロスとカーテンが全て一新されて、色が変わったの」 「あぁ、言われてみれば雰囲気が違って見えるね」 「でね、このテーブルクロスだと、エプロンの色も変えた方がいいと思わない?」 「ごめん、オレ、そういうセンスはなくって」  彼女の話を適当に切り上げ、他にハクと親しい人を思い浮かべる。花屋は船内のショップでブーケを作っていたし、ロック歌手のジョウはショーの真っ最中だ。  すでに十六時半。もうサロン室に行ったのかもしれないとマユミに端末でメッセージを送る。 「来ていないわよ。どうかした?」 「ハク、ジムに居なくて。今、探しています」 「心配ね」 「マユミさんは、そこで待っていて。ハクが来たら連絡ください」 「了解。イツキには私から一報入れておきます」  マユミが送信してきた「心配」という文字で、オレの不安が急に昂まった。  いや、もしかすると部屋で寝ているだけかもしれない。久しぶりに合鍵を使うことを決めた。 「ハク。ごめん、入るよ。寝ているの?時間だよ」  声を掛けながら入室するが、誰もいない。ベッドには皺一つなく、昼に清掃が入っただろう室内は、綺麗に整っていた。  イツキから端末にメッセージが入る。 「ハク、居なくなったんですか?」 「どこかで寝てるのもしれません」  オレはあくまで、これは大事ではなく、ハクのうっかりだと思おうとしている。でもイツキは違った。 「都内のオフィスにいるジンに、急遽来てもらいます」  図書室や、展望デッキ、ジャグジーを走り回って、ハクの姿を探す。なにしろ大きな船だから、とても全部は確認できない。  時刻はまもなく十七時。  ハクはステージを黙ってサボるような人間ではない。リセット後もそれは変わらない。やはりハクの身に何かあったのだろうか?  しっかりと立っているつもりが、膝がわずかに震えてきた。  自分がこの状況に怯えていることを、もう隠しきれない。  十八時。もうすぐ日が沈む、黄昏時。  ジンはヘリコプターではなく、派手な黄色い車を自ら運転し、港にやってきた。係員に愛車と鍵を預け、タラップを登ってくる。  出迎えたイツキとオレに開口一番、「どういうことだ」と問うてきた。オレはただ首を横に振る。取り乱さないよう自分を抑えるだけで精一杯なのだ。 「今、スタッフ総出で船内を探しています。船の下船記録も、セキュリティカメラも当たっていますが、今のところ船を降りた様子はありません」 「ここ一年の間に、新規で雇ったクルーの居場所を確認しろ」 「え?あっはい。すぐに手配します。それでジンにはVIPのお客様の対応を」 「分かっている。そのつもりで来た」 「今はとりあえず、お食事をしていただいております」 「では、そこへ合流しよう」  幸いにも本日の全ステージの客は、顔見知り同士のセレブだった。ステージが中止になった旨を伝えて、一緒に寿司を食べてもらっている。  ジンは一人で会食の場へ向かい、イツキはどこかへ電話をし、クルーの名簿を用意するよう指示している。  オレは何もできずに立っている。ハクが居そう場所を、手掛かりがありそうな場所を必死に考えながら、ロビーに飾られた見事な桜の枝ぶりを見つめている。  気がつけば、横にいたはずのイツキも居なくなっていた。  考えろ、考えろ。今回のハクと、前回のハクの大きく違っているところはどこなのか?手紙の存在がもたらしたもの。以前と異なる環境。  さっきジンは何と言っていた?何を疑っていた? 「もしかして」  パズルのピースがハマったオレは、イツキに電話を掛けた。 「ジムのインストラクターのタロウ、ステーキハウスのウエイターのケンを調べて。おそらく彼らがハクの居場所を知っている!」  十九時。イツキの調べで、タロウとケンが、響音の郷の本殿がある県の出身者だと分かった。  次にイツキは、二人の昼過ぎの行動をセキュリティカメラで辿るよう指示を出す。  ケンは、ステーキハウスの古いテーブルクロスとカーテンを処分する為、処分用のワゴンを船外に出したのが、最後の仕事だったと判明する。  防犯カメラに映るケンが押すワゴンは、たいそう重そうに見えた。 「まさか、このワゴンの中にハクが……」 「あり得るかもしれません」  ジンの権力で港の協力を得られれば、タロウが下船してすぐレンタカーを借りたことも判明する。更に金の力で、レンタカーのGPSにて車の位置が特定された。  レンタカーはシャングリラ号から、さほど離れていない大きな公園の駐車場に停められていた。  エンジン音が響くジンの黄色い車の助手席に乗った。海沿いを走り、レンタカーが停まる駐車場へ向かう。  総支配人であるイツキは船を離れることはできない。 「よろしく頼みますよ、ルイ」  オレを信じて送り出してくれた。何年かぶりの下船がこんな形になるとは、思いもしなかった。  時刻は二十時。シャングリラ号の出港は二十二時の予定だ。  程なく到着した海沿いの広い駐車場に停まる車は少ない。すぐに該当のレンタカーを見つけることができた。  少し離れた場所に駐車したジンは、「行くぞ」と怒りを滲ませた声を出し、真正面からレンタカーに向かって歩いて行く。  辺りは暗く車の中の様子は分からなかった。しかし近づくにつれ、後部座席で影絵のように何かが暴れているのが見えた、 「ハク!」  作戦があったわけでもなく、気がつくと大声で叫んでいた。オレの声に合わせ、車の中でシルエットの動きが一瞬止まる。そして隙をついたように一つの影が後部座席のドアを開け、転げ出た。 「ハク」  見つけた。ここに居たのだ。続けて二つの影が出てきて、ハクの腕を掴み、車内に押し戻そうとする。  ジンが走り出し、一人の男に飛びかかる。男の手に握られていた通話中と思われる端末が地面を転がり、怒鳴るような男の声が漏れ聞こえた。  しかし、もう一人の男がハクを後ろから羽交締めにした。おそらく、ジンが捕まえた男がウエイターのケン。羽交締めにしている筋肉ムキムキの男が、ジムインストラクターのタロウだ。  オレはタロウと五メートル程の距離で睨み合った。 「近づくな。オマエも、オマエもだ」  オレとジンを威嚇しながら、ハクの首に回した腕を締め上げてみせる。彼らにとって神であるハクを殺す訳がないと分かっていても、暴走が怖い。 「やめろ!」  ハクの顔が苦しそうに歪んでいく。掠れた小さな声が、「ルイ、ごめん」と告げた。  ハクの目からポロポロの涙がこぼれ落ちているのは、苦しいからなのか、悲しいからなのか、この状況を申し訳なく思っているからなのか。  脅しに屈指、距離を縮められないオレは、叫んだ。 「ハク、歌え!」  ハクは思いもしないことを言われように驚きつつも、パチリと瞬きで返事をよこした。  一瞬の静寂ののち、掠れて苦しそうな、涙が滲んだ小さな歌が、ハクの口から発せられる。  夜の闇に、静かな旋律が流れた。ハクの首を締め上げていたタロウの腕が、徐々に緩んでいく。  そうすれば段々と声量が上がり、ハクの歌が夜空に上がっていった。  この歌は、リセットする前夜、ハクがオレのために歌ってくれた曲だ。  今のハクも、手紙の追伸に従って、マユミからこの曲を教えてもらっていたのだ。  タロウもケンも身体の力が抜け、立ち尽くしていた。ジンだけが怒りを纏って、彼ら二人を睨みつけたままだった。  ジンの耳に耳栓がされていたことは、後になって知った。いつ装着したかも分からないが「どうして?」と聞いたオレにジンは答えた。 「歌などにオレの感情を左右されたくない。それがプラスに働くとしてもだ」  我が叔父ながら、あまりに格好いい答えだった。

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