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第20話 秘密の共有
「全くお前は本当に何を考えているんだ」
「それ、さっきから何回も聞いたよ」
聡一が固形石鹸を泡立てながら、背後でまたぶつくさ言っているのを、僕はにやけるのを抑えることができずなんとか噛み締めながら聞いていた。すると僕の濡れた頭に泡をつけて聡一が乱暴に擦り始める。
「あだだだ! ちょ、あに様!」
「苦情の申し出はお受け致しかねます!」
問答無用で擦り続ける聡一に、僕は笑いをこらえることができなかった。
二人で氏神神社を出たあと、僕は一つわがままを言った。普段行ったことがない道から帰らないか。一緒ならいいだろうと。聡一は時間を気にしていたが、今後のことを考えてか聡一は渋々首を縦に振ってくれた。僕が希望したのは、氏神神社を隣町の方に下る道で山から流れる川に沿って歩く道だった。つまり、聡一とヒロコが昨日通った道だ。僕は聡一と二人で歩けることに気分が高揚していた。柄にもなくはしゃいで見せたりしていた。僕の狙いが悟られないように。川は小さいながらも昔はよく氾濫したとかで、山の方から落ちる水の勢いはまさしく男川と称されるだけある。まぁヒロコの家がある桟木町まで行けば、整備が行き届いているためかまるで女川のようにおとなしい様を見せているが。さすがにそこまで行ってしまうと遠回りが過ぎるので、途中からは川から分けられた用水路を沿って歩いていく。
「あに様、用水路って、生き物はなにもいないの?」
「いや、全くいないわけじゃない。カエルやらタニシやら、そういったのはいるだろうな」
「やっぱり魚はいないの?」
「前メダカが泳いでるのはみたぞ」
「へーそうなんだ」
僕は話しながら用水路を覗いた。うん、これぐらいの深さならいけそうだ。僕は聡一をちらりと見る。僕の肩掛け鞄をずっと持ってくれている聡一がこちらを少し心配そうに見ている。
「おい、あんまり覗いて落ち――!」
言い終わる前に、僕はにこりと笑いながらわざと用水路に落ちた。秋の水の冷たさが服を抜けて肌に刺さる。水嵩は胸のあたりまでしかないので足は問題なくつくが、水で服が重くなり動きづらい。なるほど前に本で読んだ通りだな、なんて極めて冷静に分析していた。
「何やって――あぁもう!」
聡一が鞄を放り出してこちらに手を伸ばしてくる。僕はその手を取ろうとするが、唯一誤算だったのが用水路の速さである。あらがえないほどではないが、歩こうとすると体の軸がずれて流れそうになるのでなかなかつかむことができない。
「わかった! 永太動くなよ! そのまま踏ん張れ!」
僕は言われた通り、流れに逆らって動かないように目いっぱい体に力を入れた。聡一がそういって靴を脱ぎ、自らも用水路に入ってきた。聡一がこちらに手を伸ばしてきたので、僕はそれを両手でつかんだ。そのまま引っ張って用水路の淵まで運ばれる。先に聡一が用水路から飛び上がるように出たあと、僕は引っ張り上げられた。
「怪我はないか!?」
「大丈夫だよ」
寒さに声を震わせながら聡一が僕に聞いてくる。僕の答えも、唇が震えて歯が何度かかちかちと音を立てた。
「全くお前は何を考えているんだ! 秋だぞ! 寒いに決まってるだろ! 風邪をひいたらどうする!」
そうやって僕は聡一に怒られながら帰ってきた。二人とも服を絞って、それでも寒いからと聡一は僕を負ぶって走って帰ってきたわけだ。花村家に帰ってきたときの紀子の顔ときたら、呆気にとられるとはまさにこのことかと言わんばかりの顔で、二人で風呂に入ってこいと浴室に突っ込まれて今に至る。
手早く身を清めて、二人で入るには少々手狭な風呂に二人で入る。お湯があふれて流れていくのを見ようと少し身を乗り出すと、聡一から肩まで浸かれと頭を上から押さえられた。渋々湯舟に浸かると、聡一も湯の中に戻る。相変わらず聡一の体は引き締まって格好いいなと思う。それに比べて自分の体のもやし具合を見るに、本当になんとかせねばならないと感じる。
「……痛いところはあるか?」
聡一が声を低くして聞いてくるので、僕は静かに首を振った。その拍子で髪についていた雫が目に入り人差し指でこすっていると、聡一が手を伸ばして僕の手首をそっと掴んだ。聡一の視線を追いかけるように自分の手首を見つめると、あぁなるほど、男に組み敷かれたときの手の痕ができている。反対側の手も湯船から出すと、こちらの手首にもくっきりと手の形で痕がついている。
「永太、ちょっと立て」
「え、でも」
「いいから」
そう言われて僕は湯舟の中で立ち上がった。聡一が僕の貧相な体を見つめ始める。僕は羞恥心で顔を上げることができなかった。聡一が入念に僕の体にあの男の痕跡がないか確かめ始めた。
「次、後ろ」
僕はその場で聡一に背を向ける。聡一の視線がどこを見ているのかわからなくて少し鼓動が早くなる。すると、そっと背中を触られる感触がして僕は思わず声が出そうになった。
「ここ、痛くないか?」
聡一が心配そうに背中をなぞる。確かに触られるとなんとなく痛い気がする。よく考えたら地面に放り投げられたり素肌が地面に擦られたりしていたか、と納得の痛みである。
「結構ひどい?」
「深くはないが、擦れているな……膿んではいなさそうだが、かゆくなるかもしれない」
自分では見えないのでよくわからないが、かゆくなったときのことを考えると少しげんなりする。僕は唇を尖らせ、再び湯船に浸かった。聡一の顔がまた難しそうな顔をしているので、僕は爪をはじくようにして聡一の顔にめがけて湯を飛ばした。一回かけても聡一に無視されたので、二回、三回と続けていく。聡一の眉間に当たった瞬間、聡一の片眉がひくりと上がったのを僕は見逃さなかった。もう一回お湯をはじくと、聡一の鼻に当たった。聡一は黙って両手を握り合わせて、湯を水鉄砲のように僕に向かって発射させてきた。
「わぷっ! ちょ、あに様! わっ!」
追撃の第二射が飛んできて、僕は慌てて顔を守った。攻撃力が高すぎないだろうか。第三射が飛んできて、手の甲に当たる。勢いがすごくて本当に驚いた。
「あに様! それ! どうやってるの!?」
「ん? 普通に、こう」
聡一がこんな感じと手を見せてくるので、何とか僕も真似てやってみるがなかなかうまく飛んでいかず、指の間から四方八方に噴射されていってしまう。噴射されたお湯が僕の顔に勢いよくかかって、僕は顔を手で拭った。聡一と目が合って、二人して笑った。
「あったまったか?」
「うん!」
聡一が聞いてくるので、僕は笑顔で答えた。聡一がちらりと脱衣所を見る。僕もつられて脱衣所を見るが、人の気配はない。聡一が立ち上がり、浴室の窓を少し開けて外を見る。きょろきょろと周りを見回して窓を閉めてからまたお湯に浸かった。聡一が少し顔を近づけてくるので、僕も少し耳を寄せた。
「寝間着は手首が出やすい。気をつけろよ」
僕は言われてまた自分の両手首を見る。今は肌が温まっているので目立ちづらいが、手首の痣がところどころ青くなり始めている。確かに、これは気を付けないといけない。
「……そういえば、永太、今日買い物に出たんだろう? 何を買ったんだ?」
聡一がきょとんとした顔で聞いてくるので、僕は自分が買ったものを思い出して笑みがこぼれた。
「哲郎に本を借りて読んだんだけど、とても役に立ったから、お礼をね」
どんな反応をするのか楽しみ過ぎて今から笑ってしまう。それを聞いた聡一は、
「へぇ……哲郎さんに……?」
と少し疑問を持ったようだったが、まぁいいかと聞き流したようだった。
「そろそろ上がるか。一応俺が先に出る。のぼせるなよ」
「わかった」
聡一を見送って、僕は少なくなった湯に潜るように入った。自分の腹や腕を触る。聡一の引き締まった体を思い浮かべながら、僕は少し悲しくなった。
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