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第37話 羞恥を叫んで
期末試験も終わり、夏休みに入ってしばらく経った。朝餉の席で、今年は神輿行列に誰が参加するかと言われて、「流石に俺はもう遠慮します」と聡一が言うので、その隣にいた僕に視線が集まったときは正直どうしようかと思った。慄いていると、紀子の「もういいのでは?」という鶴の一声で回避された。
夏休みの宿題は例に漏れずたんまりと出て、僕は日がな一日勉強漬けとなった。花村屋にはもちろん夏休みなどないので、僕は約2か月間の自由が手に入ったわけだが、聡一は仕事なので僕と遊びに行ったりしてはくれない。
昼をとった後、僕は花村屋の裏手に回って声をかけた。
「出かけてまいります」
「どちらへ」
間髪入れずに紀子が聞いてくるので、僕は宿題を詰めた鞄を見せながら、
「林の家で宿題をしてきます」
と言うと、なぜか聡一が驚いたようにこちらを見てきた。僕が聡一を見ると、聡一は気まずそうに視線を逸らす。よくわからないが、僕は西日が落ちるまでには帰ることを伝えて出発した。
夏が盛りを迎えて、蝉の声をはじめ、外は色々な音や鮮やかな色であふれていた。山と空のはっきりとした色の違いを見ながら、僕は風鈴の涼し気な音が鳴る表通りを歩いていた。日光が肌に刺さり痛みを覚え、これで少しは自分の肌も聡一のような健康的な肌の色になってくれないだろうかと思った。まぁ例年同じことを思っているのに結局うまくはいかないのだが。
耳が蝉の声に麻痺してきたところで、僕は林の家に着く。普段通り大声で林の家に声をかけて、上がらせてもらった。
林は本棚の前に立っていた。小学校の頃は玩具が並べられていた棚も、今では本棚と呼称するに相応しい数の本が並べられている。その背表紙を見て、僕は本当に自分は鈍い部類の人間なんだなと思う。僕が4年間貸本屋で借りて読んでいた本ばかりだった。どれだけ長い間、林が僕のことを見ていたのかと、改めて告白の重みを知らされた。
林が僕を見ながら、口を開く。
「君を口説こうと思ったら、本屋にならなきゃいけないと思ってたところだよ」
「親父さんが泣いちゃうよ」
僕は呆れながら言った。一度振った男からこうも直球で語られると、やはり自分の業の深さを感じてしまう。林と中庭で話したあの日に受けた提案はこうだった。
「元通りになることは難しい。花村は僕の気持ちを知っているし、僕はもう自分の気持ちを隠せそうにない。表面上仲良くやったとしても、花村にする全ての親切や好意を、君は今まで通り受け取ることはできない。そうだろ? だから僕から言える譲歩案は一つ。僕の気持ちを否定せずに受け取ること。人目があるところではもちろんうまくやるさ。……君が僕に絆されるのが先か、聡一さんが君に落とされるのが先か。根競べと行こうじゃないか」
不敵に笑う林に煽られて、その時はやってやろうじゃないかと思っていたが、ここまで情熱的に来られるとわかっていたら、あの時安易に了承しなかっただろうと思った。僕が折れることはないんだが、それがわかっている分とにかく良心が痛い。
「さ、僕の愛しい人。宿題はどこまで終わった?」
「今のはちょっと芝居臭い」
「否定するなって」
「単純な感想だよ」
最近は少し慣れてきて、軽口で返せるようになってきた。そんな反応すらも林は満足そうに聞いているから、たぶんこれでいいんだろうと思う。
お互いの宿題の進捗具合を確かめる。こうでもしないと暑さでだらけてしまって、やる気が出ない。そして、宿題をしている間は、黙々と机に向かって、休憩して、また宿題に取り組む。単純なその繰り返しだった。気が置けない友人だからこそ、それが成り立っている。
ただその集中力というのは、やはりなかなかこの暑さだと保てないわけで、おやつの時間ぐらいには二人とも体力と気力の限界を迎える。
もうすぐ太陽が赤くなるという頃、林は厠へ立った。僕は疲れたなと床に転がって、ふと本棚の方を見た。よく見ると、本棚の隣にある足つきの棚の下に、一冊の本が落ちていた。何の気なしに僕はその棚へ近づいて床に這いつくばりながらその本を取った。知らない題名の本で、つい頁をめくり、流し読みをする。
耽美派の小説だった。全く読んだことのない種類の本で、これは林が落としたのではなく隠していた本だったのではないかと思って本を閉じようとしたその時、本の間からひらりと一枚の写真が滑り落ちて行った。写真なんて珍しいなと思って拾い上げる。去年の体育祭の騎馬戦の写真で、僕が騎手をしている写真だった。写真が趣味の担任が、こういった行事の時にプロのカメラマンと一緒にそういえば撮っていたなと思い出したが――。
「な、なんで!?」
いつの間にか帰ってきた林が、僕の方を見て声を上げた。
「……なんで僕の写真持ってるの」
僕が聞くと、林はバツが悪そうに視線を逸らした。プロの写真と並べて担任も写真の注文用に貼りだしていたし、その中にきっとあって、それを注文したというわけだ。僕は何も注文しなかったから、僕にあげるつもりで注文したと言い訳できるいい口実だったのだろう。
「なにしてんの……」
僕は呆れながら呟いた。すると林が恥ずかしそうにもごもご言う。
「ナニ……してんの」
一瞬どういうことかわからなくて、ぽかんとしてしまった。そして林が赤面しながらこぼした言葉の意味を理解して、僕は思わず叫んだ。
「今までの言葉遊びの中で一番最低だから!」
* * * * *
夕餉を食べて風呂に入った。後に紀子が入るので手早く出なければならないが、僕は湯船に浸かって目に手を当て、すこし頭を休めていた。少し日に灼けた腕や頬が沁みるが、そんなことに構わずばしゃばしゃと顔にお湯をかけた。
今日の林の大暴露が頭から離れない。まさか自分の写真でそんなことをしていたなんて。素直すぎるというか、あけっぴろげにし過ぎていないか。僕だから何を言ってもいいと思ってないだろうか。
ため息を一つついて、空を見る。夏でもやはり夜は涼しさが増すためか、湯船からゆっくり湯気が上っていく。遠くの方でカエルや虫が鳴いているのが聞こえ、涼やかな音を聞きながら心の平常化をはかる。そもそも自分が誰かのそういう対象たらしめるという事実に驚愕だった。聡一の体を思い出して、ああいう体にはまだ足りない。
聡一も、自分の体で欲情してくれたりするんだろうか。
もう一度顔にお湯をかけて、立ち上がる。ダメだ、逆上せそうだ。脱衣所に入ってもう一本持ってきた手拭いに手を伸ばすと、突然脱衣所の戸が開いた。驚いて見ると聡一がこちらを見ていた。
「お、すまん。まだ上がってないと思って」
「だ、だい、じょ、ぶ。なに?」
さっきまでいろいろ考えていたところに本人登場で、僕は固まってしまった。なんとか声を絞り出すが、すでに羞恥で頭が逆上せそうだ。
「俺、手拭い忘れていってない?」
脱衣所を見回すと、確かにゴミ箱の近くに一本手拭いが落ちていた。拾って渡すと、聡一は礼をいって脱衣所を出ようとした。一度戸を閉めた後に、また開けられる。二度目の登場にまた僕が固まっていると、聡一が僕の体をまじまじと見始める。
「……永太、鍛え始めた?」
もうだめだった。想い人に裸を見られて、秘密にしていた鍛えていたことも知られてしまって、しかも絶対なんにも思われてなくて。僕はしゃがみこんだ。
「はい……そうです……」
消え入りそうな声が自分の口から漏れた。もう勘弁して……。
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