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第十七話「天から舞い降りる」

 梅雨が明ける頃には、オレの足枷は取り外された。逃げ出すそぶりがなかったからだろう。  ジンのところから、タロウとケンが村に送り込まれ、日々、彼らと行動を共にしている。  タロウとケンは、リュウ側の事情も、ジン側の事情も把握している稀有な存在として、重宝されているようだ。  彼らはリュウに「村から出なければルイの好きなようにさせなさい。ジンにはありのままを報告すればいい」と言われているらしい。  オレ自身が外部とコンタクトを取ることは禁止されていた。それでも、タロウとケンがジンへの報告を定期的にしてくれれば、繋がりが維持できているから心強い。もしもハクに大きな変化が起きたりしたら、きっとオレの耳にも届くだろうから……。  オレは変わらず本殿の部屋に寝泊りしている。朝になると御神木の根本に行き、ザワザワザワザワと囁く声を聞き、その日にすることを決める。  御神木の言う通りにすることが、結果プラスに働くのかどうかは、分からない。それでもしばらくの間は、ここで声の言うとおりに暮らしてみようと思っている。  村に暮らす人は、百名くらいだ。週に何度かある集いの日には、どこからかたくさんの人が集まってくる。集団で暮らす者もいるらしいが、彼らの宿泊施設は近隣の市町村にあるという。  オレのことは、東京から来たリュウの甥っ子だと村人に紹介されている。 「教団のことを勉強しにきたのかね?」  そう勘違いされるたびに「宗教心はありません」と断りを入れている。  村の毎日は思いのほか静かで、暮らしやすい。朝食にルームサービスを頼んだり、コーヒーを気軽に飲みに行ったり、ジェラートを食べたり、大きなスクリーンで映画を観たりすることはできないが、それなりに快適だ。  毎食用意してもらえる食事も、質素だが美味しい。  ただ海の青さが、波の音が、恋しくて堪らなくなることはある。  村には土地が余っているが平らな場所は少ない。村の入り口付近にも、だだっ広いが草や低木が生い茂って使い物になっていない場所がある。  オレが夏の間毎日していたことは、その土地の整地だ。もちろん御神木の声に従っての行動だが、声のことを知っているのはリュウのみだ。  タロウもケンも理由が分からないから、ブーブー文句を言ってくる。 「暑くてやってらんねー」  それでも一緒に草刈や大きな石の除去をし、土地を平らにならしてくれた。  信者の人々も、最初は不思議そうに眺めていた。けれど次第に、オレが教団のために駐車場を整備しているのだと勘違いし始め、それからは皆が代わる代わる手伝ってくれるようになった。  そのお陰で、路上や荒地に無理やり停められていた来客の車は、平らな広い土地に、危なげなく多数駐車できるようになった。  初秋には、村に生えている薬草について教わった。いつしかこの村で怪しまれなくなっていたオレに、老人たちが親切に薬草の扱い方を指導してくれた。 「御神木のそばに生える薬草は、どんな薬よりも優れていると、昔は言われていたんじゃ」  オレは誰よりも、この薬草の神秘を知っている。そう思いながら、たくさんの薬草を摘み、乾燥して保存する方法を学び、ストックを作った。 「薬草が重宝されていたのは昔の話で、今は市販薬のほうが効くぞ、ルイ」  それでも、種も収穫し、薬草そのものを増やす技術も得た。  秋が深まると、御神木には赤黒い実が成った。小さく、人間が食べるようなものではないが、熟成し、木から落ちるその実を、ムクドリやカラスと競ってひたすら集める。そんな、よくわからない日々も過ごした。  生活する中で、本殿でリュウの姿を見かけることはあったが、じっくりと話をするような機会はなかった。  御神木はオレに何をさせたいのかまるで分からない。ただ村や教団のための雑用をさせられている気もする。  梅雨から夏、夏から秋、そしてもうすぐ冬が来る。考えないように、考えないように、と自分に言い聞かせていても、夜になればハクに会いたくて堪らなくなる。  二人で過ごした日々を繰り返し繰り返し、映画のように頭の中に映し出す。けれど思い出の中のハクの声が、少しずつ不鮮明になっていく……。  ハクが五回目の記憶リセットをして、もうすぐ半年。オレの存在がなくても、マユミやイツキが取り仕切って、今までと変わりなくステージをこなしているだろう。  オレがハクが恋しくて眠れない夜を過ごしても、ハクはオレのことを覚えていないのだからどうしようもない。シャングリラ号にはもうオレの居場所がないのではないか、そんなことも考えてしまう。  シャングリラ号を降りたことが、そもそも間違いだったのではないか、毎晩毎晩同じ問答を繰り返して過ごしている。    十一月下旬。  山々は紅葉し、赤や黄色が美しく映えている。朝は空気がヒンヤリとし、温かい布団の中が心地よい季節。  その朝。  目が覚めたとき、外はまだ暗かった。掛け時計を見ればまだ四時だ。しかし、ザワザワザワザワと盛んに御神木が話しかけてくる。小間使いのように働かされている日々にうんざりし、布団を被って無視しようとしたが、ザワザワザワザワと騒ぎ立ててくる。 「うるさいなー。はいはい、なんでしょーか!」  言われるままに起き上がり、言われるままに夏に更地にした駐車場へ行く。  さすがにこの時間は、一台も駐車されていない。暗い中、懐中電灯で手元を照らしながら、駐車場の入口にロープを張って車が入れないようにした。これが今日の御神木のご指示だ。  今日は昼から信者が集う日なのに、ここへ来て御神木が信者を拒否するつもりか?疑問に思ったが、そんなことより眠かった。ロープを張り終わったオレは、とっとと本殿の部屋へ戻り、布団へと潜った。  朝食はタロウとケンと三人で広間で食べた。 「ルイ、今日は何をする?」  そう聞かれて気が付いたが、御神木は沈黙していた。もう今日の用事は済んだということだろう。 「今日は休暇にする。オレは自分の部屋の掃除でもするよ」 「そっか、オレたちは昼過ぎから教団の集まりがあるから、用があったら集会所に来てくれ」  朝食後に別れ、自室へと引き上げた。狭い部屋でも半年暮らせば、いつの間にか物が増えている。  洗濯や掃除をし、乾燥した薬草やその種が入った袋、御神木の実が入った瓶を整理して、午前中の時間を過ごした。  早朝に一度起きたオレは、片付けの途中で眠くなり、部屋の隅に畳んで置いてある布団を枕に、いつの間にかウトウトと眠ってしまった。  大海原に揺蕩うシャングリラ号に乗っている夢を、見ていた。  真っ白で暖かい寝具に包まり、ハクと二人で話をしている。 「朝ごはん何がいい?ルームサービスを頼む?」  そんな他愛もない話をしながら、まだ眠そうなハクの髪を撫でてやる。くすぐったそうに目を細めるハクの髪は真っ黒で艶があった。 「何か聴こえる」  ハクがそう言った。 「何の音?」 「ほら、空から聴こえるだろ?ルイにも」 「え?」  フフフと笑ったハクの顔が、オレの肩に顔を埋めた……。  なんの音だろう。以前はよく聞いた音だ。音は段々と大きくなる。大きな虫の羽音のようなブーンという音。こちらに向かって飛んでくる音。  目が覚めたときには、はっきりとヘリコプターの音だと分かった。かなり近くを飛んでいる。  オレは慌てて靴をはき、外へ出る。そして全力で走った。着陸する場所は分かりきっている。あの駐車場しかないのだから。  駐車場の周りには、路上駐車した車が乱雑に停められていた。そして信者の皆が、空を見上げている。ヘリコプターの車体には、シャングリラ号でもよく見かけるジンの会社のロゴマークが印字されていた。  息を切らすオレの前で、ヘリコプターは垂直に着陸を遂げ、プロペラの回転速度が弱まっていく。  最初に降りてきたのは、シャングリラ号総支配人のイツキだった。次にピアニストのマユミ。  オレは二人に駆け寄る。 「ハクがね、どうしてもルイに会いたいって。会ってみたいって。ストライキしちゃったのよ、ステージを。だから連れてきたわ」  ヘリコプターの中には、人影がある。パイロットともう一人。  黒い髪の男性が首を傾げた。 「オマエがルイか?」  ハクの声だった。半年ぶりにこの声を聞くことができた。  車内から明るい外へ一歩踏み出したその姿は、紛れもなくハクだった。思わず駆け寄り、抱き締めようと両手を広げたが、寸前で思いとどまる。このハクはオレのことを知らないはずだ。 「抱きしめてくれないのか?ルイ。手紙に書いてあっただろ?「今度、会ったとき、ハクをギュッと抱きしめます」って」  ハクはそう言って、オレとの距離を一歩詰めてくれた。 「ハク……」  だから思いっきり彼のことを抱きしめた。ハクの匂いがする。知らないうちに、オレの顔は涙でくしゃくしゃになっていた。  感動の再会場面だったのに、信者の誰かが「ハク様だ!」と叫んだから、様子が一変した。  彼らにしてみたら、待ち望んだ神が目の前に舞い降りたのだ。我が我がとハクを目掛けて、信者たちが駆け出した。  イツキとオレで必死にハクをガードする。タロウとケンもハクを守る側に回って信者を食い止めてくれる。マユミも持っていたカバンで応戦していた。  この場を治めてくれたのは、リュウだった。  拡声器を使って「神に触れてはならない!」と大声で怒鳴りながら、駐車場の外から一歩一歩、ハクに近づいてきた。無粋な拡声器の音声に少し冷静さを取り戻した信者たちは、動きを止め、当主に道を譲る。  そして、この場にいる全信者が、リュウと神の対面を固唾を飲んで見守っていた。  オレはハクの耳元で囁く。 「ハク、堂々とした態度で、この人と握手をして。そしてニッコリ微笑むんだ」 「は?この人誰だ?」 「オレを信じて、ハク」 「……わかった」  ハクは、オレとイツキのガードから抜け、リュウに向かって三歩進んだ。そしてゆったりとした動作で、右手を差し出したのだ。  ハクは、ごく普通の服装なのに凛として神々しい。歩み寄ってきた和装のリュウと握手した瞬間、信者たちは恍惚とした表情で割れんばかりの拍手をした。  その後、リュウの指示により信者は集会所へ移動した。この後、ハクの歌が聴けると信じて疑わない彼らの期待感は凄く、大きな熱量となっている。 「まずは本殿へ」  リュウはハクにそう告げ、オレたちを先導し歩き始めた。  移動する道すがらイツキに問う。 「ここにヘリコプターで乗り込んでくるなんて、危険だと思わなかったんですか?」  つい彼を責めるような口調になってしまうのは、仕方ない。 「私が反対しなかったと思いますか?危険だからやめろと、どれだけ言ったか。ハクはルイに会いたいと言って、ステージを一週間も休んだのですよ。更なるストライキとして、食事をとることもやめようとした。ハクが、こんな頑固な男だと思いませんでした。ジンは呆れて「勝手にしろ」と言うし。総支配人である私が船を留守にしてきたのです。ハクの反乱は、それくらいの大事だったのです」  思わず「ごめんなさい」とオレは謝る。 「ヘリコプターが着陸できるかも分からず無鉄砲に飛んできたわけではありませんよ。私もこの村の出身ですからね。タロウとケンからの報告で駐車場になったと聞いていた場所の地形が、ちゃんと頭に入ってましたから」  マユミが口を挟む。 「それでハク。念願のルイに会ってみてどうだったかしら?」 「分からない。でも、元気そうで……よかった」 「そうね。心配だったのよね、見たこともないルイのことが。駆けつけてあげたかったのよね、一人で闘っているって聞いたから」  ハクは恥ずかしかったのか、プイと横を向いて「揺れていない陸は、変な感じがする」とだけ呟いた。

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