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第13話 事故と言うにはあまりにも ※
見晴台から見下ろす景色は、隣のさらに隣の町の奥まで見えそうなぐらいよく見えた。かといってどこら辺までが自分が住んでいる町なのかもわかってないので、正直僕にはわからなかった。景色も見ていて飽きはこないが、僕は昨日の花火を見上げた場所の方に目を向けた。入口の場所、そこから聡一はヒロコの手を引いて歩いて、止まった場所をなぞるように歩く。僕は目を閉じて、昨日の二人を思い浮かべた。ヒロコはここで花火を見上げて、聡一の胸の中へ。あぁ腹が立つ。そのあとに唇を狙ったのはいつだ。僕がいなくなった後のここでか? 怒りに震えそうなのを押さえていると、背後に誰かが砂を蹴るような足音が一つ聞こえた。
突然の気配に驚いて振り返ると、着崩した浴衣の男がこちらにあと数歩というところまで来ていた。男の顔を見た瞬間、本能的に感じる。これはまずい。目が完全に据わっている。目があった瞬間僕はとっさに走り始めが、ほぼ同時に男も一気に距離を詰めようと走り出す。見晴台の出入口は、一つしかない。一目散にそちらを目指して走った!
「ぐぅっ!」
あと数歩というところで後襟をつかまれて首が閉まった。苦しくて涙が滲む。後ろに引かれたことで足が空を滑り、僕は尻もちをついた。その拍子に襟をつかんでいた男の手が外れる。尻もちをついた衝撃が体を走り抜けるが、そんなことに構っている暇はない。男の影が僕を覗き込むように近付いてきた。
「わぁぁぁぁぁ!」
気持ちの悪い荒い息遣いを感じて僕は思い切り手を突き上げて男の顔を突き飛ばした。顔をあげたくなくて男の影がよろけるのを見て僕は慌てて足を滑らせながらも駆け出す。見晴台の出入口に差し掛かったところで少し後ろを見ると、あの男は目を血走らせながら追いかけてくる。肌が粟立つのを感じながら、気持ち悪さを振り切るように僕は出来うる限りの速さで階段を下りていく。足や膝に今まで感じたことのない衝撃を受けるが、そんなことに構っていられなかった。もうすぐ階段を降り切って参道へ入れる。そう思ったときにまた体が後ろへ引かれた。恐怖とともに後ろを見るとあの男が肩掛けカバンの紐をしっかりと握っていた。
「コイツ!」
男の野太い声がさらに体を震え上がらせる。逃げなくてはいけない。その一心で僕は急いで首をすくめて鞄からするりと抜け出し、また走り出す。
「こンの!」
後ろから男の声が聞こえたと思ったら、いきなり足と足の間に何かが挟まって最後の段を転げ落ちた。身体中に痛みが走り、いったい自分に何が起こったのかわからなくて足元を見ると、男が投げてきたのだろう自分の肩掛け鞄が足元に落ちている。
「手間かけさせやがって……」
男が僕の頭をつかんで立たせようとする。痛い、痛い。涙が出てくる。足ももうしびれるように力が入らない。
「た、たすけ――!」
やっとの思いで搾りだした声も男の太い右手に塞がれてしまう。そのまま男の左手が僕の胴を持ち上げ、まるで荷物を運ぶように小脇に抱えられた。拐される?殺される?恐怖で声を上げても声は空気を震わすことはない。
男はそのまま道を外れて、杉林の中へ入っていく。まるで獣道のようなそこを歩きなれているように男は見るからに上機嫌に進んでいった。
このまま人買いにでも引き渡されるのだろうか。誰かが鞄に気付いてくれない限り、僕はもう帰ることはできないのだろう。参道が遠く感じる。僕は、そっと靴を片方脱いで林に落とした。草も鬱蒼としているので気づかれないかもしれないが、一抹の希望を残しておかないと、自分の心が持ちそうになかった。もうしばらくしたらもう片方も、と考えたところで乱暴に放り投げられた。周りを見回しても誰もいない。この男の目的はいったい――。
そう思って僕を放り投げた本人の方を見て、ぎょっとした。男が徐に浴衣の上半身を脱ぎ始めた。意味が分からなくて、地面に倒れた状態で後ずさる。僕を見下ろしながら、男が舌なめずりをしながら近づいてくる。男が僕の足の上にまたがりしゃがみこんだ。顎を鷲掴みされ、いろんな角度から僕の顔を観察し始める。息もしづらく身体が震える。
「へっ! 結構な上玉じゃねぇか。この前のガキなんかよりも」
知らない誰かと比べられている。褒められているかもしれないがまったくもってうれしくない。僕は恐怖を打ち消そうと顎をつかんでいる手をつかみ、男をにらみつけた。それすらも男は嬉しそうににんまりと笑った。
「いいねぇ……せいぜい、いい声で鳴いてくれよ」
そう言うと同時に、僕の顔の左側へ顔を近づけてきた。つかまれた顎の角度的に一体何をしようとしているのかがわからない。
――べろり
首の付け根から左耳の下あたりまでに走るぬめりけのある感触、自分の表面すべてにぞわりと悪寒が走った。
「~~~~っ!」
のどが締まって声にならない声を上げた。首をすくめたいがそれも難しい。かといってこの男の顔に近づきたくもない。恐怖、困惑、不安、嫌悪。いろいろな感情が心の中を走り回る。ただわかる。この男が愉しんでいるという許されざる事実。男がのどを鳴らしながら笑った。
「燃えるツラするじゃねぇか……早々に折れてくれるなよな?」
男が僕のズボンの釦を外した。ズボンからシャツを引き出し始める。僕は左手でシャツを脱がされないように抵抗を試みるが、圧倒的な力の差にまったく歯が立たない。男の右手がシャツの下に侵入してきた。脇腹の上をすべるように上がってくる感触にまた全身が粟立つ。シャツの上から男の手をつかむが、男は気にせず手を上へ上へと進ませてくる。僕の意識が腹に向いたところで、今度は左耳に男の汚らしい吐息が聞こえてきて、はっとしたときには男の舌先が左の耳に侵入してきた。左の聴覚から頭の中に響く音に僕はたまらず叫んだが、男が顎をつかんでいた手を僕の口にかぶせて阻止してきた。生理的な嫌悪感から涙が出て男の手を濡らすと、耳を嘗め回していた男が頬を伝う涙を吸いながら目元まで唇が這った。少しでも離れたくて頭を振って拒む。そんな些細な抵抗でさえ、男は笑いながらこちらの心を折ろうと蹂躙しようとしてくる。触られる左の胸の感覚も、濡れてくぐもった左耳も、この男を喜ばせてばかりの抵抗も、すべてが自分の心をすり減らしていく。
男が力任せに僕を地面に押し倒す。シャツがたくし上げられているせいで、背中に地面の感触が直に伝わる草やごつごつとした土や石の感触に痛みを感じる。僕はシャツの下にある手を押さえるのをやめ、男の顔めがけて拳を繰り出した。
「おっと」
男は僕の口をふさいでいた手で簡単に僕の拳を受け止める。力任せに僕の腕を押さえ込もうとする男に僕も力の限り抵抗するが、僕の拳はゆっくりと顔の上を通って僕の頭上の地面に押さえ込まれた。
「無駄な抵抗をやめたら、痛いことはしねぇよ。……多分な」
なんの信ぴょう性もない一言を、さらに信頼できない言葉を付け足して言われたところで、僕には何も響かない。残るざらざらとした不信感に顔が歪んだ。
「なんでこんなことするの?」
にらみつけながら僕がそう言うと、男は少し驚いたように僕を見た。
「そんなこと聞いてきたやつは初めてだな。何、気になんの?」
男が笑いながら僕に覆いかぶさってきた。しかも男はそのまま肩を震わせて噛みしめるように笑い始めた。そんなに変なことを聞いたつもりもないし、何がこの男のツボにはまったのかもわからない。男の行動すべてが僕の癇に障る。ひとしきり笑った後、男が顔を上げて悪い笑みを浮かべた。
「そんなこと気にする余裕もないぐらい、今からお前は犯されるんだよ。観念しな」
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