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第24話 知ってる顔、知らない顔

 週末に向けて、たくさん宿題が出た。帰ってから宿題を片付けたい気持ちは山々だが、最近の傾向を見るにまた理一郎たちに心の平穏を乱されそうで帰りたくない気持ちが勝ってしまう。かといってあまり遅くなると今度は紀子からの視線が気になってしまうので、どうしたものかと僕は机に突っ伏しながら思案した。いや、突っ伏するぐらいなら、ここで宿題をしてしまえばいいのだろうが、あまりにも今回は範囲が広すぎてどちらかというと時間制限がある状態では始めたくない気持ちが強い。  僕が起き上がると、隣で身支度を整え終わった小田がまたこちらの様子を見てくる。 「具合悪いの?」 「大丈夫だよ。もう、あまり熱も出なくなったし」 そういって僕も鞄を取り出した。気が重いが帰るしかない。理一郎たちも心を入れ替えて宿題に励んでいることを祈ろう。鞄に荷物を詰めていると、小田は片眉を跳ね上げながら言ってくる。 「花村君、最近ため息ばっかりついてるから」 「……そう?」 よく見てるなぁと思う。この小田という人物は天性の世話焼きなのだろうか。教室中の人間のことを把握しようとしているかのように気にかけている。その中でもずば抜けて体調不良を起こしやすい僕に目を光らせているのは仕方のないことなのかもしれない。頼んではいないのだが。 「何かあったの?」 小田が聞いてきた。ここで深堀りしようとさえしてこなければ、僕も小田に嫌悪感を抱くことがないんだろうなと思う。いや、単純に自分の性格がひねくれてしまっているだけなんだろうけれど。 「別に……小田は? 珍しいね。いつもこんなに残ってたっけ」 聞かれたくないためだけにこちらから質問を返してしまった。そして小田の反応を見て僕は後悔する。小田が僕の言葉に笑顔を浮かべている。そんなに嬉しそうにしないでほしい。罪悪感で胸が苦しい。 「今日はね、ちょっと先生を待ってるの。もう二週間ぐらい休んでる林君のうちに届け物。ちょっとまとめてくるからって先生に待ってるように言われたのよねぇ」 「へぇ……」 件の林の顔を思い出そうとしても、なかなか鮮明には思い出せない。ぼんやりと背丈は僕と同じぐらいか少し高いぐらいだったかな? 運動については僕と同じぐらい苦手そうだったな? ぐらいの印象しかない。本当にあまり周りに興味関心がないんだなぁと改めて思う。自分の世界が聡一に関わるものしか色付かないのだから、仕方ないではないか。 「この前新しい教科書と学習帳が配られたでしょ? 全部で8冊。それで家が一番近いからって私に持っていけって言うのよ」 「わー、大変だね」 まるで他人事のように僕が返してしまったせいで、小田が半眼になった。そんな目で見ないで欲しい。僕の体力のなさは折り紙付きだ。手伝うなんて口が裂けても言えない。  そんな会話をしていると、担任の久保先生が教室に入ってきた。 「小田、悪いな待たせた」 「いいですよ、そんなに待ってません」 そう言って小田が先生から紙袋を受け取ろうとした瞬間、紙袋の底が抜けて中に入っていた真新しい教科書と学習帳が床に落ちていった。二人の間に沈黙が下りる。久保先生が落ちた教科書と学習帳を拾い上げて小田の手の上に乗せた。 「じゃ、よろしくな」 「――は? え? 嘘、さすがにちょっと私の鞄には入らな……先生!?」 久保先生がそそくさと逃げ出した。小田が机の上に渡されたものを一式置いて先生を追いかけようとしたが、久保先生は走って行ってしまった。久保先生って足が早かったんだなぁとか他人事のように思っていると、廊下を覗いていた小田が戻ってきて、こちらをキッと睨みつけてくる。 「……手伝って」 「え?」 「手伝って! 途中までは少なくとも方向一緒じゃない!」 お願いのような言い方をするがほぼ命令である。他人事のように考えていた罰が当たったか、と僕はため息をついて立ち上がった。小田の机の上に置いてある林の教科書類を鞄に詰め込み始める。さすがに8冊全部入れると僕の肩掛け鞄が変形して生地が張ってしまった。 「……全部持ってほしいなんて言ってない」 「この状況で持たせるわけないでしょ。小田は案内係」 きっと聡一ならそうするだろうと思った。肩掛け鞄をかけると、肩紐が肩に食い込むぐらいには重い。僕の鞄も紙袋みたいに壊れたりしないだろうかと、ちょっと心配になってしまった。教室を出ても小田がついてこないので、教室を覗くと小田が目を丸くしてこちらを見ている。 「小田? 行くよ?」 「あ、うん」 小田が応えて、慌てて鞄を持って走ってきた。  小田曰く、林の家はだいぶ離れた北山口町にある工務店を営んでいるらしい。といっても住居と工務店は同じところにあるわけではないらしく、向かっているのはその住居の方だとのこと。しかしながら花村屋がある場所から、例えば『季ノ路』ほどは離れていないが、帰路の途中まで同じ方向というのは些か疑問を持つような方角だ。僕は帰りの体力が残っているか心配になった。聡一のように振る舞えば、おのずと人並みの体力になっていくだろうか、などと思考が明後日の方向に飛んで行ってしまった。小田は僕に合わせてゆっくり歩いてくれたが、心配かけないように僕は上がる息の音をなるべく抑えながら歩いた。 「ごめんくださーい!」  林と表札がかかっている家の前について、小田が声を張った。さすがに僕は声が出せるような状態じゃなかったので正直有難かった。家の中から「はーい」という元気な女性の声が聞こえ、しばらくすると家の中から林の母と思われる人が割烹着姿で出てきた。 「あら、俊雄のお友達?」 女性が聞いてくる。それで僕は林の名前が俊雄ということを認識した。僕は鞄を開いて、教科書類を一式取り出した。きちんと全部そろっているか確認していると、小田が女性の問いに答えてくれた。 「はい、林君――俊雄君、大丈夫ですか?」 小田の言葉に、女性の顔が少し曇る。僕と小田はお互い顔を見合わせた。そんなに悪いのなら早く帰った方が―― 「お見舞いはできますか?」 僕の思考とは真逆のことを小田が言う。なるほどこれが社交性か! などと僕が思っていると、女性は少し考えて、「ちょっと待っててね」と言って家の中に入っていった。それを見てか、小田は僕に小声で言う。 「聞きに行くってことは、うつるような病気じゃないってことよね。怪我かしら?」 社交性の方じゃなくて好奇心からの一言だったのか。まるで探偵のように推察している小田を見ながら、僕は少し呆れた。 「あんまり突っ込んで聞くのやめなよ? 言いたくないことだってあるでしょ」 「だって気になるじゃない!」 僕も小声になって諫めるが、小田の好奇心はどうやら止まらないようだ。ただ、お見舞いと称して家に上がれるなら、帰りの体力は回復できそうなので正直に言うと有難く、僕も強くは止めなかった。  しばらくして女性が戻ってきた。その表情はまだ曇っているが、女性は「どうぞ」と招き入れてくれた。 「お邪魔します」 小田に続いて僕も林の家に上がる。僕が靴を脱ぐと、両手が塞がっていて靴をそろえられない僕の代わりに小田が靴をそろえてくれた。小田にお礼を言って、女性の案内について廊下を進む。木製のドアがついた部屋の前について、女性がノックをする。中から「どうぞ」という林の声が聞こえてきたので、女性はそのままドアを開けて小田と僕を通してくれる。 「林君、大丈夫?」 小田が部屋に入って開口一番そう言った。女性は布団で寝ている林を一瞥して、ドアを開け放ったまま部屋から出て行った。僕はすぐ近くにあった机の上に手に持っていた教科書類を置いて、小田の隣に移動する。 「大丈夫だよ、来てくれてありがとう」 横向きで寝ている林が僕たちに少しぎこちなく笑顔を浮かべてお礼を言ってきた。小田はそれを受けて、腰に手を当てながら続ける。 「久保先生が教科書と学習帳を持ってってくれって。久保先生ったらひどいのよ? 底が抜けるような紙袋で持ってきて、あとはよろしくですって」 「ははっ! 久保先生らしいや」 林が笑う。僕は、さすが小田だな、と思った。林とも仲良さそうに話している。そういえば学級の中で一番分け隔てなく話しているのは小田かもしれない。家が近所というだけじゃない、久保先生が小田を使いに出すのも納得だった。 「いつ頃から学校には来れるの? 結構、単元進んでるよ?」 「うわぁ、どうしよう……。もうちょっとかかりそうなんだ。まだ歩くのがしんどくてね」 林が上体を起こそうとすると、腹を抑えながら苦悶の表情を浮かべる。小田が林を支えようと手を出すが、林がそれを制止する。 「大分、悪いの?」 小田が心配そうに林に聞く。林は乾いた笑みを浮かべながら、 「……嫌になっちゃうね」 と言った。林はため息を一つついて続ける。 「でも僕はそんなに頭がいいわけじゃないから、勉強についていけなくなるのも困るよ」 「そもそも起き上がって大丈夫なの?」 小田が林の表情と腹元を交互に見つめながら聞いた。林は頷いて答える。 「大丈夫だよ。ちょっとコツがいるんだけど」 「起き上がれるんだったら、ここに通って教えるわよ。うちの秀才が」 秀才? 誰のことだろう。小田が軽い口調でそんなことを言うもんだから、僕は小田を見た。すると小田と林の視線が僕に向く。 「……………………ぇ、僕ぅ!?」

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