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第十八話「祈りを込めて」
本殿に辿り着くと、そこには黄色い車が停まっていた。紅葉した山々に、派手な車が不思議と馴染んでいる。
「こんな村に、役者が全員揃ったってところかしら」
助手席から降りてきた母ユイコが、リュウに向かって話しかけた。運転席からはジンが降りてくる。
「ここで私が意見をするのは恐縮ですが、時間がありません。速やかに話し合いを」
イツキが皆を促し、本殿の広間へ靴を脱いであがった。朝、オレが食事をとったテーブルは片づけられており、畳の上に座布団を敷いて車座に座る。時刻は十三時半。どうやら昼を食べ損ねたようだ。
リュウから時計まわりに、オレ、ハク、マユミ、イツキ、ジン、ユイコの七人。本殿の入口にはタロウとケンが立って、警護をしてくれている。
再びイツキが口を開く。
「今、この状況を一番理解しているのはルイ、アナタです。アナタが優先順位を決めなさい」
オレはコクリと頷いて、立ち上がった。
「まず、集会所に信者が詰めかけています。皆、ハクの歌声を今か今かと待っています」
「あんな大勢の前でハクに歌わせたら、三曲歌い切らないで倒れてしまうわ」
マユミが心配そうな声を出す。
「けれど、ここは御神木のそばです。船の上とは状況が違うのでは?」
イツキも、必死に考えてくれている。
「御神木の力があっても、長い時間は歌えないのではなかったかしら?」
オレたちは御神木から離れた場所で歌っているハクしか知らない。逆にリュウは御神木のそばで歌うハクしか知らないはずだ。
「リュウ叔父さんはどう思いますか?」
オレが問えば、リュウはハクを見据えあっさりと答えた。
「倒れるまで歌えばいい」
信じられない答えだったが、それ以外に信者が抑える方法は、誰も思いつかなかった。
「それで?ハクが歌う。そのあとは?」
ジンがオレに問うたのに、リュウが答える。
「ハクは、これからここで毎日歌う。ルイも残りたければ、残ってもいい」
「ハハハ、何を言っているリュウ。ハクは返してもらう。俺たちはルイを迎えにきた。それだけだ」
「今日、ハクが三曲程度歌ったからといって、これだけの数の信者が納得すると思うか?」
「知るか、そんなこと。オマエの教団だろ、ご当主様」
「家業を捨てて出ていった者に、この村で、ものを言う資格はない。そもそもジンがハクを強奪したんだろ」
こんなのただの兄弟喧嘩だ。この人たちの言い争いにハクを巻き込みたくないと、抑えきれない怒りがこみ上げてくる。
そう思っていると母が突然立ち上がり、ジンの頭をゲンコツでゴツンと叩いた。次にリュウの頭にも同じようにゲンコツを落とす。
「ジン、リュウ、いいかげんにして」
オレはあんな風に母に怒られたことはない。この村にいるときの彼女はオレの母というより、ジンとリュウの姉なのだろう。一瞬二人が小さな弟たちに見えて、場違いながら笑いそうになる。
母はハクの前に行き、跪く。
「ハク。ごめんなさいね。アナタはどうしたいの?」
ハクのことを息子のように考えてくれている。
「俺は…。俺は記憶をリセットして半年だから、まだ判断材料が少ない。でも、それを補うために、船でいろんな人から、今まであった出来事、ルイのこと、歌のことをたくさん聞いた」
「えぇ、私もハクとたくさんの話をした。イツキも、クルーたちも。VIP客たちには、なぜ歌を聴きたいのか、過去に聴いたことがあるという客からは、その後どうだったか、ハクはたくさんの聞き取りをしたわ」
マユミが補足してくれる。
「そう。それは聡明なことだわ、ハク」
母は心からハクを褒める。
「俺も、今までの俺と同じように、ルイといたい……」
今ここで、そんな言葉が聞けると思っていなかったオレは、驚きと喜びで胸が熱くなって、言葉が出ない。
「では、決まりだ。ここでルイと暮らし、毎日信者のために歌えばいい、ハク」
そんなリュウの提案すらも悪くないと、オレは一瞬思ってしまった。ハクと一緒に居られるのならば、それも悪くないと。
「リュウ。アナタが俺を神にした人?」
ハクがすっと腕を伸ばし、リュウを指さす。
「そうだ。ハク。ひびきさまの末裔で男巫だったオマエの潜在的な力を、修行によって引き出したのは私だ。歌声で人を少し幸せな気分にする程度だった力は増幅し、人生観をも変えるほどの多幸感を与えられるようになったのは、私のお陰だ」
「響音の郷は、宗教団体だと聞いた」
「あぁ、そうだ。そこの神がハク、オマエだ」
「信者さんは俺の歌を聴いて、その人生観を変えるほどの多幸感を味わえたら、その後はどうなる?」
「もっとオマエを求めるさ。毎日毎日、歌を聴きに来る。そして教団はもっともっと大きくなる」
ハクは、先生が生徒に間違えを指摘するような口調で、話を遮る。
「うーん。たぶんそこが違うよ、リュウ」
「何がだ」
「シャングリラ号で俺の歌声を聴いたVIPたちは、事態が好転したって言っている。自分の生活に、自分の事業に余裕が出て、人のために動けるようになったっていう人もいた。福祉活動や、慈善事業に力を入れ始める人もいる。俺の歌声で、自分自身が変われたって皆が言った」
「それはジンの商売が、最初から恵まれたセレブを相手にしているからだろ。庶民はもっと苦しんでいるんだ。豪華客船になんて優雅なものに乗ることは一生できない」
ハクが首を振る。
「リュウ、試してみてほしい」
「何を?」
「俺、今から信者さんの前で歌う。そんなに長い時間は歌えないと思う。だけど限界まで歌う。俺は今までマユミさんに歌を習って、いつもできるだけ上手に歌いたいと思っていた。手本みたいに強弱をつけたり、高い声を綺麗に出せるよう気を付けて歌っていた。でも今日は、祈りながら歌う」
「祈り?」
「皆の生活が安定しますように。苦しみが減り、幸せに暮らせますように。心の不安が消えますように。教団や神に縋らなくても幸福を感じられますように。幸せとはなんだったのか思い出せますように。そして、その幸せをずっと続けられる力が授かりますように。そう祈りながら歌う」
そう告げたハクは、神々しかった。
「いいわね。そしたら信者は日々ハクを求める必要がなくなるでしょう」
母が感心したように頷く。
「もし、祈りを込めた歌が成功したら、俺はルイと一緒にシャングリラ号へ帰ります。陸は少しも揺れないから、なんだか苦手なんだ」
「失礼します」
タロウが広間に入ってきた。
「信者たちが、ハク様はまだかまだかって、騒ぎ出して……」
ハクは俺を見て、小さな声で「お腹が空いた」と言った。
「タロウ。ハクは一時間後に歌います。そう信者に伝えてください。それから、ハクにお昼ご飯を用意してもらえるよう、頼んでください」
「一時間は抑えられるかどうか……」
「では四十五分後で、段取りをお願いします」
お腹を満たし、万全の体調でハクに歌わせてあげたかった。
昼ごはんは、おにぎりとみそ汁という簡単な物だったが、七人分用意してもらえた。配膳をしてくれた年配の女性は、オレも随分と世話になった人だ。いつもは落ち着いている彼女もハクが目の前にいるというだけで、舞い上がっていた。
そして一度さがったあと、再び顔だし、ハクではなくオレに白い着物のようなものを渡してきた。
「いつか、ハク様がお戻りになったときのことを思って、作っておりました。差し出がましいですが、もしよろしければ御召ください、とお伝えしてもらえませんか?」
話が聞こえていたハクは、箸を止めて女性を見る。
「ありがとう。着させてもらいます。アナタも集会所に来てくださいね」
ハクに声を掛けられた女性は、恐れ多いのか顔を挙げぬまま、ただただ恐縮し下がっていった。
村の人たちは、本当にハクが戻ることを心待ちにしていたのだ。そう思うと、どうか皆にハクの祈りの歌が届きますようにと、胸が熱くなる。
リュウも「もし祈りの歌が信者の心に届かなかったらどうするつもりだ?」と脅すようなことは、一切口にしなかった。もしかするとここにいる誰よりもリュウが、ハクの力を信じているのかもしれない。神であることを疑っていないのだから。
「先に行っている」
リュウは昼ごはんに手をつけず、一人本殿から出て行った。
「私から一つよろしいですか?」
六人になった場で、イツキが手をあげる。
「さっきも申しましたが、実は時間がありません。シャングリラ号は現在シンガポール付近におります。本日、空港までヘリコプターで戻り、深夜の空港便にてシンガポールへ向かう予定になっています。私は総支配人の責任として、ハクを、そしてルイを連れ、明朝には船へ戻ります」
シャングリラ号オーナーとして、ジンが返事をする。
「では、ハクが倒れようとなんだろうと、歌い終わったらそのままヘリコプターへ運ぶ。浮ついた気持ちではいられないから、ここにいる者はハクの歌は聴かない。集会所の外で待機とする。歌うハクの背後には、耳栓をしたタロウとケンを配置し、ハクが倒れるようなことがあれば、受け止めるように指示を出す。ルイも、今のうちに荷物を整理しておくように」
詳細が決まるに従って緊張感が高まったが、ハクだけは美味しそうにおにぎりを頬張っていた。
集会所は学校の体育館のような見た目だ。今は村人を含め、六百人ほどが集まっているらしい。
ピアノは無いため、ハクはアカペラで歌う。生歌のほうが効果があるだろうと、マイクも使用しない。ゆえにかなりの声量を出さねばならない。
「それなら曲は歌いなれたショーの定番曲にしたらどうかしら」
マユミがアドバイスをし、ハクはコクリと頷いていた。
白い着物は母がハクに着せた。
「よく似合っているわ、ハク。アナタの亡くなったお母さんにも見せてあげたいくらいよ」
帯は白金色で光沢があった。ハクを神と崇める人が、神のために用意した着物だというのが、よく分かる美しさだった。
着替えたハクと二人で、御神木の根元へ行く。
「何か聞こえる?」
「別に。何も聞こえない」
「そう」
それでも、ハクの体内に堪っていた穢れは御神木の力で消えて無くなったはずだ。
今日、歌い終わったら船に戻るけれど、一年に一度くらい二人でこの村に来てもいいかもしれない。そうしてハクは信者の前で歌い、御神木の元で穢れを落として、また船に帰る。
我ながらよい教団との付き合いなのではないかと思ったが、御神木は沈黙したままだった。
集会所に入っていくハクを見送る。扉を閉めても、信者のどよめきが、波の様に外まで聴こえた。それはやがて、シンと静まり返る。誰もが、一秒もハクの歌声を聴き洩らさないようにと集中しているのだろう。
耳を澄ましていたけれど、アカペラのハクの歌声は外までは漏れてこなかった。
オレはその間に、自分の荷物と、ハクが着てきた服をヘリコプターへ運び込んだ。乾燥させた薬草も、薬草の種も、御神木の実も、何かの役に立つかもしれないと、全て持ち帰ることにした。
イツキはパイロットと打ち合わせをし、母とマユミは、ヘリコプターの横で、倒れてしまうだろうハクに飲ませる水や、顔をぬぐう手拭いを用意している。
ジンは集会所の扉の前で、腕を組んで目を閉じ、仁王立ちしていた。そして荷物を積んで戻ったオレに指示を与えた。
「歌が終わって信者がハクに詰めかけたりしたら、俺がここで食い止める。オマエはとにかくハクをヘリに乗せるんだ。いいか」
「はい。……ねぇ、叔父さんは、ハクの力を信じきれない?」
「そりゃそうだろ、ハクは人間だ」
「うん。ハクは人間だ。でも……なぜかオレは信じられるよ。ハクの祈りは皆に届くと」
集会所の中から割れんばかりの拍手が聞こえた。その瞬間、ジンが扉を開ける。
ステージから扉に向かって、ハクを横抱きにしたタロウが駆けてくる。その後ろにいたケンが「三曲を歌いきりました」とジンに報告した。
ハクはぐったりとしていて、意識がない。
「タロウ、そのままヘリへ運べ」
「はい」
ジンとタロウのやりとりの隙間から、集会所の中が見えた。多くの者が涙を流し、その場に棒立ちになっていた。歌い切ったハクに向かって、手を合わせ拝んでいる者もいる。どうやら「聴き足りない、物足りたい」と思っている人は一人もいないようだ。
リュウも、ただただオレたちのことを見ていた。ハクを運び出すことを止めようとはしなかった。
ヘリコプターには、イツキとマユミが既に乗り込んでいた。エンジンもかかっている。
オレが先に乗り込み、膝枕するようにハクを寝かせた。母が、濡れた手拭いをオレに持たせてくれる。
「ルイ。元気でね。ハクのこと頼んだわよ」
信者が追ってくる様子は無かったが、それでも、何事もないうちに飛び立つべきなのだろう。ドアがしまり、程なくして、ヘリコプターは浮上した。
機体は村の上空をぐるっと旋回し方向を変える。そのとき、集会所から出てきた人々が、こちらにむかって、手を振っていた。目に見えた全ての顔が、幸せそうに嬉しそうに笑っていた。ハクへの感謝を込めるように、見送ってくれていた。
この光景をハクにも見せてあげたかった。
膝の上のハクは意識を失っているというより、スースーと気持ちが良さそうに眠りについていた。
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