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第17話 まるで導かれているように

 やっと花村家がみえてきた。一度大きく息を吸って、小さく吐く。敷地内に入るのに気を張るのは5年前からの癖のようなものだった。勝手口に向かって歩いていると、ふと気になって永太の部屋の方を見る。案の定、永太がこちらの方を見ており、こちらの気も知らないで笑顔で手を振ってくる。あいつは何度いったら夜に窓を開けなくなるんだ。俺は母屋の様子を見て、明かりのつき具合を確認した。皆は自室にいるようなので、俺は永太に「今から行くから待っていろ」という意味を込めて指をさした。勝手口にまわって、そっと入る。おそらく自分が最後なので勝手口の施錠を行う。なるべく音を立てないように、俺は永太の部屋を目指す。少しきしむ階段をなるべく早くあまり音を立てないように駆け上がる。現行犯逮捕するためにあえて断りもなく襖に手をかけた。 * * * * *  翌日は普段通りの休日ではあるが昨日何もできてなかったので宿題が終わってなかったため、昼食後からずっと机に向かっていた。午前中は昨日来た浴衣の汚れを落としたり片づけたりと、何も手を付けることができなかった。高校はやはり中学よりも単元の範囲が広く、正直きちんと勉学に向き合わないとついてはいけない。一度集中すると時間を忘れて没頭できるので、一番の苦行はやり始めなのはあるが。  俺は大きく息を吐いて、鉛筆を置いた。なんとか終わった。そう思って窓の外を見ると、まだ日は高い。昨日の夕方からはほとほと疲れたし、明日は学校なのでゆっくり休んでいたい気持ちもあるが、かといってきちんと休むにしても手持ち無沙汰が否めない。茶でもいれるか、と立ち上がった。 立ち上がってみると、やはり姿勢が崩れていたのか首の疲れを感じる。首を回しながら居間に行くと、紀子が座敷机に座って厳しい顔で湯呑を眺めていた。その表情に驚いて紀子の顔を見ていると、紀子がこちらに気付いて顔を上げた。 「あら、聡一」 「どうしたんです。険しい顔をして」 紀子の近くに座って聞くが、紀子は「ちょっとね」と言って濁す。紀子が湯呑を揺らしながら、何か考えているようだった。 「……あなたは、何も心配してないから」 実の母親からそう言われるのは、うれしい反面何とも言えない複雑な気持ちになった。心配をかけまいとしていた努力が実っているとは言え、子としての自尊心のようなものが燻る。格好いいわけではないのでそんな気持ちを表に出したりはしないが。 「誰を心配してるんです?」 そう言うと、また紀子の眉間に皺が寄る。わかるでしょと言わんばかりの顔でこちらを見てくるので、理一郎と征二の二人かとあたりをつけた。 「また勉強をしてなかったから怒られたんですか?」 「あの二人はいいのよもう」 返ってきた答えに俺は驚愕しながら紀子を見る。 「え、永太が何かあったんですか?」 紀子がため息をついて、湯呑を置いた。一呼吸おいて、紀子が俺の方を見る。 「昨日も夜に帰ってきたのに、今も出かけてるのよ。独りで」 俺は腕組みをしながら紀子の言葉を反芻する。まだ陽も高いしそんなに心配することではないかもしれないが、それは通常小さいころから大人と一緒に行動をしていた子供ならという前提のもとである。紀子が心配するのも、正直わからなくもない。 「昨日、参拝してないから買い物ついでに参拝してくるって。そもそもなんの買い物なのかしら。分別はあると思うけど、逆に小遣いでどんなものを買うのやら検討がつかなくてね。小遣いだから口を挟むのもなにか違うと思うし、気を遣って学校で使うものを買ってたら流石に可哀想だし、かと言ってちゃんと私に教えてくれるかもーーなんです、その顔は」 紀子の思考が滝のように流れ始めて、俺は逆に紀子がそこまで永太に関心があったことに驚いた。 「いや、永太の事を、結構考えてるんだなぁと」 しどろもどろになりながら答えると、紀子は更に俺を呆れ顔で見てくる。ただ、やはり何か思い直したのか、少し表情に影が落ちた。 「……確かに、最初は…………でも申し訳ないと思ってるわよ」 確かに後妻に入ってこの何年間は、紀子自身も大変だっただろう。それに加えて部屋から出て来られない永太と問題児2人の世話を天秤にかけたら、時間の割き方に偏りが出てしまうのは分からなくもない。 「でも、お前が跡取りとして花村家を継いだ時のことを考えるとね、あの子はお前を慕っているし、勉強についても真面目に取り組んでる。お前を助けてくれる身近な存在がいるって言うのは、いい事だと思うのよ。だから――」 「ちょっと待ってください」 俺は紀子の言葉を遮った。紀子も驚いたようにこちらを見ている。確かに、過去こうやって紀子の言葉を切ったことは無かったかもしれない。 「継ぐのは理一郎であるべきです」 「……お前は何を言っているのです?」 紀子の目が厳しくこちらを見ている。声色に圧力を感じるが、ここだけは折れてはいけないと俺は気を張った。空気が一気に張り詰める。 「8代続いた花村家はずっと直系が継いできています」 「あなたは花村家の長男です!」 「それでも、血はつながっていません」 努めて冷静に母に言うが、紀子は怒りで湯呑を持つ指が震え始めている。 「理一郎が継いで、俺が支える。それでいいじゃありませんか」 諭すように言うと、紀子が立ち上がった。紀子はまだ納得はしていないようだ。 「――決めるのは、旦那様ですから!」 紀子が捨て台詞のように言って足早に去っていった。残されたまだお茶が入っている湯呑を俺はしばらく眺めた。利吉の考えは正直全く読めないが、先代が作った赤字を今代で持ち直し発展していることを考えて、やり手であることは確かだ。その分、どういう判断を下すのかが全く分からない。  俺は紀子の湯呑をその場に残して、立ち上がった。紀子の心配を少しでも和らげるために、俺は氏神神社を目指した。氏神神社への道は去年まで歩いていた通学路なのにも関わらず、すでに懐かしく感じる。商店街の中に永太の姿がないことをなんとなく確認しながら歩いていくがやはり姿は見られない。もし見落としていたとしても、氏神神社までの道はほぼ一本道のためすれ違うことはないだろう。ゆっくりとしようと思っていた午後だが、散歩だと思えばそんなものだ。 参道に入ると、昨日の氏神祭の名残かちらほら割り箸などが落ちていたりするが、比較的綺麗だなと思った。  氏神神社へ向かう途中に、杉林がざあっと音を立てた。一呼吸おいて風が自分をなでていく。 「――ッ!」 舞い上がったのか細かい砂が目に入って風から目を背けた。目を擦って何度か瞬きをすると、見晴台へ続く脇道の入り口が視界に入った。見慣れた肩掛け鞄が落ちている。心が一気にざわつく。慌てて地面に放置されている肩掛け鞄に近寄って拾い上げる。中に入っているものを見て、永太の財布を見つけた。 「永太ッ! 永太ぁ!」 力の限り叫ぶが、返事は聞こえない。鞄を持って辺りを見回すが、他の痕跡を見つけることができない。息が上がる。鼓動が早くなって苦しい。俺は見晴台に向かおうと階段を上がろうとした時、また強い風が吹き何かが頬に当たって、林に向かって落ちていく。反射的に顔に当たったものを目で追いかけると、それは乾いた杉の実のようであった。風がやんだ時、俺は獣道のはるか先に何か黒い物が落ちているのを見た。

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