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第33話 好きな人
それは白い封筒だった。手に取ってみてみると、宛名に「花村様」と丁寧な文字で書かれており、自分宛であることは明白であった。
僕は登校して自分の下駄箱に向かい内履きの上に置かれているそれを見つけた。封筒は糊できっちりと封緘してあり、中をすぐ覗くことはできない。僕は仕方なくそれを詰め襟の内ポケットに入れた。教室に入って一番廊下側にある自分の席へ行くと、もう腐れ縁としか言いようがない、隣の席の小田が声をかけてきた。
「おはよう。見たわよ~?」
態度が揶揄うつもり満々で、僕は一旦無視して席に着いた。鞄から教科書類を取り出して机の中にしまっていく。それでも尚、小田は食い下がる。
「で? 読んだ? 中身」
「小田は見たの? 入れた人」
声を潜めて聞いてくる小田に、僕はため息をつきながら小田に切り返した。小田は待ってましたと言わんばかりに自分の椅子を僕の方に楽しそうに寄せてくる。
「入れた瞬間は見てないわ! でもね、私が花村君の隣って知ってるみたいね。わざわざ私に聞いてきたのよ! 『花村君の下駄箱はどこですか』ってね。くぅ! 色男! すごいわこれがやっかみって奴かしら~! あの笑顔の裏のとげとげしい態度、見せてやりたかったわ~」
「それを僕に言う小田も、大概いい性格してるよ」
机の横に鞄をかけてから、小田の方に手を出した。
「鋏ある?」
「持ってきてないの?」
そう言いながら小田が自分の筆箱から小さめの鋏を取り出して僕の掌に乗せた。僕は内ポケットから手紙を取り出して、端の方を細く切り落とした。小田が目を輝かせながらこちらを見ているが、構わず僕は封筒を内ポケットに戻し、小田に鋏を返す。
「ありがとう」
「え、えー! なんでー!?」
「おはよう。何、どうしたの?」
小田から非難の声が上がり、その声を聴いてか廊下を通っていた林が、廊下と教室の間仕切り窓から顔を出して声をかけてきた。小田が林に向かって声高に答えようとする。
「聞いてよ林! 花村君ったら――」
「小田」
僕は小田に待ったをかけると、小田は渋々口をつぐんだ。取り残された林は小田と僕を交互に見たあと、
「僕だけ蚊帳の外なんだけど」
とぼやいた。僕は慌てて林をとりなそうとする。
「悪い。あとで話すよ。ここじゃちょっとね」
「ん、あとでね」
林は仕方なしに折れてやると言わんばかりに笑って隣の教室に入っていったので、僕は小田に向き直った。小田はむくれ面のままこちらを凝視していた。
「そういうこと、大きな声で言うもんじゃないでしょ」
「はいはい、すみませんでした」
諭すようにいうと、小田は自分の椅子と一緒に戻っていった。
中学校に上がってこういったことが増えてきた。入学したときの新入生代表の挨拶で選ばれ、その後の試験結果でも総合1位を取り続けてるせいじゃないかと林は考察していたが、僕としては聡一に褒められたい一心で頑張っているだけなのに、こういう弊害が出てくるのはあまり喜ばしくない。
僕は昼休みに、林を学校の中庭に呼び出してことの顛末を話した。中庭は2本の木と花壇があるだけの簡素な場所で、正直あまり人気がないので、内緒話にはもってこいの場所だ。
中庭で二人昼ご飯を食べ終えて、木陰に寝そべりながら僕は手紙を広げて見ていた。「放課後、校舎裏の松の木でお待ちしています」と簡単に書かれている。毎度のことながら、宛名は書いてあっても、差出人の名前は無い。この放課後というのも、僕が昼休みに見なかったら明日の放課後でいいんだろうかと考えてしまう。こちらがいつ手紙を読むかわからないから、あやふやな書き方しかできないという見方もあるが、そうなるとこの差出人は、今日も明日も松の木の下に行くんだろうか。ならばどれくらいの時間待つことになるんだろうか。
「ちなみに何度目?」
「去年分合わせると、4」
隣で寝そべる林に無言で手紙を渡そうすると、林は受け取らずに一瞥だけをして首を振る。僕は手紙を封筒に戻して、内ポケットにしまい直した。それを見ながら林が言う。
「『松』の木で、『待つ』とは」
「その着眼点は僕にはなかったよ」
不謹慎かもしれないが、僕は笑った。こういった僕が思い浮かばないことを言ってくるから、林の友達は辞められない。
「1学期につき1告白の計算か。聞いてるだけで腹が膨れそうだよ」
「お腹がすくよりましじゃない?」
お互い軽口をたたきながら、揺れる春の木漏れ日を浴びる。春の気配を感じながらも、僕の心は憂鬱だ。もし僕の断り文句を知っていてのこういう手紙を渡してきているのであれば、ただの迷惑でしかない。
「下駄箱にでも貼って置いたら? 『僕には好きな人がいるのでお付き合いはできません』ってさ」
「よせやい」
けたけた笑う林に僕は苦笑しながら返して、ふと思って林に聞いてみた。
「そういえば林って好きな人いるの?」
木漏れ日を見ながら言ったが、返答がないので首だけで林の方を見る。林はこちらをじっとりとした目で見つめていた。
「……なんだよ、藪から棒に」
「いや、だって聞いたことなかったし」
林は深いため息をついて、また視線を木々の枝に戻してしまった。答えてくれないのかなと思って僕も視線を上に向けたとき、林は言った。
「いるよ」
「え、誰!? 知ってる人!?」
驚きすぎて思わず起き上がって林を見下ろすと、林は笑いながら言ってきた。
「花村が言わないのに、なんで僕が言わなきゃいけないの」
「……確かに」
僕は苦々しく呟いた。でも、さすがに7つ上の義兄が好きなんだ、とは友人でも言えない。僕は林の好きな人を聞くことが出来そうになさそうだ。
微妙な沈黙が下りた。
「さ、そろそろ行くか」
林も起き上がりながら言ってきた。僕は「うん」と答えて立ち上がる。背中に着いた草を払ってから教室に向かった。
校舎裏に一本だけ生えている松の木に、すでにその女子は居た。しかし何故か二人。僕は一瞬、僕以外にも誰か呼び出されている人がいるのか、なんて考えて周りを見渡したが、学校の敷地を囲む木々とツツジの低木が見えるだけで誰もいなかった。僕が来たことがわかると、女子のうち一人が「頑張れ!」って声をかけて離れていく。なるほど、僕も林と一緒に来ればよかったのか、一人で来いとは書かれていなかったな、などと考えてしまった。絶対林は嫌がるだろうが。
思考で現実逃避をしていると、松の下にいる長い髪を二つ結びにした女子がこちらを見つめていた。脳内で林が「松の木で待つ」と言ってきて、僕は笑いをこらえるのに必死だった。
「来てくださって、ありがとうございます。2組の、瀬川由美子と申します」
目の前の女子がか細い声で伝えてくる。スカートをぎゅっと握りながら震えており、正直目の前の女子は小田をやっかむようには見えない。ただ、僕は4年前のヒロコの一件を忘れていない。見かけによらず大胆にも聡一の唇を奪おうとした、あの行為だけは今でもずっと、いや永遠に許さない。この女子にも、もしかしたらそんな二面性があるのかもしれない。そう思うと、小田のあの自然体は大分好感が持てる方だなと思った。
「あの、花村君……、あの……」
声を出そうとしているのはわかるが、どんどん彼女の声が小さくなっており、僕は聞き取るのにもう一歩前に出た。
「きょ、去年の体育祭から好きでした! 付き合ってください!」
瀬川が頭を下げる。去年の秋にあった体育祭のことを思い出すが、正直そんなにいい結果は出せてなかったし、何故そんなことが起こりうるのかさっぱりわからない。すると、頭を下げ続けている女子の背中から、髪がはらりと顔の方に落ちていくのを見て、僕は思い出した。
「あ、保険係の」
去年、徒競走で全力を出した林が、退場するときにすごい勢いのまま転んでしまい、歩き辛そうだったので僕は救護テントまで肩を貸して行った。その時に対応していたのが目の前の瀬川だ。かがんで林の膝を見ようとしていた時にも、今と同じように髪が前へ降りて行っていたのを思い出した。でもこれは、どちらかと言ったら林が瀬川に恋をする場面ではないだろうか。なんで僕?
すると瀬川が嬉しそうに顔を上げた。
「はい! あの、お友達を必死に支える姿に、いいなって……」
また言葉が尻すぼみしていく。なるほどそう言うこともあるのかと僕は納得した。納得はしたが。
「ごめん。好きな人がいるので、付き合えません」
毎回同じ断り文句でひねりもなく、僕はそういった。いつもだったらここで引き下がってくれるが、瀬川は引き下がってはくれなかった。
「……それは、同じ学校の人ですか?」
聞いてどうするのか。甚だ理解できなかったが、そういえば小田をやっかんだ女子だった。体育祭のことで忘れかけていた。僕は目の前の瀬川が怖くなった。
「違うよ」
「じゃあ誰――」
「聞いてどうするの?」
間髪入れずに僕が言うと、瀬川は一瞬体を震わせた。そのまま黙ってしまうかと思ったら、瀬川は食い下がる。
「小田さん、ですか!?」
ここで出てくるのが小田の名前かと、呆れるようにため息をついた。
「違うよ。それに小田が好きなのは僕じゃなくて――」
「ちょっと待ったぁぁぁ!」
いきなりの声に僕と瀬川は声の方を見た。するとツツジの低木の影からいきなり小田が出てくる。絶句していると、もう一つ隣の低木から林がやれやれとでも言うように出てきた。
「なん――」
「『なんでいるの』じゃないわよ! むしろなんで花村君が私の好きな人のこと知ってるのよ!」
僕の言葉を遮って小田が詰め寄ってくる。顔が真っ赤である。僕は後ろにいる林をちらりと見ながら答える。
「いや、だって見てればわか――」
「いい!? 二度と! 口に! しないで! いいわね!?」
すごい剣幕でまくしたてるものだから、僕は何度も頷いて、「わかったわかった」と宥めた。小田が瀬川の方に向き直り、
「ホホホ! 邪魔してごめんなさいね。それじゃ続けてどうぞ」
そう言ってツツジの低木の方に戻っていこうとするので、「戻るな戻るな」と林が止めていた。僕は、いきなり水を差された挙句、堂々と盗み聞きに戻ろうとする珍客に唖然としている瀬川の方へ向き直り、
「……本当にごめん。でも、そういうことだから……本当にごめん」
そう別れを告げて、小田を林と一緒に引きずってその場を後にした。
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