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第25話 押し付けられた気苦労
勉強を見ることについては、林はもし可能ならお願いしたいと乗り気だったし、提案者の小田は自分はやらない癖にとても満足気だった。僕としては荷が重いと伝えてはみたものの、まるで二人には聞こえていないかのようだった。毎日林家にお邪魔することも申し訳ないことを伝えても、林の母親からはむしろ有難いと頭を下げられた。八方塞がりである。その日はさすがにこちらも宿題があるので、林家に長居はしなかったが、もし可能なら明日からでもお願いしたいと言われた。林の母の顔はその時にはもう曇ってなかった。正直気乗りしないが、放課後に理一郎たちにちょっかいをかけられる時間が減ることを考えると、それはそれでいいかもしれないと前向きに考えてみることにした。
僕は帰宅してすぐに一連の事情を紀子に報告した。店の裏手で報告を受けた紀子の表情は相変わらずの無表情だったが、何かを少し考えるように唇に指をあてた。
「北山口の林工務店……。具合が悪い理由は? 何時に行かれるの?」
「どう悪いというのは聞いていませんが、ひどく辛そうでした。時間はいつとは伝えてませんが、お互いが昼食を食べた後にしようという話になっています」
「食べられないものとかについては聞いてないのね?」
「はい、聞いてません」
僕の答えに、紀子はまた少し考えるように唇に指をあてた。
「わかりました。失礼のないように気を付けて」
「はい」
紀子はさっと店に入っていった。
「哲郎、悪いけどひとっ走り林工務店が入っている商工会の――」
紀子が哲郎に何やら指示を出しているのが聞こえた。なんだか話が大きくなってしまったのではないかと僕は内心焦ったが、考えないようにした。明日は学校がないので、今晩と明日の午前中で何とか宿題を終わらせなくてはいけないし、可能なら教える範囲をもう一回確認して答えられるようにしておきたい。僕が病弱だった頃、聡一が勉強を見てくれたようにうまくいくだろうか。同い年の子に教えるというのも、ちょっと緊張する。
自室に戻ると、もうそろそろ夕餉の時間だった。手早く着替えようとシャツを脱ぐと、やはり肩掛け鞄の紐の痕がくっきりと首の付け根と肩についていた。体を鍛えるのは運動すればいいかもしれないが、皮膚を鍛えるのはいったいどうすればいいのか。僕は肩掛け鞄の痕を擦ってみた。当然消えるはずもなく、諦めて着替えを再開した。
今日は本当にいろいろなことが起こる日のようで、夕餉はまた一つ奇妙だった。理一郎に快活さが全く感じられない。征二も暗い表情をしている。それを察してか、普段は学校のことを聞いたりする利吉ですら閉口したままである。三四と紀子が視線で「何かあったのか」「わからない」と会話をしている。三四がこちらを見てくるので、僕も首を振った。珍しいこともあるもんだ。喧嘩でもしたんだろうか。僕はそう思いながら麦飯を口に運んだ。
気まずい夕餉の後、僕は風呂に入ってすぐに机に向かった。黙々と宿題をこなして、何とか半分終わったかというところで聡一が部屋にやってきた。
「明日、林さんちに行くんだってな」
「何で知ってるの?」
僕が手首を見せながら聞くと、聡一は僕の手首をいろんな角度から観察しながら答えた。
「明日、朝一で『たばた』の栗きんとんを買いに行くよう言われたよ。林工務店の店主が好きらしい。見舞いとして持たせたいみたいだな」
僕は、紀子が哲郎に何か指示していたのを思い出した。哲郎に情報収集するよう言ったのか。でもせっかくなら学校に来られない林自身の好物を持っていきたかったが……。でも僕自身は林のことを何も知らなかったから、聞かれたとしても答えることはできなかっただろう。ただ、確かに花村家として見舞いを持っていくということは、まるで花村家の代表のようでとても気が重くなった。
「……そう気負うな。大人の世界の話だ。お前は友達の家に遊びに行って勉強してくるつもりでいいんだよ」
僕の反応を見てか、聡一が僕の袖を直しながら言う。聞いている限り大人の世界はどうも好きになれそうにない。聡一に追いつきたい気持ちはあるけど、大人になりたい気持ちは薄れてしまった。
「友達に頼りにされるってのは、誇りに思っていいぞ。少なくとも俺はお前が誇らしい」
聡一の一言に、僕の心が一気にくすぐったくなった。聡一に抱きついてしまいたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢する。
「僕が勉強を頑張れるのも、あに様が勉強を教えてくれたおかげだよ」
「ん? ハハッ!そうか。なんか、そう言われると……照れるな」
聡一がはにかみながら言う。照れを隠すように聡一は立ち上がってしまった。
「さ、宿題の邪魔になるな。あんまり根を詰めるなよ?」
「はーい。おやすみなさい、あに様」
「おう。おやすみ」
襖の向こうに消えた聡一を見て、少し寂しいが僕は気持ちを宿題に向けた。
* * * * *
宿題はなんとか次の日の午前中には終わったが、正直復習についてはざっと教科書を見直す程度ぐらいしかできなかった。憂鬱な気持ちで僕は聡一から『たばた』の栗きんとんを受け取って出発した。秋の涼しさを感じる空気に、僕は薄手の外套を着ていけと言ってくれた三四に感謝した。過保護とは思うが、やはり大事を取っておくに越したことはない。ただ、道行く人を見ているとそんな恰好で歩いている人は一人もいないので、やはり少々恥ずかしい。
昨日帰ってきた道を戻るように、僕は林家の前に立っていた。さすがに外套を着ていく勇気はなかったので、脱いで畳んでから呼び鈴を押した。が、呼び鈴がならない。もう一度押す。やはりうんともすんとも言わない。そういえば、昨日小田は呼び鈴を押すことなく声をかけていた。さては小田、呼び鈴がならないことを知っていたな?
「ごめんください! 花村です」
仕方ないので小田に倣って声をかける。中から「はーい」という声がして、ほどなくドアが開かれた。相変わらず林の母が割烹着姿で出迎えてくれた。
「こんにちは。お邪魔します」
「どうぞどうぞ。昨日に引き続き、ごめんねぇ」
林の母が招き入れてくれたので、僕は手に持ってきたお菓子を風呂敷から取り出して渡した。
「あの、これ、遅くなりましたがお見舞いです」
「あらぁ~気を遣わせちゃったわねぇ、ありがとう。俊雄は部屋で待ってるわ。さ、あがって! あとでお茶を持っていくわ」
「いえ、お気遣いなく……」
僕はとりあえず林の部屋まで歩いていく。木製のドアの前で軽くノックをすると、中から林の「どうぞ」と声がした。僕は言われるままにドアを開いて、林の部屋に入ってドアを閉めた。林は机の前で座っており、昨日渡した教科書を見ていたようだった。
「ねぇ、呼び鈴鳴らないのって、なんで?」
僕は林の向かい側に座りながら疑問を投げかける。林は一瞬きょとんとしてから、「あぁ!」と笑い始めた。
「あれね、偽物」
「偽物!?」
「そう。すっかり忘れてた。中身がなくて、外側だけ。だからうちに呼び鈴がって言われて最初わからなかった」
「なんで……?」
僕は呆れながら聞き返してしまう。林も苦笑しながら少し恥ずかしそうに小声で答えた。
「……俺が幼い頃、母さんと一緒に昼寝してるときに勧誘のベルが鳴らされまくって、堪忍袋の緒が切れたらしい」
「あー……なるほど」
「ここいらじゃ有名だから、本当に用がある人はみんな声かけてくれることになってるんだよね」
小田め、先に話しておけよ。僕は心の中で毒ついた。
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