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第12話 12.期待と寄り道
日曜日の朝、僕は眠い目をこすりながら学校の宿題を片付けた。昨日一昨日はどうにも手がつかなかったのだ。午前いっぱいを使って週末だからとたくさん出た宿題をなんとか終えて、部屋の掃除まで済ませた。今日は聡一は相手をしてくれるだろうかと期待したが、昼食をとったあと聡一は学校の勉強のために自室に引っ込んでしまった。あんなに勉強は嫌いだと言っているのに、真面目にやろうとしているのだから脱帽する。それを聞いて紀子が理一郎と征二に目をやったが、二人は早々に遊びに出てしまった。聡一の部屋に行っても邪魔になるだろうし、僕はまた寂しく独りの時間を過ごさねばならなくなってしまった。今日は花村屋も休みなので、利吉も紀子も母屋にいるし三四も休みだ。花村屋といえば、哲郎があの時に『甘き恋』を貸してくれたおかげで、ヒロコの策略に気付けたわけだ。何かお礼の品でも渡さねばいけない。かといってあまり仰々しいものを贈っても受け取ってくれないだろう。しかしながら卸問屋でいろいろな品を見ている哲郎を喜ばせるものを何か僕が選んでこられるだろうか。何かいい案はないかと思いめぐらせるも、妙案は浮かばない。
とりあえず外に出て考えてみようと、祭りであまり使わなかったためにまだあたたかい財布を持って外に出ようとしたところを紀子に呼び止められた。
「どこに行かれるの?」
「ちょっと散歩がてら買い物に行こうと思います」
紀子は相変わらずの表情で僕のほうをじっと見る。確かに昨日の今日で出かけるというのだから、正直無理はないかもしれない。ただ目的地も定まってないため安心してもらえることをあまり言えそうにない。
「宿題は終わったんですか?」
紀子がそんなことを初めて言うので、僕も理一郎たちと同じ枠に入ってしまったのかと少し悲しかった。あの問題児たちへ聞くことと同じだなんて!
「午前中に終わらせました」
ちょっと落ち込み気味に言うと、紀子はこめかみを押さえ始めた。
「そうね……あなたは遊ぶ前に終わらせるわよね……」
憂いが少し晴れたようでよかった。どうやらあの二人と同じ枠にははまりきってはいないらしい。どうすれば紀子を安心させて出かけられるだろうか。こういう時に聡一が一緒に行ってくれれば安心してもらえるのに、と虎の威を借りる思考になりそうな自分が少し嫌になる。僕は少し腕組をして考えた。要は行き先がわかって早く帰ってくるということが分かればいいのだ。
「散歩と買い物が目的ではありますが、昨日氏神様にご挨拶をし忘れましたので、元気になったご報告を兼ねて参ろうと思います。そこまで遅くはならないと思います」
紀子は黙って僕の言う事に耳を傾けた。尚もこめかみは押さえたままだったが、何度か小さく頷いて納得してくれたようだった。
「……なるべく遅くならないように」
「あの」
紀子がそう言って部屋に戻ろうとするので、僕は思わず呼び止めてしまった。
「大丈夫ですか?」
振り返った紀子が少し驚いた表情をしていたが、力なく笑って言った。
「大丈夫よ。ありがとう。いってらっしゃい」
「いってまいります」
紀子が僕を見送ろうとしている気配を感じて、急いで外に出た。呼び止めない方が早く部屋で休めたかもしれない。思わず呼び止めてしまったが、よくなかったかもしれない。でも、紀子が笑ってくれたことが僕は純粋に嬉しかった。
僕は表通りを順に回った。子供の小遣い程度で買えるものを売っているところになるが、文具店、小物店、駄菓子屋から呉服店の軒先にある小物まで順々に見ていくが、子供らしくてもらった相手が気負わないものがどうにもこうにも見つからない。しいて言うなら最初の文具店ぐらいだが、大人が仕事以外に持っていたい文具など高くて買えない。仕事のものは花村屋で調達するのだから僕が買うのもちょっと違う。悩みながらいろいろと回ると、それなりに時間が経ってしまった。別にいつまでに用意をしなければならないという期限があるわけではないが、こういうものは早くないと相手も受け取ってくれなくなってしまう。
とりあえず今日はあきらめて氏神神社へ参拝に行こうと歩を向けた。昨日も歩いたし途中までとはいえ明日学校に向かうのと同じ道を今日も歩くことになるのは少し気持ちは向かないが、言った手前行かないのもやはり違う。三四の言葉を借りるなら、本当なら聡一と行きたいところであったが、それは仕方ない。緩やかな傾斜を上りながら気持ちを入れなおした。聡一がお百度参りをして元気になった体なのだ。礼を欠くのは違う。
秋の風がじんわりとかいた汗を撫でて気持ちがよく、氏神神社まで歩くことを後押ししてくれているように感じた。昨日は人でごった返していた参道も、今日は風がそよいで揺れる葉と虫の音しか聞こえない。僕は昨日は人ごみに負けて踏み入れられなかった境内へ入った。昨日とは違う閑散とした佇まいに、神様もちょっと休めてたらいいなと思った。鳥居をくぐって、社についているしめ縄から下がる紙垂が揺れているのを見ながら賽銭箱の前まで来た。正直参拝の作法をきちんとわかっていないし、何となくこうだったような気がするというあやふや具合だったが、思い切り気持ちだけを込めてお礼をした。どうか届いていますように。
きちんとできたかは置いておいて、何とか目的は果たした。境内の中から空を見上げるが、まだまだ明るく陽が色を変えるにはまだ時間がかかりそうだ。かといって何となく帰るのもなぁと悩んでいると、ふと目の端にお守りが置いてあるのが見えた。並べられているいろいろなお守りを見て、哲郎のことをふと考えた。あぁ、お守りはいいかもしれないと、しげしげと眺める。さて哲郎にぴったりなものは。子供の自分から勉学のお守りなんてもらっても苦笑いしか出ないだろうし、もちろん子宝なんて……と思っていると、独身の哲郎に嫌味なお守りが見つかった。僕は社の隣にある社務所に声をかけた。
「こんにちは」
自分にこんなに大きな声が出せるのかと思うぐらい大きな声が出た。奥の方から誰かが早足で来る足音がする。神主さんと思われる人が戸を引くと、からからんと戸についていた鐘が音を奏でた。
「はい、どうしましたか?」
神主さんが優しそうに声をかけてくれた。僕は、少しほっとしながらお守りのことをお願いした。
「あの、お守りをもらいたいです」
「はい、どのお守りですか?」
「良縁成就をお願いします」
神主さんが、きっと玄関にあるだのだろうお守り入れを探りながら聞いてくれたが、僕の返答に一瞬戸惑ったように僕を見た。手に勉学のお守りが握られているのが見えた。僕はにっこりと微笑んでして神主さんを見た。神主さんは苦笑しながら、
「はい、良縁成就ね」
といって、小さな紙袋にお守りを入れてくれた。僕は財布から書かれていた金額を渡して、お守りを受け取った。
「ありがとうございます」
「また来てね」
僕が歩き始めると、神主さんがそう言って手を振ってくれたので、僕は軽く会釈してまた歩き始めた。歩きながら肩掛け鞄にお守りをしまって、境内を抜けた。すべての目的を果たして、僕は気持ちが舞い上がっていた。参道を下っていくと、昨日焼きおにぎりを頬張っていた杉の木まで来た。昨日は惨めな気持ちでここにいたなぁと思いながら杉の木を眺めて、ふと僕は参道脇の小道に目を向けた。見晴台へ向かう階段を昨日上がって、聡一たちを待っていたなぁ。そういえば聡一にはいつ見つかったんだろう。
僕の足が、帰路から見晴台のほうに向いた。そして僕はこの選択を後悔することになる。
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