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第二十話「世界を見てみたい」

 ケンカをした、ハクと。  ステージのスケジュールについては会話をするけれど、余分な話題には触れない。同じベッドに寝ているけれど、肌は触れ合わない。朝食だけは一緒に食べるけれど、あとは別々。  そんな状態が三ヶ月も続いている。  ケンカしていることを公言してはいないのに、周りから見たらバレバレらしい。  マユミやイツキはもちろん、カフェで働くカール、ジェラート屋のメアリ、歌手のジョウも呆れている。 「どうせ、二人は好き合っていて離れられないくせに、ケンカするなんて馬鹿みたい」  メアリ曰く、時間がもったいないらしい。オレもその通りだと思う。  怒っているのは主にオレで、ハクは怒っているオレに落胆している、そんな感じ。今のところ、仲直りできるきっかけは無い。  始まりは、十一月だった。  オレとハクはジンに一週間の休みをもらい、寄港地で船を降り飛行機で日本へ向かった。電車とバスを乗り継いで、村へ行き、秋祭りに参加したのだ。  祭りにハクが来て歌うことは、予め発表されていたので、一年前の倍近い信者が村に集まっていた。  一回のステージでは無理だろうと、午前午後の二ステージを三日間、計六ステージをハクは倒れるギリギリまで歌いきった。  信者たちが思った以上に感激し、皆が笑顔になったことはオレだって嬉しい。  前回、警護担当だったタロウとケンは、今回も耳栓をしてハクの救護担当をしてくれた。お礼にと、タロウとケン、それからまだ一歳になっていないハクが名付けたウミとソラ、そして集会所に行けない老人や病人を集めて、小さなステージも行った。  タロウとケンは感極まって涙を流し、ウミとソラはキャッキャと喜んだ。老人たちは冥土の土産ができたと手を合わせ、病人は身体が軽くなったとすら言った。  本当に皆が喜び、幸せそうな表情を見せてくれる。 「ハク様、またこうして村に来てくださってありがとうございます」  手作り料理でもてなされ、ハクも終始楽しそうだった。  けれど。  村の御神木は三ヶ月前の落雷で焼失したままだ。御神木があった場所は、厳かに真新しいしめ縄で囲まれていたが、燃え滓だけで他には何も残っていない。  写真で見て知ってはいたけれど、ここに来るまでは、それでも御神木としての効力が残っているのではないか、と期待していた。  ダメだった。  穢れが再び溜まり始め灰色になったハクの髪は、黒色に戻らなかったのだ。  ハクは気にする様子もなく、村で皆のために歌ったけれど、オレは気が気ではなくなった。  御神木が穢れを浄化してくれないのならば、一年もすれば、またハクは薬草を服用し記憶をリセットせねばならない。  そんなのはもう絶対に嫌なのだ。  教団の追っ手から逃げる必要がなくなった今、ハクはもうジンに匿ってもらう必要もない。つまりシャングリラ号で歌う必要もない。  ひびきさまの特性として歌わずにはいられないのだとしても、もっともっと小規模に最低限の歌声ですませればいい。  帰りのバス、電車、飛行機でそのことを懇々とハクに訴えたが、聞き入れてもらえなかった。  ハクの言い分としては三つある。  一つ。客の前で歌ったとき、皆の表情がじょじょに多幸感に満ちていくのを見るのが好きなんだ。  そうかもしれないけれど……。  二つ。歌うことはきっと俺の生き甲斐で、自分の存在価値を感じられる。誰かから求められるというのは、嬉しいものだろ?  オレだってハクをこんなに求めているのに、という言葉を飲み込んでは、苦しくなる。  三つ。御神木は落雷で消え去るような弱い物ではない。  これについては理解不能。だってもう丸焦げになってしまったんだよ、ハク。  こうして、オレたちの仲はギクシャクとしてしまった。  今のオレにできることは、一日のステージ数を三回から二回にセーブすること。それが穢れへの精一杯の抗いだった。  仲直りのきっかけは、意外なところからやってきた。  その朝も目覚ましのアラームが鳴って、オレはハクより先にベッドを出る。  寝顔のハクには素直になれるので「おはようハク。今日も一日よろしくね」と聴こえないように話しかけた。  カーテンを開け、海を見る。現在は二月。南太平洋クルーズの真っ最中。  窓際の元気に育つ薬草と、御神木の実から出た芽に水をやる。芽の成長は遅く、まだ三センチほどの背丈だ。  テーブルの上の端末が振動し手に取ると、イツキからのメッセージだった。 「ルイ。本日の昼食は予定を空けておいてください。ハクにもちゃんと伝えてくださいよ。頼みましたからね」  ケンカしたまま三ヶ月が経っているオレたちにチラリと嫌味も添えられている。 「もちろんです。何の用事ですか?」  そう返信すれば、すぐ折り返しが届く。 「リュウがシャングリラ号に乗ってくるそうです。初乗船ですから、皆で会食をしましょう」  今日はオーナーであるジンも船内にいるはずだ。兄弟は昨年の秋以降、多少関係が修復したのだろうか。  三ヶ月前、秋祭りに行ったとき、リュウは村に居らず会えなかった。  祭りを取り仕切っていたのは、教団のナンバーツーであるヨウジという男性だった。ヨウジは宗教心よりも人情を重んじる人で、信者の困りごとに対応する能力に長けている。リュウが留守でも教団は問題なく運営されていた。  リュウが留守だった理由は、秋祭り初日に、タロウとケンがコッソリと教えてくれた。 「雷が落ちる直前、リュウ様は御神木に言われたらしいんだ。「ここではない場所でまた会おう」って」 「ここではない場所ってどこ?」 「それがリュウ様にも分からない」 「そうそう、困ってるんだよリュウ様も。それで、御神木を探す旅に出られた」 「リュウが旅に?」 「そもそもルイは、御神木にいる大神様のこと詳しく知ってるか?」 「いや、知らない」  首をブンブンと横に振る。 「ハク様のご先祖だよ。言い伝えではな」 「初代ひびきさまは、五百年くらい昔、大神様と村人の女が交わって生まれた子どもだ。代々血筋を引いた者がひびきさまという巫女になって、現代まで続いている。祖となった女は人間だから、寿命を全うして早々に死んでしまった。大神様は寂しくて、そのとき村に生えていた木に住み着いて村を見守るようになった。それが御神木」 「へー。知らなかった」 「御神木に住む大神様は無邪気な方なんだ。まぁ、そうじゃなきゃ、人間と交わろうなんてそもそも思わない。村に起こる良いことも悪いことも、大神様が無邪気ゆえに起こしている、と言われている」 「言い伝えではな」 「そう。言い伝えでは。で、リュウ様のお考えは大神様は無邪気ゆえに、村の外を見たくなった、と。連れ戻せるかは分からないけど、どこにいらっしゃるのかは把握したいって、旅に出た」 「へー。燃えて消えてしまったのではなく、御神木はどこかに移動したってことか」 「リュウ様はそう解釈している」  ……その御神木を探す旅の途中で、リュウがシャングリラ号にやってくるということだろうか?それとも御神木の行方を突き止めた報告だろうか?  そろそろ船は寄港地に着く頃だ。  下船する者は、名残惜しそうに最後の食事を取っている。観光に行きたい者はオプショナルツアーの予約をし、船から降りる支度をしている。この寄港地から乗り込む者は重たいスーツケースを引いて、早くも港に集まり始めているだろう。  その中にリュウの姿も、あるかもしれない。  さてオレも、ハクをぶっきらぼうなフリして起こし、朝食へと誘う時間だ。  昼前。リハーサルが終わったハクとマユミと合流する。会食の場所はシャングリラ内の寿司屋の個室だ。  サロン室からの通路を歩いていると、左右を確認するようにしながら、リュウが駆けてきた。その後ろをイツキが「リュウさーん、お待ちくださいっ」と追いかけてくる。 「何事ですか?」  声を掛ければ、リュウがオレたちの存在に気がつき、足を止めた。 「あぁ、ハク、ルイ。それにマユミさんでしたか。ご無沙汰しております」 「叔父さん、何をそんなに慌てていたのですか?」 「御神木の気配が、この船内に」 「え?」 「私は焼失した御神木を探して日本を旅し、世界を旅している。しかし、手掛かりもなく疲れ果てた。たまたまシャングリラ号が近くにいるというので、ハクに挨拶をと思ったのだが。乗り込んでみると、微かに御神木の声が聞こえるんだ」 「この船の中で?」 「あぁそうだ」  マユミも驚いた顔をして、辺りをキョロキョロと見渡した。 「オレには何も聴こえないですけど」  やはりオレなんかより、当主であるリュウのほうがずっと、感覚が鋭いのだろう。 「皆さん、お待ちですから」  結局、イツキの采配で、まずは一旦皆でランチをとることになった。  寿司屋の個室に行くと、そこには母ユイコの姿もあった。 「リュウが初乗船するっていうから、駆けつけたのよ」  リュウにとってもサプライズだったのだろう。母がしてやったりという笑顔をみせる。  けれどリュウは、食事をしながらも、御神木の気配に気を取られていて、寿司の味に集中できないようだ。それを見兼ねたジンが雑談するように喋りだす。 「あくまで俺は、御神木が喋るなんて認めない。それは絶対だ。ただ、これは子ども頃に見た夢の話なんだが、御神木は「ここから出して、どこかに連れて行って」と何度も話しかけてきた。俺は怖くてユイコ姉に「御神木に話しかけられた」と告げた。ユイコ姉も全く同じ夢を見たと教えてくれたが、夢のことなんか忘れなさいと、俺を強く諭した」  そこまで言って、ジンはアサリの味噌汁を口に含む。 「そうだったわね。ザワザワザワザワって語りかけてくるのよ、あの大きな樹が。怖かったわ。まぁ、夢の話だけれどね」  母もアサリの汁物を飲み「いい味噌使ってるわね」と呟いた。 「夢などではない。その声は私も聞いた。御神木に宿る神は無邪気な方で、世界各地を見てみたい、そんなことを望まれるようになった。おそらくその為に、一手一手と駒を進めてきた。つまり今思えば、父、私たち三兄弟、そしてルイ、我々は御神木に操られていたわけだ」 「くだらない。そもそも樹が喋るわけないだろう」  その発言に母も頷く。  二人はその大前提を崩すつもりはないのだろう。ジンは鼻で笑って、マグロを口へと運んだ。  御神木が世界各地を見たいというなら、確かにこの船は最適だろう。  でも、その話を信じるとして、この船の一体どこに?  皆が無言になって寿司を口に運んでいると、最初に食べ終わったハクが箸を置いた。 「御神木はたぶんルイの部屋にいる」 「オレの部屋に?何言ってるのハク」 「実から出た芽。あれしか考えられないだろ?」  オレは、箸で掴んでいたホタテの握りを、醤油皿へポチャリと落としてしまった。 「あれが……」  そう言われてみれば、それ以外の答えなど、もうどこにも存在していなかった。  全員がデザートのゆずシャーベットをキャンセルし、オレの部屋へとやってきた。  カーテンを開け放った窓際には光が降り注いでいて、薬草と小さな芽が照らされている。  リュウが皆を押しのけて歩み寄り、芽の前に跪いた。 「あぁ……。これは確かに……」  そう言って、震える手で植木鉢を持ち上げる。 「リュウ叔父さん、御神木は何か言っているの?」  リュウは首を横に振る。 「何か囁いている。しかし声が小さすぎて私にも分からない。けれど、おそらく喜んでいらっしゃる。それは確かだ」 「じゃ、本当にこれが新しい御神木なの?」  コクリとリュウが頷いた。 「でも……。こんな近くに御神木があっても、ハクの髪はグレーのままだ。蓄積した穢れは浄化されていないんだ」 「それはこの芽が、まだこんなに小さいからだろう。もう少し成長すれば、おそらく村にあった御神木のような役割を果たしてくださる」  オレはそのリュウの言葉を信じようと思った。 「ハク。そしたらさ、この船で歌い続けられるね」  ハクは、ニッコリと笑ってオレをギュッとハグしてくれた。 「よかったわ。これでようやく二人も仲直りね」  マユミが安堵の声を出す。 「もし。もしもだ。本当にそれが御神木なのだと仮定したら、ハクの役に立つということか?」  ジンが問えば、リュウが「もちろんだ」と返事をする。 「だとしたら、この船の最上階で最も日当たりのいい俺の部屋に、サンルーフを作ろう。もっともっと大きくなったらシャングリラ号の中に温室を作ってやってもいい」  イツキもコクコクと頷いている。  リュウはそっと植木鉢を降ろし、ジンに正面から向き合った。一瞬、リュウがジンを殴るのかと思った。御神木を持ち帰ると言い出すのではないかと、そんな緊迫感があったのだ。けれど違った。 「よろしく、頼む。ジン」  そう言ってリュウは頭を下げたのだ。 「リュウ。もし。もしもよ。御神木がこうして世界を旅したがっていたとして、私たちを操っていたのだと仮定する。そしたらアナタに功労賞をあげなくちゃいけないわね。アナタだけが信じてあげていたのだから、御神木の声を」  母がそう伝えると、リュウは初めて照れたような笑顔をみせた。

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