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第十四話「ルイからハクへ」

 ここ二年間。オレがハクのためにしていたことは、主に防御だ。  シャングリラ号に乗る新規クルーが、総支配人のイツキと顔合わせする度に同席させてもらい、顔を覚えた。  そして馴染みのクルーには、こっそり相談を持ちかけるようにハクのことを頼み込む。 「実はオレ、ハクのことが好きなんだ」  そう話し始めれば、「そうだと思った!」とか「お似合いだ」とか「歌手とマネージャーなんて禁断の恋じゃない!素敵」とか。皆、好意的な反応をしてくれる。 「ハクって結構モテるんだよ。男にも女にも。嫉妬深くて恥ずかしいんだけど、ハクが誰かと親しくしてたら、こっそり教えてくれない?」  そんな風に、船内にたくさんのスパイを潜ませた。もう二度と「響音の郷」の信者がハクに接触しないように。  この防御は功を奏し、一人のクルーと、二人の乗客をイツキに突き出し寄港地で下船させた。  そもそも船に乗る前段階で「響音の郷」関係者は振り落とされているはずだ。彼らもあの手この手と、必死なのだ。  シャングリラ号が五月「地中海クルーズ」から六月「北欧・バルト海クルーズ」に変わる頃。ハクの次の記憶リセットの日取りが決まった。  現在、オレもハクも二十七歳と半年。ようやく、本当にようやく、オレは目が覚めた。  これまでのオレは、リセットを防ぐために色々している様で、結局なにもしていなかったのだ。  毎日ステージに追われている。船上からの調べ事には時間がかかる。ジンやリュウのせいで未来が見えない。そんなの全て言い訳だ。  ハクとこうしてシャングリラ号で過ごす日々を、手放したくなかっただけなのだ。手を伸ばせばハクがいる距離を保ちたかった。笑った顔も、美味しそうに食べる顔も、そして、悲しくて苦しそうな顔すらも、そばで見ていたかった。  辛い辛いと言いながらも、ハクに歌わせ、それをサポートする。そのループにどっぷりと浸かっていたことは、罪深い。 「何があってもハクと二人でいる」  その優先事項を、改めるときがついに来てしまった。 「ハク」  振り返るハクの鮮やかな青い髪が、フワっと風に揺れる。 「なに?」  ハクはバルコニーから海を眺めていた。飽きるほど、何度も何度も眺めた海と空をただただ見つめていた。  顔色が悪い。体調がすぐれないのだろう。朝食も食べず、昼もスムージーだけだった。 「ハクが次に目覚めたとき、オレがこの船に居なかったら、どう思う?」  ハクは即答する。 「その時の俺は、何とも思わないだろうな」 「うん。……そうだね」 「そばにいなくてもいいよ。だって俺のために、そういう選択をしようとしている訳だろ?」 「うん」 「だけど、今の俺が薬草を飲むまでは、絶対に一緒に居てほしい。居てくれなかったら嫌だ」  手が伸びてきて、オレの腕をきつく掴む。 「もちろん、そのつもりだよ」  もう一歩ハクに近づき、両手でギュッと抱きしめた。彼の体温を感じ、決意が一瞬揺らぎそうになる……。けれど、ハクがオレの背中を押してくれた。 「いいよ。ルイが決めたことなら受け入れる。あっ、そうだ。手紙を書いてあげてよ、次の俺に宛てて。七通なんて言わないから。一通の手紙くらい残してあげて。ちょうどいいタイミングで読ませてって、マユミさんに託そう」  体調も悪く、もうすぐ記憶がリセットされてしまう虚しさを抱えたハクが、精一杯の笑顔をオレにくれた。  ハクの不調を引き起こしている「穢れ」について、常々考えている。  オレは最初の頃、ハク自身が人の「不幸」を吸い取り、代わりに「幸せ」を差し出しているのだと思っていた。歌うハクと、聴く客で、双方向のやり取りが行われている図式を思い浮かべていた。  けれど、何年もハクと一緒に過ごすうちに、その図式に違和感を覚えるようになる。ハクの力は一方向なのではないか。神として、人々に与えるのみなのではないか、と。  だとしたら「穢れ」とオレたちが呼んでいるものは、一体なんなのか。  神秘という目に見えないものは、イメージが掴みにくい。  だからオレは「穢れ」とは、ハクが人を幸せにするときに出る不燃ゴミなのだと解釈するようになった。  オレが頭の中に作ったイメージはこうだ。  ハクは「ひびきさま」の力で、幸せの滋養強壮剤みたいなものを精製することができる。  それを歌声によって人に届けている。このとき、ハクの身体は一時的なダルさや痺れを伴うが、それは休めれば回復する。労働による疲労みたいなものだ。  ただ、滋養強壮剤が入っていた空の瓶が、ハクの身体の中に不燃ゴミとして溜まってしまう。  御神木が近くにない今、その不燃ゴミを回収しリサイクルしてくれるシステムが存在しない。  空瓶は一本、二本と溜まっていき、今のペースだと二年と少しで抱えきれない量に達してしまう。  今、何本の空瓶を抱えているのかのバロメーターが髪色なのだ。白くなることで「もう持てないよ」と視覚的に訴えてくる。  身体が重くなり体調不調を引き起こす不燃ゴミを、ハク自身はどう処理することもできない。  だから、オレたちは薬草を飲ませる。これはおそらく禁じ手だ。  瓶入りの滋養強壮剤を精製した記憶を全て無くし、作ってないことにしてしまうのだから。  もし、ハクが歌わなくなったら空瓶は溜まらないのか?  オレの推測では、その場合、中身の入ったままの瓶が溜まってしまうのではないだろうか。  以前、母ユイコが言っていた。「ひびきさまは歌わずにはいられない」と。  リュウによって神の能力を開花させられたハクの身体は、常に「瓶入りの幸せの滋養強壮剤」を作り続けているのだ。  つまり、ハクは歌い続けなければならない。だから、瓶をリサイクルしてくれる御神木の存在が、ハクには必要不可欠なのだ。  イギリス・サザンプトンに入港するタイミングが、五回目の記憶リセットの日となった。  いつもどおり、ジンとイツキが立ち会ってくれる予定だが、マユミにも一緒に居てやってほしいと頼んだ。オレの決意はまだハクにしか伝えていなかったが、マユミは快く了承してくれた。  夜。一同がハクの部屋に集まった。  イツキが腕時計を見て「ルイ、お願いします」と静かに告げる。 「はい」  オレは涙一つ零さず、眠らされているハクと唇を重ねる。そして、少しずつ、少しずつ、ハクの歯列の間から煎じた薬草を流し入れた。  涙は昨晩、枯れるほど流したから、もうオレの身体には残っていない。泣くことも、取り乱すこともなく大役をやり遂げる。  大きな変化は起きず、ベッドに横たわるハクは、スースーと穏やかな寝息を立てている。体調不良の影響で少し痩せているが、リセット後にしっかり食べれば、一週間ほどで元の元気な姿に戻るはずだ。  髪色は今、白髪が青く染まっていてとても鮮やかだ。一晩経って黒色が戻ってくれば、青は目立たなくなるだろう。  服薬後もハクの呼吸が安定していることを確認し、ジンが部屋を出て行こうとするので、呼び止める。 「叔父さん。オレ……」 「なんだ」 「オレ、シャングリラ号を降ります」  ジンも、イツキも、マユミも驚いたようにオレを見る。 「降りてどうする?」 「リュウと話をしに村へ行きます」 「話をしてそれで?引き渡すつもりか、ハクを」 「その答えを、ここで考えても仕方ないとようやく気が付きました」  マユミが溜息のように「そうね」と呟く。  イツキだって、口を一文字に結び頷いてくれる。  マユミもイツキも思いは同じなのだ。もうこれ以上、ハクをリセットさせたくない。このループを繰り返すことに強い疑問を持っている。  だって、ハクがこの船に乗って、もう十年が経ってしまったのだから。 「オレはロンドンから航空便で日本へ帰ります。日本でハクを連れ去ろうとしたタロウとケンと、話ができるように手配してもらえますか?それから、母さんと叔父さんとオレの三人で食事の席を設けてください。二人からも聞かせてもらいたい話があります」  ジンは眠るハクをチラッと見た後、返事をよこす。 「俺は、ハクはシャングリラ号にいるのが安全だと思っている。なにしろハクのために用意した船だからな。ルイ、オマエはもっといい案を提示できるというのか?」 「分かりません。けれど必死に模索します。叔父さんだって、この先もずっと、このままでいいとは思っていないはずだ。ここには安全があるけれど、未来はないのだから」  ジンは鋭い目でオレを見る。オレは真っすぐにジンの目を見返す。 「ジン」  小さな声でイツキが促した。ジンは端末を取り出し、その場で二件の電話を掛ける。どうやらオレの要求は通ったようだ。 「詳細は秘書から連絡させる」  そう言って、ジンはハクの部屋を出ていった。 「イツキさん、マユミさん、ハクをどうかよろしくお願いします」  二人に深々と頭を下げた。 「それから、ハクに一通だけ手紙を書きました。お二人も読んでおいてください。前回みたいなことを防ぐため、どんなタイミングで渡すかはマユミさんに任せます。それから以前の「ハクからハクへ」の七通の手紙も、一緒に預けていきます。新しいハクがこれを必要としたら、読ませてください」  マユミは二つの封筒を、とても大切な物だというように両手で受けとってくれた。 「それからイツキさん。これ、ハクの部屋の合鍵です。こっちはオレの部屋の鍵。オレの部屋はこのまま残しておいてもらえますか?」 「もちろんです。ルイがどんな結論を導いたとしても、アナタはここへハクを迎えにくるのですから」  枯れたはずの涙が込み上げてきたけれど、必死に堪えた。 「では、いってきます」  ベッドに眠るハクの顔を見ずにオレは部屋を出た。彼の顔を見たら「やっぱり二人一緒に過ごす日々を捨てたくない」と、縋って泣いてしまいそうだったから。   — ルイからハクへ もしも急に、寂しくなったり、悲しくなったり、不安になったりしたら、総支配人のイツキさんか、ピアニストのマユミさんに、「ルイを呼んで」と伝えてください。 オレはシャングリラ号の中には居ないけれど、二十四時間以内に、あらゆる乗り物を使って、ハクのところへ駆けつけます。 ルイなんて知らないのに、呼ぶ意味がないと思うかもしれない。 だとしても、この世にハクのことを幸せにしてあげられる男が一人、存在することを覚えておいて。 今度、会ったとき、ハクをギュッと抱きしめます。そしたらオレの書いたことが本当だと、わかるはずです。 その日を心から楽しみにしています。

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