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第27話 「兄」として
「今日は風が冷たいですし、夕方にはもっと冷えるでしょうから何か羽織っていきましょ! ね?」
「うーん……三四がそういうなら……」
なんだかんだいって、永太は三四の言うことをきちんと聞く。俺は風呂敷に包んだ栗きんとんを永太に渡した。
「気を付けて行って来いよ。寄り道するなよ」
「しないよ!」
永太が笑いながら答える。あんなことがあったのに学校にも問題なく通い、元気に友人宅に行こうとする永太のことを考えると、少しほっとする。友人宅も人の目がある道しかないので、おそらく大丈夫だとは思うが……いや、やはり心配だ。送るか? いやでも、あまり過剰に一緒にいると、家族から何かあったのか勘繰られる可能性もあるし、今日は――。
葛藤しながらも無事に帰ってきてくれることを願って、俺は母屋に入った。二人の姿はすでに居間にはなく、俺は理一郎の部屋に様子を見に行く。部屋には入らず、いるかどうかを見るためだった。俺はまだそこにいてほしいという希望をもって向かった。いつも母屋の正面玄関から出入りしている理一郎たちだ。永太の準備ができるまで俺はずっと正面玄関の前で待っていた。理一郎たちが出かけていたのであれば、やましいことがなければ、正面玄関で会えたはずだ。そうであってほしい。まだ理一郎たちは理一郎の部屋に――。
理一郎の部屋の前に着いたとき、開け放たれた部屋の襖を見て、盗み見る必要もなく中の様子を見ることができた。鴨居にかけられた中学の詰襟。詰め込むだけ詰め込んだ整理されてない棚。すべて見ることができるのに、理一郎の姿は見えない。
俺は急いで征二の部屋に行った。征二の部屋の襖は閉まっていたが、中から人の気配は全くしない。念のため声をかけてみたが返答もなく、俺は征二の部屋の襖を開けた。漫画雑誌が横に積まれた机が目に入るが、やはりこちらにも征二の姿は見えない。俺は襖を閉めて、小坂先輩が言っていた繁華街へ行こうと廊下を歩きだしたところで、天井から軋む音が聞こえた。誰かが二階を歩いている。二階には永太や俺の部屋、物置程度しかないはずだ。嫌な予感がして、俺はそっと階段へ向かう。足音を立てないように階段を上がってそっと様子をうかがう。やはり、何かを物色するような音が聞こえる。
――永太の部屋だ。
頼むから違っていてくれと願いながら、俺はそっと永太の部屋の前に立って勢いよく襖を開いた。中にいた人物と目があう。そいつの顔にはありありと「見つかった」と書いてあった。永太の押し入れの中を物色していた奴の胸倉をつかんで立たせた。
「――征二!」
俺に一喝され、征二が体をビクつかせた。征二は何も言わなかった。謝罪も許しも無い。ただ強い意思を感じる目をして俺を見つめている。押し黙る征二に焦れて、俺は口を開いた。
「……いつもこんなことをしているのか」
「違う」
征二は短く答える。
「なんでこんなことをした」
答えない。
「理一郎の指示か」
「違う」
言いたくないことだけはどうやら答えないらしい。
「理一郎は知っているのか」
「知らない」
「理一郎もしているのか」
「してない!」
征二が俺を睨みつけながら声高に否定する。
「では何故した」
答えない。ただ、征二の瞳が少し揺れている。俺はゆっくり息を吸って、冷静になるように努めた。俺は征二を知らない。知らないが、俺には征二の目が何かを訴えかけているように見えた。それを何とか読み取ろうとするが、正直永太の荷物を物色していた事実に怒りが収まりそうにないせいか、うまくいかない。いつもだったら抑えられる怒りが、今回ばかりは激流のように俺の理性に襲いかかる。まるであの杉林の時のように。
俺の怒りの根底はどこにある? 永太に害を与えようとした事実か。それとも自分の兄弟が悪事に手を染めようとしているところをみたからなのか。
――「……それは、『兄ちゃん』だから?」
ふと、先日この部屋でした会話を思い出す。記憶の永太が寂しそうな眼差しを俺に向けている。まだ幼いのに俺の心を包もうと背伸びをする大切な弟。絶対に心配をかけたくないのに、永太にはなんだか弱いところも見せてしまう。俺は頼りにならない兄ちゃんだ。
……あぁ、そうだ。俺は、コイツにとっても兄ちゃんだ。
心が少し落ち着いていく。また俺は永太に助けられた。
「……俺に」
口をついて言葉が出てくる。
「俺に何かできることはあるか」
征二の眉が一度跳ね上がって、また下がっていく。強がっていた征二の目から涙が溢れ始めた。それを見て思う。コイツも精いっぱい、何かを我慢していたんだろう。
「理一郎を……理一郎を、助けて、ほしい」
征二が言葉を紡ぐ。俺は掴み上げていた征二の胸倉を放して、静かに聞いた。
「詳しく話してくれるか」
* * * * *
俺は走った。
話は昨日まで遡る。理一郎と征二が学校から帰ろうとしていた時に、不良集団に行く手をふさがれたそうだ。おそらく小坂先輩が言っていた非行少年たちのことだと思われる。最近の理一郎の行動が面白くないのか、週末の遊びに誘いをしてきたそうだ。今まではわざわざ集団で取り囲むようなことは全くなかったとのこと。その圧力に理一郎は負けまいとして、端的に言ったそうだ。「もうお前たちとは遊ばない」と。
そんな火に油を注ぐような行為を理一郎はしたらしい。遠回しな言い方は確かにしない方かもしれないが、明らかに悪手。そのまま何もできないまま、征二は固まっていたらしい。人質として。理一郎はそのまま財布を取られ、今日も金を持ってくるように言われたらしいとのこと。ただ、理一郎は普段の散財で今日持っていくだけの金はなかったらしい。それは理一郎に付き合って一緒に散財している征二にとっても同じだった。今日持って行っているのは、征二の手持ちの金だったとのこと。征二は自ら財布を理一郎に差し出したらしい。泣きながら自分に謝る理一郎に、居てもたってもいられなかった。そして、珍しく永太が出かけるとのことで、今日の暴挙に出てしまったとのことだ。
「永太が帰ってきたら、絶対謝れ。心から反省しろ。理一郎にもだぞ」
俺は征二が頷くのを確認して、今日の集合場所を征二から聞き出した。繁華街のすぐ近くを流れる川の大橋、その下で昼ご飯を食べたら集合とのことだった。理一郎が出たのはついさっきとのこと。であれば、走れば追いつける。征二には、利吉の話を通してくるよう伝えた。征二は渋っていたが、理一郎が学校に無事に通えるようにするために大切なことであることだと説き伏せた。理一郎に悪く思われるのが嫌なら、俺に脅されたと言ってもいいと。
「理一郎!」
俺は叫んだ。もうすぐ河川敷というところで何とか理一郎の姿を捉える。後ろから呼ばれて振り返る理一郎の腕をつかんだ。
「放せよ!」
理一郎が振りほどいてくる。俺は上がった息を整えながら、静かに伝える。
「理一郎、もういい。行くな」
「……何がもういいだよ。余計なお世話だ。いつもお高くとまりやがって。話しかけてくるな!」
理一郎の声が響く。繁華街が近いため人通りも多く、道行く人が俺と理一郎をちらちらと見てくる。遠巻きにこちらを見ている人もいた。俺は汗を手で拭いながら、頑なな態度の理一郎を見た。
「あぁ、わかった。お前が俺の事を嫌いだったとしても構わん。もう話しかけない、それでもいい。──だからこれは独り言だけどな」
俺も負けじと怒気を孕んで理一郎を睨みつけて言い放つ。
「お前も兄ちゃんなら、弟が心配して泣くようなことすんな!」
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