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第十九話「芽吹き」

 半年ぶりにシャングリラ号に戻ってきた。  村での生活にすっかり慣れてしまったオレは、タラップを登ってすぐ現れるロビーの煌びやかさにひるむ。けれどよく見ればそれは、寄港地や季節に合わせた装飾に変化があるものの、半年前と変わらぬ世界だった。  過去に何度もハクと一緒に歩いた道順で、客室があるフロアへ向かう。オレの部屋とハクの部屋、今も隣同士で並んでいる。 「ハク、今回は本当にありがとう。迎えに来てくれてうれしかった」  改めてお礼をいい、自分の部屋のロックを解除する。 「じゃあ」  ハクと別れ部屋に入る、そのつもりだった。しかし、ハクも当然のようにオレの部屋へ一緒に入ってきた。  留守の間も、部屋には掃除が入っていたようで、清潔な空間が保たれている。そんなシワ一つないベッドの上に、ハクが倒れ込むようにダイブした。 「ルイ。ここで寝ていい?」 「え?」 「俺、眠れなかったんだ。ずっと。ヘリコプターで久しぶりに眠れたけど、まだ眠い」  そう言いながら、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、寝具の中に潜り込む。 「ハク、眠れなかったって、この船の自分の部屋でって意味?」 「そう。リセットしてからずっと寝不足。何かが足りない、何かが隣にいないって感覚が常にあって。その温かい何かが見つからないから、安眠することができないんだ」  眠そうに大きな欠伸をする。 「だからみんなに聞いて回った。俺がナゼ歌っているのか、ってこともだけど、俺が何を探しているか知らないですか?って。そしたらみんなが言うんだ。それはルイだろって」 「オレ……」 「うん。だから迎えに行った。これからは俺、たくさん眠れる。ルイと一緒にいれば、眠れるはずなんだ。うん……。おやすみ……」  そのままスースーと眠ってしまった。  カーテンが開いたままの窓から、キラキラとした午前中の光がハクに降り注いでいる。真っ黒な髪色が、キラリと艶めいた。  オレは大きな大きな安堵の息を吐く。  荷物を片づけるのをやめて、ベッドに近づき、ハクの寝顔を覗き込んだ。  御神木のお陰で、現在ハクに堪っている穢れはゼロのはずだ。とても健康な状態だ。  これからは穢れが堪ってきたら、村へ行けばいい。村に行って、信者の前で歌って、御神木に穢れを吸い取ってもらう。  そしたらもう二度と、記憶をリセットなんてしなくて済むだろう。もう憂い悲しむことは何もない。これ以上の幸せがあるだろうか。  オレも靴を脱いで、靴下を脱いで、ベッドにあがる。隣に潜り込めば、ハクが寝返りを打ってこちらを向いた。 「ハク」  小さな声で名前を呼んで、オデコにそっとキスをした。 「おやすみ」  ランチの頃には、オレとハク、どちらかが目を覚ますだろう。そしたら二人で何を食べよう。ピザか、タコスか、パスタか。村では食べなかったものが食べたい。そう思いながら、いつの間にか眠っていた。  その日の夜。半年ぶりに充電した端末に、母ユイコから長いメッセージが送られてきた。 — ルイ。無事にシャングリラ号に戻ったとイツキから報告をもらいました。村での生活、長い間お疲れさまでした。 アナタたちのヘリが飛び立ったあと、私とジンも速やかに村を立ち去る予定でした。しかし、私たちが村で暮らしていた頃に世話になった、近所のおばさん、おじさんに見つかってしまって。 私もジンも、少年少女だった頃を知られている人には、弱いみたい。みんな随分と年を取っていたし。 引き止められ、村で一泊してきました。 村はあの後、大騒ぎでしたよ。 昔はこの季節に秋祭りが行われていたのです。皆がそれを思い出し、家々から食べ物を持ち寄ったり、村の外へ買い出しに行ったりし、急ごしらえの祭りが行われました。皆が笑い、楽しそうで、幸せな時間でした。 これがハクの歌の効果なのですね。 リュウも、いつもより穏やかな顔をしていて、姉としても、うれしかった。 村人の中には、ルイが私の息子だと知って「彼はいい青年だ」と褒めてくれる人もいましたよ。 祭りが終わったあと、信者の人たちは皆「明日から頑張ろう」って、そんなムードでした。まだまだ問題を抱えている人も多いでしょう。簡単に物事が好転する人ばかりではないはず。それでもハクの歌が、困難と立ち向かうためのきっかけになるのだと思います。 アナタたちにも報告が行くと思いますが、これからは年に一回この時期に、村で教団の祭りを行うことが決まりました。そして、祭りには毎年ハクを連れてきて歌わせると、ジンがリュウに約束しました。 全てはルイ、そしてハクのお陰です。ありがとう。 追伸: 私に御神木の声など聞こえません。そのスタンスを崩すつもりはありません。 けれどヘリが飛び立ったあと、御神木はザワザワザワザワと、とても喜んでいました。それがどういう意味なのか分かりませんが、少し不気味に感じたので、書き添えておきます。  オレとハクには、シャングリラ号の中で過ごす日常が戻った。  二人同じベッドで目覚め、同じ朝食を食べる。午前中はマユミとハクでVIP客のリクエスト曲を練習し、その間にオレはショーのスケジュールを組む。ランチを一緒に取り、その後はジムに行ったり、マジックショーを見たり。夕方から夜にかけて三ステージをこなし、夕食を食べ、二人並んでバルコニーから海を眺める。  心配しなければいけないことは何もなく、充実した日々を送っている。  そんな中、新しく試みたことが一つだけある。  オレは窓辺で薬草の栽培を始めた。もうハクのリセットに使用することはないだろうけど、なんとなく村との繋がりを保っていたかったから。  シャングリラ号の中で観葉植物の世話に従事している人に土を分けてもらい、育て方のアドバイスをもらった。アドバイスに従い、植物育成用のライトも手に入れ、温度管理にも気を配った。  薬草は、思ったより簡単に芽を出したので、継続的に育てていきたいと思う。  ついでに、御神木の実も状態の良いものを選りすぐり、十粒ほど植えてみた。けれどこちらは、芽の出る気配が全くない。少し気長に待ってみようと、水やりは欠かさずに続けている。  船は南半球へ行ったり、北半球へ行ったりするので、季節感がわからなくなる。  けれど今は、日本が冬なのか春なのか、きちんと把握できるようになった。  タロウとケンが代わる代わる、写真付きでメッセージを送ってくれるからだ。  二人は村でハクを警護した実績が認められ、ジンに、再びシャングリラ号で働くことを打診されたそうだ。しかしそれを断り、村で暮らしている。リュウの手足となって、信者の小さな困りごとを解決する「なんでも屋」みたいな仕事をしているらしい。  村に雪が降った写真、餅つきの写真、桜の木が満開になった写真、村で生まれた双子の赤ん坊の写真。赤ん坊はハクの遠縁で「ハク様に名前を付けてほしい」という双子の両親からの希望が書き添えてあった。ハクは三日間考え込んで、その子たちに「ウミ」「ソラ」と名前をつけた。  リュウについての愚痴が書かれていることもある。リュウは「祭りにハクが来て、年に一回信者の前で歌う」という状況を一旦は納得したものの、事あるごとに不満を漏らしているという。  そんなときは、逆に信者が当主を慰めるというのだから、教団の雰囲気も随分と変わったのだろう。  数日前に送られてきた写真には、真っ青なかき氷が写っていた。文章は「暑い」の一言。それだけでも、日本は夏の盛りなのだと感じることができるから、ありがたいと思っている。  その日。シャングリラ号は八月の「大西洋横断・カナダ/ニューイングランドクルーズ」を航行していた。  予想外に天候が荒れ、船は港に接岸できず、洋上での待機となった。朝、目覚ましのアラームが鳴っても外は薄暗く、窓の外には海面を打ち付けるような雨が降っている。  オレはハクを起こさないようにベッドから出た。霧吹きで、元気に育つ薬草と、芽の出る気配のない御神木の実に水をやる。  充電していた端末に目をやると、二通のメッセージが届いていた。  一通目はタロウ。大きな西瓜を抱えるケンの写真が添付されていた。 「今日は畑仕事の手伝い」  二通目はその三時間後にケンから来ていた。こちらには美味しそうに西瓜を頬張るタロウの写真。 「夕方から雷雨予報なので、もう仕事は終わり」  オレは、窓を越しにパシャリと写真を撮って「雷に気を付けて。こちらも土砂降りだよ」とメッセージを送信した。 「……ルイ」  眠そうなハクの声がオレを呼ぶ。振り返れば、真っ白な寝具から長い腕を出したハクが、おいでおいでと手招きしている。そんな可愛らしい仕草をされれば、抗うことはできなかった。 「ハク、おはよう」  そう言いながら、オレはベッドの中へ舞い戻る。ハクの体温で温まった布団が心地いい。  ハクを抱きしめるように両手で包みこめば、甘えるようにオレの肩口に顔を埋めてくる。二人の密着度が増し、堪らなく幸せな気持ちになった。 「ハク」  彼のグレーの髪の毛を手櫛ですいて、頭皮を撫でるようにしてやる。気持ち良さそうに「ん」と声をもらす。 「ハク」  もう一度、名前を呼ぶ。ハクが顔を持ち上げオレのことを見た。眠たそうな顔が愛おしく、下唇にチュッとキスを落とす。 「ん」  もっと、というように、口を突き出すからそのフワリと柔らかい唇に、唇を隙間なく合わせた。戯れは瞬く間に深くなり、オレたちはベッドへと沈み、快楽をむさぼる。  途中、テーブルに置いた端末がメッセージを受信したのが分かったけれど、ハクより優先すべきものは、オレにはなかった。  当然、ルームサービスを頼む時間はなくなり、レストランで朝食バイキングを食べるのも難しくなる。  結局、アボカドとシュリンプのサンドイッチをテイクアウトし、それを持ったままマユミとの午前のリハーサルへ向かった。  いかにもさっきシャワーを浴びましたという、まだ髪が乾ききっていないオレとハクを、マユミは呆れた顔をして見ている。 「全く……アナタたちは、仕事を何だと思っているの」  目の前でサンドイッチを食べ始めたハクに、何を言っても無駄だと悟ったようで、今日のリクエスト曲の説明を始めてくれた。  その時だった。イツキがサロン室へ駆け込んでくる。走ってきたようで、息が乱れている。 「大変です」  ただならぬ雰囲気に、三人ともビクリとし、イツキを注視する。 「村の御神木が」 「御神木が?」 「落雷で焼失したと、連絡が」  すぐにはイツキが言っていることが理解できなかった。頭の中で上手く映像化できない。 「あっ」  ポケットに突っ込んであった端末を取り出す。さっきの通知音はまさか。  メッセージアプリを開けば、タロウから「大変だ」という言葉とともに、真っ赤にメラメラと燃えている御神木の写真が送られてきていた。  イツキにも写真を見せれば、「何ということだ……」と、フラフラとした足取りで支配人室へ戻っていった。  こんな状況でもステージに備え、リハーサルは続けなければならない。手本を歌ってみせるマユミの声は、少し震えていた。  それほどショッキングな出来事だった。  オレもハクも、さっきまでの甘い雰囲気など吹き飛んで、呆然としたままだ。  オレはハクを置いて一足先に部屋へと帰った。ベッドのシーツは乱れたままだったけれど、その上に腰掛け頭を抱える。  まさかの出来事だった。落雷で燃えてしまうなんて、少しも想像していなかったから。  ふと、目線が窓辺の植物たちへ向かう。  そこには、御神木の実が植えてある植木鉢がある。ずっと長い間、少しの変化も起きず、土だけの状態でここにある。 「え?」  ベッドを降り、植木鉢へ駆け寄る。土の中から待ち望んだ芽が、一つだけ顔を出していた。

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