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第14話 兄でいるということ

「え? 永太坊ちゃん、独りでお祭りに行かれたんですか?」 その一言に、俺は帳簿から顔を上げた。哲郎と話していた三四が驚いた表情でちょうどこちらを見た時だった。哲郎は不思議そうに、三四を見ながら続ける。 「え、何か問題なんですか?」 「いや、問題……と、いうわけじゃないんですが……」 三四の視線が泳いでいく。俺に何か言いたげなので、そのまま三四の反応を見ていた。しどろもどろになりながら、三四が続ける。 「その……永太坊ちゃんはてっきり聡一さんと回られるんだと思ってて……」 三四と哲郎の視線が俺に集まる。三四は永太を自分の弟のように可愛がっているので、やはり独りで祭りに行くことが心配だったのだろう。かく言う俺も……いや、俺が一番心配している。  この老舗の卸問屋「花村屋」を営む花村家に入ったのが約5年前。突然やってきた連れ子の俺は当時皆から腫物扱いで、転校した中学校でも地元じゃ有名な花村家長男の座を奪った男だのと、長いものに巻かれたい人たちに囲まれたり敬遠されたり。自分を取り巻く環境が一変した。人の表情を読み、空気を読み、望まれることをこなし、自分の立ち位置を確立するために息が上がりそうな毎日だった。そんな中で唯一の救いが、最初から異物のように扱われていた永太の存在だった。紀子が後妻として花村家に嫁いだことでできた3人の義弟の一番末が永太だ。難産の上生まれた永太は肺が弱く、生まれて間もなく実の母親とは死別。そのせいで手がかかるのにも関わらず、まだ幼かった実の兄2人からは母親を奪った存在と嫌われ、ずっと花村家の二階の角部屋で過ごしていた「血のつながった異分子」である永太。日に焼けてない青白い肌は死んだ実父を思い出させた。もう一人の腫物の存在は、俺の心のよりどころだったのだ。そういう意味で俺は、永太を利用していたのにもかかわらず、永太本人は俺が部屋を訪ねると笑顔で迎え入れて、俺のつまらない話を否定するでもなく聞いてくれた。救われていた。他の2人の義弟からの拒否や敵意ではなく、まるで実の兄のように慕ってくれる壊れそうな生き物に、俺はどうしようもなく救われていたのだ。 俺は集まった視線に逃れたい気持ちを持ちつつ、言い訳をこぼした。 「今回はちょっと……野暮用がありまして」 「野暮用?」 語尾に見えない「永太坊ちゃんと祭りを行くこと以上の?」という圧を感じながら、視線で逃げ場所を探してしまう。 「えぇ、まぁ……はい」 帳簿に点検完了の署名をして閉じて席を立つと、帳簿をしまっている棚の前に哲郎が黒い笑みを浮かべながら立ちはだかった。 「聡一さん、もしかして、逢引ですか?」 「ァ、あい!?」 言葉の端々に棘を感じる哲郎の突拍子のない発言に、思わず声がひっくり返った。視界の端で三四が両手を合わせて目を輝かせているのが見える。 「ち、ちが! そんなんじゃないですよ!」 弁解をしようと手を振って否定するも、哲郎の目が光る。 「……女ですね?」 女性だけど恋人じゃない。そういう関係に発展する仲でもない。どう否定をしても誤解を重ねそうで額に手を当てて考えるが、その沈黙が肯定となってしまった。哲郎の殺気に似た気配が大きくなった。哲郎がゆっくりと、そして強くがっしりと俺の両肩をつかんでくる。 「……ぅぅぅうらやまじぃ」 「哲郎さん……本当に、そんなんじゃないんですよ……」 怒りが一気に急降下して悔し泣きする哲郎に、弁解の一言をつたえてもどうにも届いてないようだ。 三四が事務所から軽やかに出ていくのが見えたが、とりあえず哲郎をなだめるために机に帳簿を置いた。 「哲郎さんの良さを分かってくれる人、絶対いますって」 「なんの慰めにもならない上に年下に慰められる俺……」 ふらふらと机に突っ伏して涙する哲郎を持て余してしまうが、もうどうすればいいんだがさっぱりわからない。机の上の帳簿を持って棚にしまっていると、三四が紀子を連れて事務所に入ってくる。 「聡一」 紀子が有無を言わさない雰囲気で俺を呼ぶ。知らずに背筋が伸びる。 「逢引なのですか」 「母さんまで何を言ってるんですか」 呆れすぎて俺は眉間を押さえた。もうそろそろ店じまいの時間というのもあるが、皆暇なんだろうか。 「出かけるんですよね?」 「はい」 「どちらへ」 「桟木町まで一度出て、そのあと氏神祭へ行ってきます。晩御飯はいりません」 業務の締め作業も終わったので机の周りを片付けながら紀子に告げる。鞄の中を確認して忘れ物がないかを見ていると、紀子が熟考の上で口を開いた。 「桟木町……相手は『季ノ路』のお嬢さんです?」 言い当てられ、思わず俺はぱっと紀子のほうを向いた。それを見て、にんまりと笑う三四と紀子が意気投合したようにお互いを見あって頷きあった。その姿をみて、自分の失態に気付いて顔を覆ってその場にしゃがみこんだ。紀子は今年の神輿行列の一件を知っている。桟木町という名前だけで料亭「季ノ路」に辿りついたようだ。出来れば黙って出かけていきたかった。先輩の妹さんも、お礼の気持ちをずっと受け取らずにきた自分のせいで、こんな風に揶揄われるのは本望ではないだろう。 「聡一」 紀子が俺の肩をぽんと叩いてくる。嫌な予感しかしないが俺に無視をするという選択肢は用意されていない。 「着替えますよ」 「いや、俺は別にこのままで――」 「待ち合わせ何時なんです? 時間がもったいないから早く立ち上がってください?」 「だから別にこのままで――」 待ち合わせ時間もあるのでとりあえず立ち上がったが、都合よく解釈されたのか三四と紀子に押されながら俺は事務所を後にした。 「……オツカレサマデース」 哲郎が机に突っ伏しながら力なく俺たちに声をかけた気がしたが、どれについて言われたんだろうと一瞬考えてしまったために返答する機会を失ってしまった。お疲れ様というのは仕事についてだったんだろうか、それとも今からこの二人に玩具にされることについてだったんだろうか。  母屋に連行された俺は、自分の部屋まで引っ張られた。てきぱきと紀子が押し入れの奥から引っ張ってきた衣装入れを開けて、浴衣の状態を確認する。 「まったく……なんでもっと早く言わないんです」 「言う必要性を感じませんでした」 「母にはそれがわかりませんね。さ、早く脱いでください」 浴衣を衣紋掛けにかけながらぴしゃりと言い放つ母に逆らえるはずもなく、シャツの第一釦に指をかけた。紀子は道具類を確認して、 「三四さん、ここお願いします。私は帯を持ってきます」 そのまま足早に部屋を出ていった。三四は慣れた手つきで畳まれている腰ひもを伸ばしていく。俺がシャツを脱いで肌着の上から衣紋掛けにかけられていた浴衣を羽織った。三四さんが浴衣の着付けをあっという間に仕上げていく。流石呉服屋で下働きしていた経験の持ち主である。  あとは帯というところで、紀子が戻ってきた。 「三四さん、どっちがいいかしら」 「わぁ、旦那様の角帯です? どちらもきれいな織でいいですね」 着付けられている俺をほっておいて二人で盛り上がっているのを聞き流しながら、ぼんやりと天井を眺めていた。見てもいないが、心底本当にどっちでもいい。紀子が灰色の角帯を俺に締めていく。三四が姿見を持ってきて押し入れの前に立たせた。 「うん、いいですね」 「はい! とっても!」 出来上がりに満足したのか、紀子と三四が満足げに頷いている。俺は姿見に映った自分を見てため息をついた。二人が施してくれた着付けが悪いというつもりは全くないし、浴衣と帯も正直よく合っていると思う。ただ、まるで先輩の妹と会うことに浮かれているような姿になんとも言えない気持ちになった。鞄から財布を取り出し、箪笥から手拭いを出して帯と身体の間や懐にしまいこむ。 「……いってまいります」 俺は準備されていた草履を履いて外に出た。もうすぐ日が暮れ始める。まだ永太は戻ってきていないのか。紀子も三四も、俺に構って何故永太のことを気にしないのか。永太は独りでこんな時間まで外にいたことなど今まで一度もなかったというのに。  心配する気持ちをぐっと我慢しながら、待ち合わせの時間もあるため俺は小走りで隣町へ走った。

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