34 / 58

第34話 告白の雨音

 僕はさすがに二人を叱りつけた。叱りつけずにはいられなかった。二人を林の家まで引っ張って行って、林の部屋の中で二人並んで正座をしている。それは自分のためというのもあったが、自分に告白してくれた瀬川のためでもあった。 「百歩譲って覗くのはいいよ」 「いいんだ」 「譲ってるって言ってるでしょ話の腰を折らない」 「はい」 小田が反省もせずに口をはさむので、僕は腕組をして小田を睨んだ。小田はちょっとしょぼくれて俯いている。僕はため息をついた。 「出てきちゃダメでしょ。断った後とは言えさ。相手の気持ちも考えてごらん。告白の場面で横やり入れられてさ。たまったもんじゃないよ。……知らないよ? 小田がこの後槍玉に挙げられても。さすがに女の世界は助けてあげられないよ」 「いやだって花村君が勝手に私の恋愛事情をしゃべろうとするから」 また小田が言い訳を始める。僕は組んだ手の右人差し指でトントンと腕を叩きながら、 「さすがに個人名まで言う予定なかったよ。『僕じゃなくて違う人だ』って言う予定だったのを早合点しただけでしょ!」 と言うと、今度は黙って俯いた。それを見た林が僕をなだめようと「まぁまぁ」と口をはさんでくる。 「覆水盆に返らずっていうからさ」 「……林」 「はい、すみませんでした」 林に凄んでみせると、林は素直に謝ってきた。僕はキッと睨みつける。 「むしろ林がついててどうしてこうなったの」 「いやむしろ僕も被害者だから……」 林がため息をついた。僕は片眉を上げながら林を見る。林はちょっと小田の方を恨めしそうに見ながら、 「小田が君の後をつけていて……」 と、そこまで話して言葉を切る。続きを話そうとしないので、僕は冷たく「続けて」と促した。 「声を掛けたら連れていかれて」 「そこで止めてよ……」 僕は目頭を押さえてぼやいた。すると林が逆に僕を半眼で見てくる。 「止められると思う? 僕に?」 林の言葉に、僕は目を閉じて考えた。しばし沈黙し、僕はいつもの定位置に座った。無理だ。絶対に無理だ。 机に頬杖をついて、僕は言った。 「もうしないでよ……」 「お、次もある予定?」 林がまた茶々を入れてくるので、 「僕のことだけじゃないよ! 茶化さないで!」 と言って二人への説教は終わった。  季節は過ぎて、初夏。遅めにやってきた梅雨が、暑さとともに纏わりついて体力も気力も奪っていく。そんな時に、もうすぐ学期末試験がある。林の部屋が雨漏りしたとかで、今日は僕の部屋で勉強会をすることになった。 僕の部屋には二人で使えるぐらいの座卓が無いので、仕事中の聡一から座卓を借りて並べて使っている。ただ、暑さと湿気が邪魔をして、僕はいまいち集中できていなかった。 「暑い……」 雨が降っているので窓を開けることもできず、風も通らない室内で、うちわだけを頼りに過ごすのはやはり限界がある。木綿の単衣を少し緩めながら僕は呟いた。 「自分の家だからって、羨ましいよ」 林が愚痴を言うので、僕は暑そうに汗をかいている林を見ながら、 「気にしないから、緩めれば? 正直、僕は汗も拭いたいぐらいだよ」 と林を誘う。林は苦笑しながら、 「それこそ僕は気にしないから、拭けば?」 と言ってきた。流石に林の手前そこまでは出来ない。それに、そろそろ花村屋も営業が終わる時間で、誰かがこの部屋を覗きに来るとも限らない。僕が暑さで溶けそうな頭を振りながら麦茶をあおった直後、窓の外が急に暗くなる。篠突く雨が窓を叩き始めた。 「林、この中帰れる? 大丈夫?」 林に声をかけると、「うーん」と唸ったんだか肯定なんだか分からない返事が返ってきた。僕は林を見るが、その目は窓の向こうの、どこか遠くを見ていた。最近、林はこんな顔をすることが多くなった。でも、そういう時に声をかけても、林は何も考えてなかったなんて答えることが多くて、教えてはくれない。  林が口を開くのを僕は林の横顔を見ながら待った。うちわで扇ぐのをやめ、手拭いで露出している額と首だけを拭いた。 「こんな日だったね」 林がぽつりと呟く。前触れもなくそんなことを言うので、僕は何も言わずにそのまま林を見ていた。そしてまたしばらく室内に地面を叩く雨の音が響く。相槌を打つべきか逡巡していると、林が窓の外からこちらに視線を移した。林がまっすぐ僕を見据えている。 「花村が初めて告白された日」 そう聞いて僕は、そうだったかもしれない、と朧げな記憶を辿った。中学1年生の期末試験前だったので、確かに梅雨時期だった。確か一目惚れとか言われて、そんなことを言われても自分の中に全く思い当たるところがなく、訝しげに相手を見てしまった記憶がある。それでも誠実に対応することを聡一を見て学んでいたので、初めて「好きな人がいるから」と断ったのだ。 「そうだったかもね」 僕はそこで初めて相槌を打った。林の目がまだこちらを見ている。なんとなく僕は、林がまだ何かを言おうとしているような気がして、林の目を見つめた。案の定、林はまた口を開く。 「好きな人がいるような素振りが全く見えなくてね。でも、君はそういう嘘をつくような人じゃないから、本当にいるんだろうと思ったよ。でも、誰なんだろうなって思ってた。絶対学校の人じゃない。僕が知らない、きっと身近な親戚とかなんだろうなって思ってた」 林の口ぶりに、僕は心臓が跳ねた。雨脚が強くなったせいか部屋の空気が冷え始め、林が僕を探るような沈黙がより重く感じる。僕は自分の罪を暴かれているような感覚に陥った。 「花村、僕は今から一世一代の告白をするよ」 林の顔が真剣そのもので、僕はその続きを聞きたくなかった。当たらないでほしい勘だけ、いつも当たってしまう僕だ。だから僕はどうか言わないでほしいと思った。林との関係が変わることを僕は望んでいなかった。 「花村は、僕がある男が好きだって言ったら、気味悪く思うかい?」 心臓が静かに、でも確実に早く脈打ち始める。呼吸が浅くなり、寒いのに体がカッと熱くなった。林はいつから腹を括っていたんだろう。すごいな林、尊敬するよ。 僕は、覚悟を決めて大きく息を吸った。 「――思うものか。林は、林だ」 答えた。林が言うだろう一世一代の告白を促すように。林の目が少し悲しそうに笑うから、僕は胸が苦しくなった。林は、僕がどう解を出すか分かった上で言うのだから。 「ありがとう――――――花村、僕は、君が好きだよ」 泣きそうな顔で言う男の顔を見ながら、僕は、誠実に答えた。 「好きな人が、いるから……ごめんなさい」  僕は頭を下げながら、あの氏神祭の夜に見た聡一の遣る瀬無い顔を思い出した。「もっと丁寧に、返してあげれればよかったんだろうか」と言う聡一に、僕はその時とても呑気に関係ないと答えていた。今では、あの時の聡一の気持ちがよく分かった。 「うん、ありがとう。……花村、また学校でな」 林が立ち上がりながらそう言って、部屋を出て行こうとする。僕は足に力が入りそうになくて、見送れそうにない。 「聡一さん、振り向いてくれるといいな」 襖の前で、こちらを振り返らずに言い放った林に、僕は何も言葉をかけることができなかった。 林はそれ以上何も言わず、襖を開けて出て行ってしまった。また学校で、その一言すら出てこなかった自分が情けなかった。雨の音だけが僕に寄り添ってくれていた。 * * * * *  林は階段を降りた。後ろから足音を殺してついてくる人物のために、わざと音を立てながら。花村家の正面玄関まで、その人物は何も言わずについてくる。見送りをしてくれるつもりなのだろうが、いったいどういう心境なのか林には到底理解は難しいだろうと思った。  玄関で靴を履きながら、林は背後にいる人物に声をかけた。 「盗み聞きなんて、いい趣味してますね」 これぐらいの刺々しさぐらいは、許されて然るべきだろうと林は思った。しかしそれすら自分の罪の重さを紛らす手段でしかなかった。 「……林君の帰りが心配で声をかけに。でも勉強の邪魔になるかと思って、そっと様子を見に行ったんだよ。言い訳にしかならないだろうけど」 言われて、靴を履き終わった林は振り返った。複雑な表情をした聡一がそこには立っていた。 「ご心配いただかなくとも、大丈夫です。それでは」 林がそう言い捨てて、玄関の戸を開く。雨と風の音が飛び込むように入ってきた。持ってきた傘を手に取ると、 「気を付けて」 聡一が後ろから声をかけてきた。林は何も応じずに玄関の戸を閉めた。 「……ごめん、花村」 ぽつりとつぶやく。まるで許さないとでも言うように、遠雷が響いた。

ともだちにシェアしよう!