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第十三話「訪れた幸せ」
第十三話「訪れた幸せ」
今回ハクがリセットしたのは三月だった。タロウとケンが絡む事件があったのが四月。そこからさらに半年が経った今は、もう十月。「南太平洋・ハワイクルーズ」の真っ最中だ。
船外に出なくとも、ロビーに飾られた花々や、クルーのアロハシャツ姿を見て、それなりに南国気分を味わっている。
今のところハクとは、とても仲の良い友達といった関係だ。一緒に過ごす時間は長く、会話も弾む。ステージのルーティンにすっかり慣れたハクと、空いた時間にマジックショーを観たり、シアターで映画を観たりと、船内を楽しんでいる。
朝が苦手なハクを起こす役割も、させてもらっている。一応ノックをし「おはよう」と小さく声を掛け、合鍵でハクの部屋へ入る。スースーと眠るハクを起こす前に、カーテンを開け、光を室内に取り込む。
明るい室内で、ハクの綺麗な寝顔を遠慮なく眺められるこの時間が好きだ。
たいていの場合、掛け布団は掛かっておらず、白いパジャマを着たハクが、ベッドの上で身体を丸め眠っている。オレはその肩をやさしく揺さぶる。
「起きて、ハク。朝だよ」
「んー」
「朝ごはん、食べに行こう」
ボーっとしながらも上半身を起こすハク。そのまま、また寝てしまいそうになるから、「おはよう、起きて」と顔を覗き込むように声を掛ける。
少しずつ髪色がアッシュグレーになってきたハクを、抱きしめキスをしたい衝動を必死に堪えながら、もう一度「朝だよ」と伝える。
大学四年生の夏、社会勉強のつもりでこの船に乗った。客というより、ジンやイツキの仕事を見せてもらう意味合いが強かった。
本来なら就職が決まっていてしかるべき時期なのに、迷子になったように未来が見えない日々。鬱屈とした気分は一向に晴れない。
どこかにオレが行くべき場所があるはずだと、ザワザワザワザワした幻想に囚われ続けていた時期。
母の会社、リュウの教団、他にも声を掛けてくれる場所がある中で、ジンのシャングリラ号を選び、導かれるようにここでハクと再会することができた。
あの時のオレはハクへの積もり積もった想いが制御できず、衝動的に「好きなんだ。付き合ってほしい」と告げた記憶がある。
ハクはようやく日々のルーティンに慣れてきた時期で、自分が誰かの恋愛対象になるとは想像もしていなかったらしい。面白いことが起きたみたいに、笑って受け入れてくれた。もしかすると、付き合うということが何なのか、深く想像が及んでなかったのかもしれない。
二十一歳だったオレにとっても、全てが初めての経験だった。手を繋ぐことも、ハグも、キスも、身体を重ねることだってもちろん初めてで、必死だった。考えて行動に移すというより、ただただハクを欲し態度で示していたんだと思う。
二十三歳のときハクの記憶がリセットし、オレの恋もやり直しとなった。
けれどあの時は、ハクがまたオレを好きになってくれると、ナゼか信じることができた。だからグイグイと自分の恋心を押し付けた。拒否されるわけがないと、不意打ちでキスすることだってできた。
そして、今。二十五歳。
ハクとの距離は一向に縮まらない。すでに七通の手紙によりオレの思いは十分ハクに伝わっている。だからこそ、そこからの一歩を、どう踏み込めばいいのか分からずにいた。
その日。三回のステージが終わった後、ハクとマユミの三人でハワイアンメニューの夕食をとった。レストラン中央ではフラダンスのショーがあり、とても賑やかだ。楽しそうに見ていたマユミがダンサーにステージへ連れていかれ、一緒にフラダンスを踊るという一幕は、ハクと二人でかなり盛り上がった。
楽しかった分、ハクは疲れてしまったようだ。夕食のあとは部屋に戻り、「今日はもう寝る、おやすみ」と大きな欠伸をした。
「おやすみ。また明日ね」
オレはまだ眠る気分ではなく、一人でバーへ移動する。
そこでばったりジンに出くわしたのだ。
この人は、シャングリラ号にいる間、ランダムに色々な場所へ顔を出す。オーナーの目が光っていることをクルーに知らしめるためなのだろう。相変わらず優秀な経営者だ。
「なんだ、ルイ、一人か?ハクにフラれたのか」
いつまでも甥っ子を子どもだと思っている叔父が、馬鹿にしたように言う。
「フラれたもなにも、恋人同士ではありませんから」
オレは許可も得ず、カウンター席のジンの隣に座り、同じものを注文した。
「なんだそれ。あの手紙を読まされたハクは、オマエの気持ちなんて百も承知だろ」
「知っている上でハクは友達として接してくるんです。……脈がないのかもしれません」
つい弱気になってしまう。
「情けない男だな」
ジンはイツキとの恋の始まりを一回しか経験してないくせに、偉そうなことを言う。
「難しいんですよ、恋の始まりって」
「そんなんじゃ、オレがハクに手を出しても文句は言えないな」
オレはカウンターの椅子からすばやく降り、ジンに向かってファイティングボーズを取る。
「そんなことしたら、許さないからな」
ジンにはオレの姿が滑稽に映ったようで、大声を挙げて笑われた。
「ジン、お待たせしました。何をそんなに笑ってるんです?」
待ち合わせをしていたらしいイツキが現れ、驚いていた。オレはイツキに言付けてやろうと、「聞いてください。酷いんですよ」と話しだすが……。
ジンはカクテルを口に含み、イツキの腰に手を回してグッと引き寄せた。
「ジン……」
小さい声で戸惑いを示したイツキを無視し、唇にかぶりつくようなキスをする。口移しされただろうカクテルが、一筋、零れ落ちた。今度はその零れ出たカクテルを舐めとるように、ジンは舌を這わす。
「んっ」
イツキが鼻から色っぽい声をもらした。ジンの手がイツキの腰から臀部に回る。イツキの手はジンの背中に回り、シャツの生地に爪を立てる。見ていられないくらい、イヤらしい大人たちだ。
キスが終わる頃にはイツキは全身の力が抜け、足元が覚束なくなっている。
「イツキ、部屋へ行こう」
耳元で囁かれたイツキは、もうオレのことなんて見えておらずコクリと頷いた。
ジンは勝ち誇ったようにジロリとオレを見る。「オマエも頑張れよ」
格好つけたセリフを残して去っていった。
むしゃくしゃしたオレは過去にないほど、次から次へカクテルを飲んで、べろべろに酔っぱらった。どうやって部屋に帰ったのかも覚えていない。
翌朝。
オレはなぜかプロレスラーになり、ジンと闘っていた。ドンドン、ドンドンと、足を踏み鳴らし観客がオレを煽る。ドンドン、ドンドン。オレがコーナーポストに登ると観客はヒートアップしてゆく……ん?
手を広げリング上のジンに向かってダイブしたとたん、ゆっくりと意識が浮上した。
ドンドン、ドンドン。ドアの向こうで声が聞こえる。
「ルイ!どうかしたのか?大丈夫か?もう朝だぞ!」
慌てて端末を見れば、いつもハクを起こしに行く時間を三十分も過ぎていた。アラームは無意識に止めてしまったようだ。
ベッドから降りるとズキンと頭が痛んだ。完全な二日酔いだ。ノロノロと部屋を進み、ドアを開ける。
「ごめん、ハク、起こしに行けなくて……」
ハクはオレの顔を見るなり、ギュッとオレに抱きついてきた。肩口に顔を埋め安堵の息を吐く。
「心配したんだぞ。いつまで経っても起こしにこないから。俺、待ってたのに」
「待ってた?」
また頭にズキンと痛みが走って、こめかみを押さえる。
「ルイ、具合が悪いのか?」
「いや、大丈夫。ただの二日酔い」
ハクは心配した顔をして、オレをベッドへと連れていく。乱れたシーツを整え、オレに横になるよう促す。そしてカーテンを開け、部屋に光を入れてくれる。
続いて甲斐甲斐しく、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに注いでくれた。
ベッドで上半身を起こすオレの背中にそっと手を当て、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ほら、飲むといい」
オレはグラスを受け取り、ゴクゴクと冷たい水を飲んだ。それだけで随分と調子が回復した気がする。
「水をありがとうハク、生き返ったよ。起こしにきてくれたことも、ありがとう。今朝は、自分で起きれたのか?」
ハクは迷った顔をしたあと、重大な事柄を告げるような口調でオレに言った。
「ルイ。俺、たぶんそんなに寝起きは悪くない」
「へ?」
「目が覚めたあと、うだうだしたいけど、起きれない訳じゃない」
「そうなのか?今までのハクがそうだったからてっきり……」
「いや、たぶんだけど、今までのハクもそこまで寝起きが悪いわけじゃないと思う。もちろん疲れている日はなかなか起きれないこともある。でも毎日毎日そうだったわけじゃ、ないと思う」
「どういうこと?」
「あぁ、もう鈍いな!だから、わざとだよ。ルイが起こしにきてくれるのを、ルイが部屋に来て、カーテン開けて、俺の顔を眺めてくれるのを、待ってるんだよ毎朝」
「ん?」
アルコールが抜けきっていない頭では、いまいちよく分からない。首を傾げていると、怒った顔をしたハクの唇が近づいてきた。
「ちゅっ」と音を立てるような可愛いキスを、ハクがオレにしてくれた。
ハクからキスをしてくれるなんて、これはまだ夢の続きだろうか?
夢だとしてもうれしくてうれしくて、ハクを押し倒さんばかりに、お礼のキスを何度も何度も返してしまった。
朝食はハクがルームサービスを頼んでくれた。オレを気遣いメニューは朝粥だ。ハクの部屋ではなくオレの部屋のテーブルで、二人で食べているという非日常感だけで、二日酔いが吹っ飛ぶ。
最後のひと匙を食べ終わる頃、ハクがぶっきらぼうに「明日からは起こしに来なくていい」と言った。
「え?」
オレの毎朝の楽しみが、突然終わりを迎えてしまった。二日酔いのオレに、呆れてしまったのだろうか……。いや違う。オレがいなくてもハクは自分で起きられるのだ……。
ショックで項垂れると、ハクが怒る。
「だから、そうじゃなくて!」
「ん?」
「今夜からルイも俺の部屋で寝たらいいんじゃないかってことだよ!」
言うだけいって席を立ち、自分の部屋に帰ってしまう。ジワジワと喜びが湧き上がって、「やったー」と一人叫んだ。
幸せな時間というのは、瞬く間に過ぎていく。洋上でも同じだ。
毎朝目を覚まし、横を向くとハクがいる。常に身体のどこかが触れ合っていて、体温を感じることができる。
ハクの寝顔は穏やかで、苦痛は無さそうに見えるが、髪色はかなり白に近づいてきた。
もう少ししたら、長期的に溜まった穢れによる不調も、出始めてしまうかもしれない。そう思うと堪らなく悲しくなる。
次のリセットに向け心に決めたことがある。まだ誰にも話していないが、反対されてもオレは揺らがない。
髪に手を伸ばし、手櫛で漉いているとゆっくりとハクの目が開いた。
「おはよう、ハク」
オレは笑顔を取り繕う。
「おはよう」
ハクは大きく伸びをした。
「ルイ、今日の午後、美容院に行きたい」
「確かにちょっと伸びたね。予約しておくよ」
「ありがとう」
甘えるように肩口に、ぐりぐりと頭を擦り付けてくる。その仕草の可愛さにムラッとして、パジャマの上着から手を入れ暖かい素肌を弄った。
昼前にマユミとのリハーサルが終わり、二人でランチを食べた。レストランで別れたハクは美容院へ行く。
ステージが始まる一時間前に合流し、オレは心底びっくりした。
「ハク!どうしたの?」
「変か?」
「変じゃないよ!とても似合ってる」
「なら、よかった」
「でもどうして?」
「ルイが、毎朝毎朝、俺の白くなっていく髪を見て、悲しそうな顔をするから。海の色にした」
ハクの髪色はとても綺麗なブルーに染まっていた。
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